∴ ちっぽけなしあわせ




今年も夏がやってきた。

今年の夏は去年と違って自分には彼女がいる。そんな彼女と今この密室という空間に二人きりな状態になっていた。



「(ソワソワソワソワ)」
「………」
「(ソワソワソワソワ)」
「……ねぇ」
「!な、なにー?」
「何をそんなにソワソワしてるの?」
「えっ、あ、いやぁ…」



あはは、と乾いた笑いをする自分になまえは首を傾げる。たったそんな仕草でさえ可愛く見える。こんな密室でしかも二人きりで、落ち着いていられるわけがない。なまえは夏休みの宿題に集中していて偉いとは思うが、その反面、なまえにとってこの状況を何とも思わないんだなとガックリする。



「あっあのなまえ!」
「ん?」
「ここ、わかんないんだけど…」
「え、どこ?」



プリント用紙の真ん中あたりに指をさす。なまえはどこかわからないのか体ごとを僕のところへ寄り掛かる形になった。
急に距離が近くなったことで自分の心臓が大きく跳ねる。ヤバい、体が熱くなってきて体温が上がり始めた。



「これ?」
「!そそそう!」
「これは──」



なまえが問題の説明をしているというのに頭の中に入ってこない。むしろ右から左に流れて出ている。一生懸命説明してくれるなまえには悪いが、どうしたって宿題に集中できる気がしなかった。



「──てことなんだけ、どっ!?」
「!」



言い終わるとなまえが顔をあげてバッチリ目が合ってしまい、一瞬時が止まったような気がした。先に我に返ったのはなまえで、すぐに顔をそらし僕から距離をとった。



「ごごごめんっ」
「あ、ぼ、僕のほう、こそ」



サササッと自分の元居た位置に戻るなまえに、僕はプリント用紙を見つめる。プリントにはなまえが説明したであろう筆跡が残っていた。
チラリ、となまえを盗み見るとなまえは隠すかのように頬を両手で挟み俯いているが耳までは隠す余裕がなかったのか、耳は真っ赤に染まっていた。
そんななまえを見て僕は持っていたシャーペンを机の上に放り投げ、後ろに倒れ込む。こんな状況で宿題なんかできるわけがない。



「うあー!」
「えっ、ど、どしたの!?」
「休憩!きゅーけいしよぉ!ね、いいでしょ?」
「う、うん」



なまえから休憩の許可が出たので僕は起き上がり、スススッとなまえの傍へ移動する。そんな僕をなまえは少し後退るような素振りをするが、逃がさないように手をギュッと握った。



「じゃ、ジャック…?」
「手、握ってい?」
「も、もう握ってるじゃん!」
「へへ、一応確認だよー」



なまえはテンパっているのか、目がキョロキョロと泳いでいる。さっきの落ち着き振りとは正反対だ。
そんななまえを見て僕はもっと困らせてやりたいと思った。



「ちょっと失礼しまーす」
「え?」



そう言い僕は横になる。ちょうどいい柔らかさが後頭部にあたった。なまえは目を丸くさせて僕を見つめ、状況を理解したのか徐々に頬が赤くなっていく。



「ちょちょ、ちょっと!」
「まぁまぁー、失礼しまーすって言ったんだからさぁ」
「そそそういう問題じゃない、し!」
「ちょっとだけ、ね?」
「うぐっ…」



嫌とは言わせない、そう心の中で呟くとなまえも空気を察したのか、じゃあちょっとだけだからね、と了承してくれた。



「じゃあさ、頭も撫でてー」
「えぇ!?そ、それは」
「ね、お願い、なまえー」



俗に言う上目遣いをすれば、なまえは両目を手で隠し、わかりました、と敬語で答えてくれた。
わくわくしながら撫でてくれるのを待っている僕に、なまえは遠慮がちに頭を撫で始める。そのぎこちない動作に笑いが込み上げてくるが、必死に我慢した。



「ど、どう?」
「ん?ふふ、気持ちいいよぉー」
「わっ笑ってるじゃん!」
「これは嬉しくて笑ってるのー」



やめようとするなまえを宥めながら、僕は撫で続けてくれるなまえの手に集中する。最初はぎこちなかったものの繰り返すにつれ段々心地好くなってきた。瞼も重くなってきて、このままじゃ寝そうだ。



「……ジャック?」
「…んー?」
「…ね、寝ていいよ」
「えー…なんでぇ?」
「眠そう、だから」



瞼を必死に持ち上げてなまえの顔を見ると、優しく微笑んでいた。そんななまえに胸がキュンと高鳴るが今は眠気のほうが勝っていて、瞼も重くなる一方だった。



「ん、なまえー」
「ん?」
「ありがとうー」
「どういたしまして」



おやすみ、ジャック。
そう呟いたなまえの声を聞いて、しあわせだなぁと思った僕は夢の中へと旅立った。



(2012/8/4)
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