短編 | ナノ

鬼ごっこの成れの果て




逃げなくては。でもどこに?あの人相手に逃げられるとでも?いや、それでも逃げなきゃ、じゃないと、や ら れ る 。



「なーに息切れしてんの?」
「ぎゃあああ!出たあああ!」
「なにその反応。すっげぇムラムラすんだけど」
「いやあああ!変態いいい!」



もう半べそ状態で、人々の間を走り抜ける。先生に走るなと言われても止まるわけにはいかない、止まったら奴に捕まってしまうから。奴に捕まったら最後、私は、私は…!



「いい加減諦めろって」
「ひっ、いや、いやです!」
「えー、俺悲しいー」
「か、悲しまれてもいやなもんはいやなんです!」



はっきり言おう、私はナギ先輩が好きだ。好きな気持ちはナギ先輩もわかっている。わかっているからこそ、嫌がらせで追い掛けてくるのだ。本当に嫌な奴だと思う。そう思うのに、好きな気持ちは変わらないのがまた悔しい。



事の始まりは単純だった。
私は魔導院に入った頃からナギ先輩に一目惚れしてしまった。ただ遠くから見つめるだけで自分からアクションを取ろうとは思わなかった。まずそんな勇気が、私にはない。
ナギ先輩は男女共に人気者だったから話し掛けることはおろか、近寄ることもできなかった。そんな私を見かねたレムちゃんが、ナギ先輩に何か言ったらしく、私に近付いてきたナギ先輩は笑顔で「俺に何か用?」と言ってきた。
せっかくナギ先輩から話し掛けてくれたにも関わらず(レムちゃんのお節介のお陰だが)突然話し掛けられたことで私の思考回路は停止し、頭の中が真っ白になった。ナギ先輩の笑顔を間近で見て、一気に体温が上昇し顔に熱が集まる。



「うわ、めっちゃ顔真っ赤。大丈夫?」
「!!?、だだ、大丈夫、なわけ、ななないじゃないですか!」
「え?」
「ななナギ先輩、がっ、そのっ、かか、かっこいいからっ、その、わ、わ悪いんです、よ!」
「……へぇ、キミ、面白いねー。よし、そんなキミには俺からプレゼント!」
「おもっ、?えっ」



瞬間、何が起こったかわからなかった。ただわかったことは、香ったことのない匂いと誰かに抱き締められているという包容感だった。周りからキャア、と女子の黄色い声が聞こえる。ちょっと、これは、ちょっと。



「どう?俺からのプレゼ」
「いやあああ!」
「おっと」



ナギ先輩から急いで離れる。もちろん心臓は大きく脈を打ってるし、顔なんて熱いどころじゃない。身体全体が溶けてしまいそうなくらいだった。レムちゃんに視線を向ければこうなるとは思っていなかったのか、目を丸くさせて私を凝視している。



「あれ、嫌だった?」
「!!」



ナギ先輩がにこにこした顔で自分に近付いてくる。
やばい、その顔かっこいい、ていうか今ナギ先輩にさらっと抱き締められた?一瞬だったけど良い匂いだったな、結構筋肉質だったな、と余韻に浸りたかったのにそれをナギ先輩はさせてはくれないらしい。にこにこの顔が段々ニヤニヤとした顔に見えてきて、それすらもかっこいいとか思ってしまう私はもう駄目かもしれない。
徐々に近付いてくるナギ先輩に私は反射的にナギ先輩から距離を取る。そして、もう駄目だと思った私はナギ先輩から逃げ出した。

それからだ。ナギ先輩と鬼ごっこ的な何かが始まったのは。



「はぁ、はぁ」



クリスタリウムの一番奥の本棚に私は身を潜める。
いつ来るかわからないからいつでも逃げられるように身構えているつもりだが、如何せんナギ先輩は気配を消してくるのですごく厄介だった。なんでそんな隠れるのが上手いのか、教えてほしいくらいだ。
息を整えながら、本棚を背に周りを警戒する。何故かナギ先輩は私を見つける度に追い掛けてきた。目が合ったと思ったら、物凄い速さで私の元に走ってくる。獲物を捕らえるかのように走ってくるナギ先輩を見て、逃げなくては、という逃走本能が働き、私は逃げているのだ。
本当はそれを嬉しいと思う反面、なんで自分のところなんかに、とおそれ多く思う私がいた。



「からかってるだけ、」



からかっているだけだ、ナギ先輩は。ナギ先輩は私を面白がって追い掛けてくるだけで、本当は捕まえようとなんてしない。いつも寸止めだった。私が疲れたのを見計らってか、タイミング良くレムちゃんが来てくれたり、シンクちゃんが来てくれたり、と最後までは追い掛けてこなかった。
お陰様で、体力がかなりついた。こないだ朱雀マラソンで5位をとったくらいに体力だけはついていた。ナギ先輩は2位だったけど。さすがナギ先輩だ。



「はぁ…」



ナギ先輩が現れる気配もないし今回もまた、レムちゃんか誰かがタイミング良く現れるんだろう。
なんだか虚しくなってきた。なんで私、ナギ先輩に追い掛け回されてるんだろ。



「溜め息つくと、幸せ逃げるぜ?」
「?!!ぎゃっ、な、ナギ先輩!?」



ストン、と何かが落ちてきたと思ったらそれはナギ先輩で、後ろは本棚、目の前はナギ先輩、と逃げ場が失われてしまった。ナギ先輩はしゃがみ、私と目線を合わせる。
うわ、近い近い近い近い!



「さて、今回は捕まってもらうからな」
「ななななんで、ですかっ」
「え?あー…うん、俺ももう我慢できなくなったから」
「え、我慢…?」
「そ。俺から毎回逃げるなまえがもう可愛くて可愛くて。変態、とか言いながら逃げた日にゃあ、その変態っつーのも極めていこうかな的な」
「きき極めなくていいですから!」



というか何言ってるんだこの人!誰が、可愛いって?え、空耳だよね、ナギ先輩が私のことをかか可愛いって言うわけ、ない。
目の前にナギ先輩がいてもう何が何だかわからなくなり、ナギ先輩から逃げるように顔を逸らす。



「わわ私なんか、ただからかってるだけ、ですよね」
「最初はね。俺から必死に逃げるなんて面白いなって。あんなに必死に逃げられたらさすがに俺も追い掛けなきゃいけないような気がしてさー」
「ででも、ちゃんと私の限界を、わわわかってたじゃないですかっ」
「お、わかってたんだ?まぁ、さすがに俺も鬼じゃないし、当分この関係を楽しむのもいいかなーって」
「それ、お鬼ですよ…!!」



ナギ先輩とは目を合わせないように、必死に言い返す。この関係を楽しむって、少し、いやかなり嬉しかった。ナギ先輩には言えないし言うつもりもないけど。
でもなんで今日に限って追い詰めるのだろう。そう思っていたら、急に顎を掴まれて強制的に上を向けさせられた。



「んなっ」
「でも今日はなんかすごく捕まえたくなってな。俺の側にいてもらいたくてつい捕まえちゃった」
「つつ、ついって」
「ね、俺のこと、好きなんでしょ?」
「うっ……」



ボン、と音が出そうなほど顔に熱が集まり、心臓もこれでもかというくらい早く脈を打っている。ナギ先輩の真剣な表情に、私は聞こえるかわからないくらいの声で、ハイと答えた。その答えに、ナギ先輩は満足そうに笑う。



「俺も、なまえがスキ」
「え」



そう言うとナギ先輩の唇が自分の唇に触れた。触れるだけの優しいキス。私の思考回路はショート寸前だった。そんな私を知ってか知らずか、ナギ先輩は少しだけ顔を離してニヤリと笑う。



「小動物みてぇ」
「〜〜〜っ」
「顔真っ赤。めっちゃ可愛い」
「かかからかわないで、くださいっ!」
「そういうとこも、すげーそそる」
「?!」
「これからもよろしく、な。なまえ」



低い声をして耳元で喋るナギ先輩に、真っ赤な顔をした私は何も言えず身体を強張らせるだけだった。


(過剰に反応するキミが可愛くて、気付いたら追い掛け回したくなるくらいスキになってた)