手を繋いですぐに、すやすやと寝入ってしまった彼女に思わず口端が上がる。彼女の小さな手は、逃がさんと言わんばかりに俺の手を掴んでいて、俺は小さく息を吐いた。 あの日から彼女と俺は当たり障りのない会話しかしていない。詮索するような話はお互い避けていた。 彼女の顔をちらりと見る。目の前にいる彼女は朱雀にとって危険な存在だ。消さなくてはならない、そうわかっているのに俺は未だに彼女を生かしている。 何のために?彼女と仲良くなれば他の機密情報などが手に入ると思ったから。しかし俺と楽しそうに話していた彼女は、あの日から口数がめっきりと減ってしまったのは確かだ。最初こそ俺から何度か話を振ってみたけれど、から返事が返ってくるだけで会話も長く続かなかった。 俺の正体がバレたとは思えない。それに彼女が俺に興味を持っていることはわかっている。なのに今はそれを抑えているような、そんな気がした。 「(まっ、俺には全然関係ないけど)」 そう、関係ない。もう必要な文書はまとめてあるし後は彼女を殺して帝都から脱出するだけだ。 それなのに、未だ彼女を生かしているなんて、俺は何を躊躇っているんだろう。俺はただ、自分の責務を全うする、そのためにここに来たんだ。 「…ちっ」 思わず舌打ちする。誰に対しての舌打ちか、自分が一番よくわかっていた。 力がなくなった手を離して、懐から折り畳み式のナイフを取り出す。ナイフの刃を出すと、俺は彼女の顔に目を移した。彼女は小さく寝息をたてていて起きる気配はない。これで心臓を刺せば彼女は死ぬ。そうすれば俺も任務が終わり、朱雀に帰れるのだ。 ベッドに近寄ってナイフを持つ手に力を入れる。大丈夫、彼女が死んでも彼女との記憶は消えるのだから、恐れることなんて何もない。そう自分に言い聞かせながらナイフを振り上げた。 「ナ、ツさん…」 「!?」 心臓を貫く一歩手前で手が止まる。刃先は心臓を指していてすぐにでも殺せるのに、彼女のうわ言のせいで手が止まってしまった。ナイフを握る手にじとりと汗が出てくる。見てはいけないと思いながらも、俺は彼女の顔に視線を向けた。 苦しそうに眉間に皺を寄せている彼女の額には汗が滲み出ている。それだけで彼女の辛さが伝わってきた。 「…はぁ、くそ」 俺はナイフを懐にしまう。思えば寝込みを襲うなんて俺らしくない。しかも相手は熱に魘されているのだ。そんな相手を襲うのは俺の趣味じゃない。それにチャンスならいくらでもある。決してうわ言に毒気を抜かれてしまったわけではない。 そう自分に言い聞かせて、俺は寝室を後にした。 彼女が寝てから数時間が経つ。夕餉も食べずに寝たのだ、空腹で目を覚ますかもしれない。俺は炊き上がっているご飯を土鍋に移し入れ、水を足してお粥を作ることにした。 ぐつぐつという音を聞きながらふと我に返る。何やってんだ、俺。マジで何やってんだ。本来の目的は研究者の暗殺と、その資料を持ち帰るためなのに、何悠長にお粥なんか作ってるんだ。彼女のお守りをするために来たわけじゃないだろ。確かに彼女は今弱ってるし、可哀想だけどでも寝込みを襲うのは…。 「あー、もー嫌…」 そう呟いて椅子に腰をかける。彼女を殺して朱雀に帰る。ただそれだけのことがどうしてできないのか。自分に嫌気がさした。 お粥が完成したと同時にCOMMに通信が入る。俺は火を止めたあと、COMMのスイッチを入れた。 「はい」 『ナギか?任務の進行具合はどうだ?』 「あー…まだ少しかかりそうっす」 『そうなのか?』 「相手がかなり警戒心強くて、なかなか上手く行動できないんですよ」 『…やはり情報が漏れたことで警戒されているのか』 「そうかもしれません。…一応今まで集めた資料は仲間に渡しておきます」 『あぁ、そうしてくれ。くれぐれも見つからないようにな』 「了解」 そう伝えたあとCOMMの電源を落とす。そして俺は寝室に向かって歩き出した。 取っ手に手をかけてゆっくりと扉を開ける。薄暗い寝室に目を凝らしてベッドを見ると、彼女は未だに眠っていた。 「(今のうちに見張り役の仲間に資料を渡しに行くか)」 そう思い立った俺は寝室の扉を閉めて、彼女の研究所を後にした。 [*前] | [次#] [戻る] |