恩恵



 ナマエが倒れる瞬間、クラサメ士官が素早く抱き留める。いつもながら強引だ、とナマエを哀れに思いながら俺はカヅサさんに視線を向けた。


「ナギくーん、謝るからそんな殺気染みた目で見ないでよ」
「……女相手に容赦ねぇっすね」
「ナギ、これがもし白虎の密偵だったら」
「ナマエは密偵なんかじゃない」


 クラサメ士官の言葉を遮って、今度はクラサメ士官に視線を向ける。俺と目が合ったクラサメ士官は一瞬目を見開いたあと、はあ、と呆れたように溜め息を吐いた。


「そんなにこの女が大事か」
「…………」
「なら尚更白虎の密偵か調べる必要があるだろう」
「…書状を預かってます」
「書状だと?」
「はい。ナマエの親が残したであろう手紙です」


 ポケットからそれを取り出そうとしたとき、重要なものかどうか分からないが廃屋で拾った写真を思い出した。
 俺は写真は取り出さず、カトルから渡されたであろう書状をクラサメ士官に差し出す。クラサメ士官はナマエを研究室にある寝台に乗せた後、書状を受け取り紙に目を通した。
 読み終わったのか、紙から視線を逸らし俺に向ける。


「これを誰から預かった?」
「……カトル・バシュタールです」
「なに?」


 俺がそう言うとクラサメ士官の顔が険しくなる。そりゃあそうだろう、諜報部にはカトルと対峙したなんて言っていないのだ。新型魔導アーマーのことも追い追い話すつもりだったとはいえ、これまで報告もせず黙っていたことは許されることではなかった。
 クラサメ士官は腕を組んで何やら考え込む。不意に俺に目線を向けると、口を開かせた。


「暫く様子を見て、それから処分を決める」
「だからナマエは白虎の密偵なんかじゃ…」
「わかっている。密偵ではないにしろ、彼女が白虎から亡命してきたというのは、朱雀にとって貴重な存在であり有力な人材だ。だが、両親が白虎と朱雀の人間、というのが気にかかる」
「…気にかかる?」
「彼女の親は、お前や彼女が思っている以上に危険な存在だったかもしれん」


 眉間に皺を寄せて、クラサメ士官は言う。どういう意味だと顔を顰めるけれど、ある事件を思い出した俺は口を噤んだ。
 もう随分昔のことで端々でしか思い出せないが、あの事件に彼女の親が関わっているとしたら、確かに朱雀にとっても白虎にとっても危険な存在かもしれない。


「俺はあの件について詳細を探る。カヅサは彼女のことをよろしく頼む」
「あぁ、任せといてよ」
「くれぐれも変なことをしないように」
「わーかってるって。それにもしそんなことしたらナギ君に殺されちゃうしね」


 そう言いながらカヅサさんは俺にウィンクをする。思わずカヅサさんから視線を逸らすと、クスクスと笑う声が耳に入った。鳥肌がたって自分で自分を抱き締める。
 クラサメ士官はふぅ、と小さく息を吐くと踵を返した。ハッと我に返ってクラサメ士官に声を掛ける。


「あの、俺は――」
「お前は報告書を提出次第、彼女の様子を随時俺に報告。カトルのことは…上層部にはまだ黙っていろ」
「…了解」


 その言葉に内心ホッとしながら、俺はクラサメ士官を見送った。カヅサさんに振り返ると、カヅサさんは怪訝そうな顔付きでナマエのことをじっと見つめていた。何やら考え込んでいるようで、話しかけるのを躊躇う。
 不意にカヅサさんの口が動いた。


「彼女、白虎と朱雀のハーフだったよね?」
「え?あぁ、そうですね」
「なら朱雀クリスタルの恩恵を受けていてもおかしくないはずだよ」
「…でもナマエは白虎に居たじゃないですか。それでもクリスタルから恩恵なんて受けられるんですか」
「彼女はそれが嫌で君とここに来たんだろう?」
「…………」


 カヅサさんの言葉に思わずナマエを見やる。まさか、ナマエに魔法が使えるとカヅサさんは言いたいのか。魔法を使えるといっても詠唱が必要だが、それを教えれば彼女も魔法を使えると?そんな都合のいい話、信じられない。
 カヅサさんは俺の様子に目を細めると、眼鏡のブリッジを押し上げて口を開いた。


「まぁまだ調べてみないことにはわからないけどね」
「…もし」
「ん?」
「ナマエに魔法が使えたら……ここに居させてもらえるんでしょうか」


 ふと不安そうにしていた彼女の顔が脳裏を過る。カヅサさんの言ったことがもし本当だったら。もし魔法が使えるとわかったら、彼女はここを追い出されずに済むのだろうか。
 俺の言葉にカヅサさんは黙ったままで、俺は慌てて首を横に振った。


「すんません、急に。ちょっと気になっただけなんで、気にしないでください」
「…ナギ君は余程この子のことが好きなんだね」
「は?」
「いやぁ、青春だねぇ」


 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべるカヅサさんに顔が引きつる。そりゃ好きだけど、面と向かって言われるとどう返したらいいのかわからない。それに相手が相手だからか変に返すと面倒くさそうだ。
 俺は踵を返す。そんな俺の後ろからカヅサさんの声が耳に入った。


「そうそう、彼女のこと調べ終わったらちゃーんと連絡するから、すぐ来てね」
「…了解です」


 振り返らずにそれだけ言うと、俺は研究室を後にした。


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