悪夢から覚める日



ああ、まただ。
紅い空、おぞましい化け物、血だらけの候補生。その中に私だけが立っていて、ただただ見ているだけ。化け物は殺戮兵器のように候補生や武官を襲い、次々と殺されていく。そして、血だらけの候補生や武官が私に助けを請うように手を伸ばしてくる。私はそれが怖くて、いつも逃げてしまう。
追いかけて来る血だらけの人間、その後ろからあのおぞましい化け物も着いてくる。ニタリと気味の悪い笑みを浮かべて。やがて逃げ道がなくなって振り返る。そこには血だらけの人間が私に向かって手を伸ばしていた。捕まる、そう思った瞬間、漸く目が覚める。


「は、…はぁ…」


目が覚めたらまず目線を窓に移す。紅く染まっていない空に安堵しながら、隣で気持ちよく寝ているナギを起こさないようにベッドから降りた。
服がべたついて気持ち悪い。しかし、そんなことはもうとうに慣れてしまった。ベッドから降りた私はナギに気付かれない場所に座って身体を縮める。


「ふっぅ…」


熱くなる瞼と鼻の奥がツンと痛くなる。ナギに気付かれないように唇を噛んで堪えるけれど、涙は止まることなく溢れるばかりだ。ちらりとナギを見て、起きていないことにホッとした。
ナギは連日連夜任務で忙しい。それなのに、私なんかを気にして毎日部屋に来てくれる。頼んでないのに添い寝もしてくれて、そのまま自分の部屋に戻ることなく今では半同棲状態だ。
心配してくれるナギに、こんなくだらないことで迷惑をかけるわけにはいかない。ただでさえ迷惑を掛けているのにこれ以上迷惑をかけるわけにはいかず、出来るだけ声を押し殺す。
いつもいつも同じ夢。いつかあんな風になる、そんな気がしてならないほど現実的で身の毛がよだつ。自分で自分を抱き締めて、震える身体を落ち着かせた。



そんな日々が続いたある日――。



演習が終わったあと、リフレに行こう、サロン行こうとはしゃぐ同じ組の子を他所に一人自室に向かう。ふと廊下のガラス窓に自分の顔が映って、失笑してしまった。


「酷い顔……」


今の顔は自分でもわかるほど、疲れている顔をしていた。覇気が全く感じられない。だから同じ組の子が怪訝そうに見ていたのかと思うと、空しくなった。


「なまえ」


不意に私の名前を呼ぶ声に顔を向ける。そこには真剣な顔をしたナギが立っていた。
どうしてここにナギが居るんだろう。確か任務は明日までだった気がしたけど。
そう思いながらナギに駆け寄ると、ナギはいきなり私の手を掴んだ。そして踵を返す。


「え、ちょ、ナギ?どうしたの?」


ナギに声をかけるけれど返事は返ってこない。怒られるようなことをした覚えはないけれど、何故か怒っているような気がした。
私の部屋に入ったあと、ナギの足が止まる。恐る恐るナギの名前を呼んでみたら、ナギが振り返った。その顔に思わず目を見張る。


「俺が知らないとでも思ったのか?」
「え…?な、何が?」


私がそう言うとナギの顔が歪んだ。ナギのその言葉ですぐに勘づく。
真っ直ぐ見つめてくるナギに、気まずくなった私はナギから視線を逸らした。その瞬間、ふわりと風が吹いてナギの匂いに包まれた。触れている箇所から伝わる優しい温もりに、瞼が熱くなる。


「な、」
「そんなに頼りねぇか?」
「!」
「お前が言うまで待つつもりだった、けどさすがに限界。…もうなまえが泣いてるとこ、見たくねぇんだよ」
「ナギ…」


そう言ってナギはぐっと力を込める。今まで我慢してきたのが堰を切るように溢れ出てきた。ボロボロと出てくる涙と嗚咽に、ナギは私を抱き締めたまま落ち着かせるようにずっと頭を撫でてくれた。
そして、少し落ち着いた頃、ナギに促されるままベッドに座らせられる。私の隣にナギが座って、寄り添う形になった。


「なまえ」
「ん…?」
「なんで泣いてたのか、教えて欲しいんだけど」
「…………」


私は思わず視線を下に向ける。ナギに夢のことを言って、変に思われないだろうか。こんなくだらないことで、と思われないだろうか。ナギはそんな人ではないとわかっていても、そう思わざるを得なかった。
黙り込む私にナギは私の肩を掴み、優しく自分の方に引き寄せる。


「話せば楽になるぜ?」
「……でも」
「まさか迷惑かけちゃうーとか思ってんのか?」
「…ん」
「ばか、迷惑なわけねぇだろ。好きな奴が泣くほど辛い目にあってんのに、それを迷惑がる奴なんてどこにもいやしねぇよ」


な?
そう優しく言ってくれるナギに、私は胸の奥が暖かくなった。
そこまで心配してくれていたナギを無下にできなくて、私は意を決して口を開く。


「あの、ね…いつも同じ夢ばかり見るの」
「夢?どんな?」
「空が、紅くて…変な化け物に、皆、……殺されちゃって…」
「…………」
「血だらけの皆が私に助けを求めるように、手を伸ばしてくるの。でも、どうしても怖くて、逃げ出して…それで皆追い掛けてくる…。結局追い詰められて、捕まる寸前で目が覚めるんだ…」


今でも脳裏に浮かんで離れない夢の内容をナギに話す。夢は夢でしかない。そうわかってはいても何回も同じ夢を見るなんて明らかに異常だ。何かを暗示しているようで、私自身気が狂いそうだった。
私の話を聞いて、ナギはずっと黙ったまま喋らない。重い話をして引いてしまったのか、はたまたくだらないと呆れているのか。何も喋らないナギにびくびくしていると、不意にナギの手が私の手を包み込むように握った。
思わずナギを見上げると、ナギは悲しそうな表情をしていた。


「ごめんな」
「え…」
「もっと早く問い詰めるべきだった。そうすればこんなに追い込まれずに済んだのに…」
「な、ナギは悪くなんかないよ、私が言わなかっただけで…」
「いや、俺が悪い。何のための同棲だっつーんだよ。あーマジでごめん!」


そう言ってナギは頭を下げる。半同棲どころかナギの中では同棲ということになっていたらしい。今更恥ずかしくなってきて、私は首を横に振った。


「あ、謝らないで、ナギは悪くないんだから」
「悪い、すげぇ悪い。なまえが泣いてるのわかってた癖に言ってくれるまで待ってた酷い奴だぜ、俺」
「そんな、こと言ったら私も、ナギに気付かれないようにしてたし…」
「バレバレだったけどな」
「うっ……」


言い合ったあと、どちらからともなく笑い合う。そして、ナギが私の後頭部に手を回し額と額を合わせた。ナギの瞳が私を捉える。


「なぁ、なまえ」
「ん?」
「今度またその夢見たら、俺に抱き着け」
「え、抱き着く?」
「そ。起こすのは気が引けるんだろ?なら抱き着いて欲しいなー。かわいい彼女が抱き着いてきてくれるとかめっちゃそそ…あぁいや何でもねぇ!そんで、俺が思いきり抱き締めて安心させてやる!わかったか?」
「…うん」


目の前がぼやけてくるのを感じながら、ナギの言葉に何度も頷く。そんな私にナギは満足そうに笑って、触れるだけのキスをした。



その日、またあの夢を見た。
紅い空、おぞましい化け物、血だらけの皆。私に手を伸ばしてくるそれが怖くて仕方なかったのに、今の私は不思議と恐怖心はなかった。
血だらけの手で私に伸ばしてくるその手を、ナギにされたように包み込む。


「夢では助けられないかもしれない。でももし、もしもこんな日が現実に来たのなら、迷わず助けるから。もう逃げたりしない、だから――」


自分でもどうしてこう言ったのかわからない。もしかしたら自分に言い聞かせるために言ったのかもしれない。それでも、私は目の前にいる誰かに伝えたかった。
そう言った後、目の前にいる誰かの口元が僅かに上がった気がした。笑みと取れるかわからない表情を最後に、紅い空や化け物、血だらけの皆が消えていく。目の前にいた誰かも、スゥッと消えていなくなってしまった。


「……ん」


目を開けると、ナギの顔が目の前にあった。いつの間に寝てしまったのか、ベッドの中にいて、ナギに抱きしめられていた。抱き枕とされている自分に思わず笑ってしまう。


「ん、なまえ…?」
「あ、ごめん、起こしちゃったね」
「いや、全然…夢、見たか?」
「…見た、けど、怖くなかったよ」
「?怖くなかった…?」
「うん。…ナギが居てくれるから、もう怖くなくなった」


寝惚け眼のナギに言ったあと恥ずかしくなって、ナギに抱き着く。ナギはそれを拒むことなく、抱き締めてくれた。

それから、あの夢を見ることは二度となかった。




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