抱擁



 ナギが外に出ると同時に私はベッドの上に寝転がった。小屋の隙間から漏れる風の音を聞きながら、毛布の中に体を滑り込ませる。
 白虎出身の自分達は生まれた頃から雪国の生活に慣れているお陰で、寒さにはどの国の人間よりも強い。その点穏やかな気候である朱雀出身のナギには、イングラムに潜入していたとしても、短期間でこの寒さに慣れるわけがないのだから、いつ風邪を引いてもおかしくないのだ。今までよく耐えてると思う。


「(それにしても天気悪いな……)」


 毛布を肩までかけて窓に目線を移す。窓から見える外の景色に、私は小さく息を吐いた。外はきっと物凄い吹雪なのだろう。
 どれくらい時間が経ったのだろうか。そんなに長い時間は経っていないはず。なのに、ずっと毛布にくるまっていたからか、自然と体が暖かくなってきた。心地良い暖かさに瞼が重くなる。


「…ナマエ?」
「!」


 不意に私の名前を呼ぶナギの声に視線を上げる。そこには手を伸ばせば触れそうな距離で、鼻を真っ赤にさせたナギの顔が目に映った。


「眠いのか?」
「…正直眠い、です」
「寝てもいいぜ?俺見張ってるから」
「ナギ、も一緒に…」


 そう言いながら私は彼に手を伸ばす。そしてナギの頬に手を添えると、外に居たからか彼のほっぺは凄く冷えていた。
 冷たい。鼻も赤くさせて、寒いだろうに、私のことばっかり気にかけて。自分のことも少しは大切にしてほしい。
 私は徐にもう片方の手もナギの頬に添える。私の行動にナギは目を丸くさせて呆然としていた。


「ちょ、ナマエ…」
「ほっぺ、冷たいですよ」
「……そりゃさっきまで外に居たからな」
「体も冷えてるでしょう?」
「まぁ、多少は…」
「入ってください」


 せっかく暖めておいたんですから。
 私がそう言うとナギは目を点にさせる。その刹那、顔全体が真っ赤に染まった。思いがけない反応に思わず頬が緩む。


「〜〜っ、ナマエ、お前なぁ…!」
「ふふ、なんか、かわいいですね」
「はあ?……あーもう、俺の気も知らないで」


 ナギはそう言いながらがしがしと頭をかく。笑いが込み上げてくるのを我慢していたら、毛布の中がひんやりと冷たくなった。そして、体が冷たい何かに包まれる。


「はーあったけぇ」
「な、なな、なっ!?」
「んだよ、入っていいっつったのはナマエだろ?」


 彼の声が耳元で聞こえて、カッと頭に血が上った。
 ナギに抱きすくめられていることに気付いた私は離れようと胸板を押すけれど、背中に回っている腕がそれを許さない。それどころがぎゅっと強く抱き締めてきた。
 眠気が一気に吹き飛んだ私は顔を俯かせる。入ってくださいと言ったのは私のほうだけど、まさか抱き締められるとは思わなかった。ナギの予想外の行動にただただ固まることしかできなかった。


「…………」
「…………」


 会話がなくなる。こんな至近距離で何を話せばいいのだろう。ぐるぐると思考を巡らすけれど、体が密着しすぎて内容を考えようとしても全く思い付かなかった。
 暫くするとさっきまで冷えていた体が暖かくなってくる。自然と瞼が重くなってきて、思わず額が彼の胸に当たってしまった。ハッとして慌ててすぐに頭を放す。


「寝てもいいからな」
「えっ……」


 彼の言葉に顔をあげようとしたが、私の後頭部に手が回り、頭ごと胸に押し当てられてしまった。


「あの…?」
「悪い、今すげぇヤバい顔してるから見ないで」
「…はい」


 彼の言うヤバい顔というのはどういうことなのか一瞬考える。ふと鼓動のような音が聞こえてきて、私は耳を澄ました。その音は目の前にある胸の辺りから聞こえていた。

 もしかして、ナギの心臓の音…?

 それに気付いた私は胸が高鳴る。どきどきしてるのは私だけかと思っていたけれど、私と同様にナギもどきどきしてるんだと思うと頬が緩んだ。にやけてる顔を見られなくてよかったと心底思った。
 彼の心臓の音が不思議と安心感を与えてくれる。そのうち急激に眠気が襲ってきて、私は彼から伝わる温もりを感じながら瞼を閉じた。







 ナマエを抱きすくめてからどれくらい時間が経ったのだろう。顔を見るなと言ってから俺たちの間に会話はない。あんなに冷たかった体は布越しから伝わる温もりのお陰もあり、だいぶ暖かくなった。
 大人しくなった彼女の顔をそうっと覗き込む。ナマエの双眸は閉じられていて、小さな寝息をたてて眠っていた。思わず頬が緩む。その寝顔を見ながら、俺は欠伸を噛み締めた。
 ふと窓を見遣る。窓の向こうはいつの間にか闇に包まれていて、日が暮れたのだと悟った。夜に移動は危険すぎるため、このままここに一泊するしかない。朝には吹雪も収まってるといいけど、と思いながら小さく息を吐いた。
 不意にグゥという音が耳にはいる。それは紛れもなく自分の腹の音だった。牢獄を脱出してから何もお腹に入れてないせいか空腹感に苛まれる。これは何が何でも明日には町に着かなければ、と意気込んだ。


「(それにしても、まさかこんな日が来るとはなぁ…)」


 ナマエの頭を撫でながら自分で自分を笑う。こんな時代でまさか恋というものをする日が来るとは自分でも思わなかった。
 仕事柄、恋だなんだをする余裕も暇もない。色恋が邪魔だとは思わないけれど、俺のしていることは人に知られてはいけないものだ。詳細を語ることは許されないし、人によっては嫌悪感を抱くだろう。汚ない仕事だけれど、やりがいはあった。
 そんな自分が、恋に落ちるとはなんて滑稽だろうと自嘲する。しかも相手は敵国の人間で、俺とは全く正反対な奴なのだ。感情というものは本当に不思議である。


「(…でも)」


 彼女が自分に好意を持ってくれてるのは正直言うと嬉しい。しかし、罪悪感もあった。
 自国を捨てることがどれほど危険なものか。彼女にはああいったけれど、実際どうなるかなんて俺も計り知れない。できる限りのことはやるが、結局決定権は上層部にあるのだ。俺がどうこう言ったところで、上層部が拷問だと言った時点でナマエは拷問部屋行きだ。


「(もし、もしもそうなったとしたら…?)」


 俺はまたナマエの顔を覗き込む。何か夢でも見てるのか、僅かに口端が上がっていた。そんな彼女を見て、いとおしさが込み上げてくる。


「(俺は……)」


 込み上げてくるいとおしさを胸に、俺は眠りこける彼女の額に唇を落としてランタンの灯火を消した。


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