自覚



 起きるタイミングがもっとズレていたら、あんなことを聞かずに済んだのに。





 ふと目が覚める。目線を動かして周りを見回すけれどナツさんの姿はない。寝る直前まで手を握っていてくれた彼にお礼を言わなければ。
 その前に喉がからからで口の中が気持ち悪い。体が水分を欲していて、その欲望を満たすために私はゆっくり体を起こした。まだ怠さは残っている。だけど眠る前と比べたら少しは楽になったような気がした。


「…はぁ」


 足をベッドから下ろして息を吐き出す。またなんでいきなり熱なんか出たんだろう。研究に没頭しているときは熱はおろか寝込んだこともないのに。
 私がこうなった一因として考えられるのは彼、ナツさんしかいなかった。私のテリトリーに突然入ってきたのだから彼のことを考えないわけがない。今まで男性とまともに会話していないせいか、男性に対して耐性がなく、四六時中もいる彼を意識するのに時間はかからなかった。
 変なことに現を抜かして体を壊すようじゃあ研究者として失格だ。


「……?」


 ベッドから降りて研究室へ続く扉に歩いていく。ふと誰かの声がして、私は首を捻った。この声はナツさんの声で間違いない。でも彼は独り言を呟くような人ではない気がする。嫌な予感がしつつ、扉に耳をくっつけた。


「相手がかなり警戒心強くて、なかなか上手く行動できないんですよ」


 その言葉を聞いてガツンと頭を殴られるような衝撃が襲う。そして段々動悸が激しくなる。ナツさんの言葉が意味深長なのは確実であり、多分聞いてはいけないものだ。そう頭ではわかっているのに、私は息を呑んでその場に佇む。


「そうかもしれません。…一応今まで集めた資料は仲間に渡しておきます」


 仲間。その言葉で確信する。ナツさんは白虎の人ではない。ナツさんは蒼龍か朱雀の、間者だ。


「!」


 足音が聞こえる。その音は段々こっちに近付いてきていて、私は慌ててベッドの中に潜り込んだ。
 布団の中で息を潜める。不意に扉の開く音が聞こえて、目をぎゅっと瞑った。やがて扉の閉まる音と足音が遠ざかっていく。私はそっと目を開けて扉のほうに視線を向けると扉はきちんと閉まっていて、ホッと安堵の息を吐いた。

 少し時間を置いて、私はそっと寝室から研究室を覗く。研究室を見回してもナツさんの姿は見当たらない。もしかして、仲間のところに資料を渡しに行ってしまったのだろうか。
 寝室から出て机の側にある内線電話を手に取る。ナツさんが間者なのは確実で、私の資料を仲間に持っていこうとしているのだ。知らせないと、皇国の人に。知らせないと――。


「(……でも)」


 ボタンを押そうとする手を止める。そっと内線電話を置いたあと、私は椅子に腰をかけた。
 私にはナツさんを間者として報告することはできない。いや、そんなことしたくなかった。
 私がナツさんを間者として報告すればナツさんは処分される。そして多分、私がそれを報告しなければいずれナツさんに殺されるだろう。
 彼との過ごした時間がもっと短ければ私は迷わず前者を選んでいたかもしれない。しかし、彼が間者だと気付くのに余りにも時間がかかりすぎた。さっきの会話を盗み聞きしていなかったら、ずっと知らないままだっただろう。
 私はどうしたい?自分で自分に問い掛ける。私が連絡すれば私がナツさんを殺したことになる。でもそうしなければ私自身が殺られてしまう。どうすればいい?どうしたらいい?そんなこと、誰にもわからない。自分自身もどうしたらいいのか、わからないのだ。
 クリスタルの忘却により死者の記憶はなくなる。だから、ナツさんが死ねば彼との記憶がなくなる。それを頭ではわかっているのに、私は彼に死んでほしくないと思ってしまった。もう、ここまできたらどうしようもできなかった。


「もー、やだ……」


 そう呟いて机に突っ伏す。嫌だ、何もかも。あの事件からここに閉じ込められて楽しくもない研究をやらされて。研究者の暗殺を目論む敵国に命を狙われて。自分が何のために生まれてきたのか、わからなくなった。

 殺されるのをただ待つなんて卑怯かもしれない。でもどうせ死ぬ運命なら、こんな結末になっても最終的に誰も私を覚えていないのだから、ありだろう。
 私は彼に死んでほしくない、彼が死ぬくらいなら私が死んだほうがいい。もうこの世界で生きるのは辛い。それならばせめて好きな人に殺されて逝きたい。

 そんな考えがぐるぐると頭の中を駆け巡る。盗み聞きなんてするんじゃなかった。聞いてしまった今となっては後悔しかない。でも、聞いてしまった以上、私が彼を通報する以外に自分の生きる道はない。どうせ死ぬ運命なら、残り少ない余生を私なりに楽しむのもありだよね?


「…顔、見たいな」


 彼の仮面の下が見たい。彼がどんな人でどんなところにいてどんな生活をしているのか。なんだか凄く聞きたくなってきた。私自身の考えが纏まったからだろうか。
 ふと顔の横にある紙が目に入る。書き途中だった研究資料だ。徐にそれを手にとって資料を眺める。文字がつらつらと書かれている紙の端っこに見慣れない文字が目に止まった。


「…"無理は禁物"」


 私以外にそれを書ける者は一人しかいない。胸の奥が締め付けられて、小さく息を吐き出した。そして思い知らされる。
 私は自分が思っている以上にナツさんのことが好きなのだ、と。


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