愛されてるということ



「あれ、エースは?」


なまえは教室に入っていの一番にエースを見るのが日課である。それなのに、今日は彼の姿が見当たらない。この時間帯ならもう教室に来ていてもおかしくはないのに、と思いながらなまえはトレイに彼の行方を訊ねた。トレイは分厚い本から目線をなまえに向ける。


「エースなら今日は部屋で休んでいますよ」
「え、エースになんかあったの?!」
「なんかあったといえばそうかもしれませんね」
「ちょっと、はっきり言ってよトレイー!」


なまえはそう言ってトレイに詰め寄る。彼女の必死さにトレイは若干引きながらも、ふぅ、と小さく息を吐いて本に栞を挟んでから口を開いた。


「残念ですがなまえには教えられません」
「なっ…!?なんでよトレイ!」
「エースに口止めされてますからね」
「エースに口止め…?またどうして…」


エースに口止めされていることになまえはショックを隠しきれないのか呆然とする。そんな彼女にトレイは少し同情するけれど、エースとの約束を破るわけにはいかない。ここは心を鬼にしてでもエースの意思を尊重しなければ、とトレイは心に決めていた。
しかし、それは第三者の声で悉く崩れ落ちる。


「エースなら今日は風邪引いて休んでるってさー」
「!、け、ケイト?!あなたどこでそれを…!」
「ん?さっきナインから聞いたけど」
「ナイン…ですか…」


トレイはこめかみを抑えて項垂れる。ケイトはそんなトレイを不思議に思いながら、ふとなまえの姿が見当たらないことに気付いて苦笑を浮かべた。


「もしかしてアタシ、余計なこと言っちゃった?」
「えぇ、そりゃあもう。……いえ、ケイトは悪くありません。私がもっとナインに気を付けておけば…」
「まーでも、ナインに気を付けてたところでバレるのは時間の問題だったって。そんな気負うことないよ」
「そう、ですよね…はぁ、すみません、エース…」


トレイはがっくりと肩を落とし、この場にいないエースに対して謝罪の言葉を口にした。







「っくし」


くしゃみをした後、悪寒を感じたエースは身体を暖めようと丸くさせる。頭がぼうっとするなか、不意に扉をノックする音が聞こえた。
こんな時に誰だろう。そんなことを思いながらも、怠くて体が動かせない。確か今日は誰も部屋に来るなと伝えたはずだ。それなのに何故人が来るのかとエースは眉間に皺を寄せる。
そんなエースを他所に、突如大きな音を立てて扉は開かれた。


「エース大丈夫?!死んでない!?」
「…………」


強引に部屋の中に入って来たのは一番来てほしくない相手だった。呆然とするエースに慌ててなまえがベッドに駆け寄る。顔を覗き込まれると、エースは我に返ったのか布団の中に潜り込んだ。


「え、エース、どうし…」
「なんで来たんだよ」
「なんでって、心配だったから…」
「余計なお世話だ」


トレイにあんなにも念を押したのにそれを呆気なく破られてしまい、エースは不貞腐れる。兎に角一刻も早く彼女をここから出そうと思考を巡らせた。


「エース…、その、ごめんね」
「は…?」
「余計なお世話だって、気付けなくて」
「!」


エースは先程なまえに言った言葉を思い出す。なまえの声量だけで彼女が凹んでいるのが何となくわかった。
エースは慌てて起き上がりなまえを見る。


「ちが、ゴホッゴホッ!」
「だ、大丈夫?!エース!」


そう言ってなまえはエースの背中を摩る。口元を手で覆っているとはいえ、こんな近くにいたら風邪が移ってしまうだろう。そう彼女に言いたくても咳が邪魔をして言えなかった。
やがて咳が落ち着くと、エースは顔を上げてなまえを見る。エースの苦しそうな表情に、なまえは眉尻を下げた。


「ごめん、もう大丈夫だから…」
「でも…」
「風邪が移るだろ、早く教室に戻れ」


冷たく言い放つが、なまえは頑なに動かない。顔を俯かせてじっとしたままのなまえに、エースは再度口を開こうとしたその時。なまえは勢いよく顔を上げてエースの両手を握った。


「辛そうなエースを1人にできないよ!」
「…その気持ちは嬉しいけど…はぁ、なまえ、僕はお前に風邪を移したくないんだ」
「エースが辛くなくなるなら移ったっていいし!むしろエースの風邪なら大歓迎…ハッ、ごめん、今のなしね!」
「…………」


無しだと彼女は言ったけれど、彼女の本音はばっちりエースに聞かれていた。目を爛々とさせるなまえにエースは思わず溜め息を吐く。
彼女にだけは風邪を移したくなかったのに、そう思いながらなまえを見ると何故かなまえの口元は綻びていた。


「なに笑ってるんだ?」
「えっ、わ、私笑ってた?」
「あぁ」


エースがそう言うとなまえは照れ臭そうに頬をかく。そして遠慮がちにエースを見遣り口を開いた。


「エースが私に風邪を移したくないから、トレイに口止めしてたんだと思うとなんか、あ、愛されてるなぁって」
「……寝言は寝て言え」
「ふふー、あ、私お粥持って来る!マスターに頼んでおいたんだ。じゃあ大人しく待っててね!」


そう言うとなまえはエースの部屋を後にする。一人残されたエースはベッドに倒れ込むと、腕を額に乗せた。熱のせいなのか頬は赤みがかかっている。


「愛されてる、か」


小さく呟くと、エースの口元が緩む。強引に部屋に押し掛け戻れと言っても頑なに戻らない。それどころか風邪が移ってもいいと言うなまえにエースは呆れるけれど、そんな彼女から愛されていることにエースはくすぐったい気持ちになるのだった。



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