名前



 階段から踏み外さないように一段ずつ降りていく。階段がなくなったあと、鞄から小さなランタンを取り出して明かりを灯した。ランタンをかざすが先は真っ黒で何も見えない。
 私は息を呑んでからからに渇いた口を開かせた。


「なっ、ナツさん!」


 私の声が地下牢に響き渡る。しかし音も声も何も返ってこない。声が出ないほどの重症を負っているのかと思うと血の気が引いた。
 私はおそるおそる足を動かしてひとつずつ牢獄の中を見ていく。屍が無造作に放置してあるせいで鼻がもげそうなほどの腐敗の刺激臭に吐き気を催した。手で鼻を押さえて口呼吸をするけれど、耐えきれずその場で踞る。


「うっ…〜〜っ」


 胃の中から異物が込み上げてくるのを堪えながら、這いずるように進む。
 マスクを持ってこればよかった。あの時はマスクをしていたからかこんな酷い臭いを経験することはなかったけれど、もしマスクをしていなかったら確実に持ってきてたのに。
 心の中で今更後悔しながら、吐き気と闘いつつ歩を進める。とにかく早くナツさんを見つけて匿わなければ、薬の効果がきれて助けるどころか共倒れになってしまう。それだけは回避したい。


「な、つさん…!」


 声を絞り出して名前を呼ぶ。すると微かに布の擦れる音が耳に入った。私は足にぐっと力を入れてその音がした方へ進む。そして、ひとつの牢獄にたどり着くと目の前に倒れているナツさんの姿が目に飛び込んだ。


「なっ、ナツさん!!」
「…?」


 鉄格子の先にはナツさんが傷だらけで横たわっている。舌を噛ませないためか口の中に布が食い込ませてあり、喋られないようだった。私の姿が見えず明かりが辺りを照らしているからか、ナツさんは目を丸くしている。


「大丈夫ですか、ナツさん!」
「んぐっ……」


 ナツさんは戸惑いを隠せないのか眉間に皺を寄せて目だけを動かす。私はランタンを下に置いて、鞄から凍結薬の入った霧吹きを取り出した。
 そして私は二本の鉄格子に霧吹きをかけていく。すると鉄格子はみるみるうちに氷のように固まっていき、やがて霧吹きがかけられた部分の鉄格子は真っ白に染まった。その部分を思いきり拳で突き破る。


「っ…!?」
「ナツさん、大丈夫ですか!?」
「むっ…んんっ…?!」
「え?……あ」


 ナツさんの瞳が真っ直ぐ私を捉えていることに気付く。自分の身体に目を移すとさっきまで透明だったのにいつの間にかそれが解けていた。どうやら効果が切れたらしい。なんてタイミングが悪いんだろう、そう思いながら私はナツさんの口を塞いでいる布をほどく。口から布がなくなったナツさんは私を見上げておもむろに口を開いた。


「…はあ、…どうしてここに…?」
「…ナツさんを助けに来たんです」
「…………」
「少しじっとしててくださいね」


 私はさっきの凍結薬を手にしてナツさんの傍に腰を下ろし、凍結薬入りの霧吹きで彼の拘束具にかけていく。その拘束具は鉄格子と同様に凍りついていき、やがて真っ白に染まった。ナツさんはそれを見て、手にぐっと力を入れると、パキン、と音をたてて拘束具が割れた。足の拘束具にも同様に霧吹きをかける。
 霧吹きを鞄にしまったあと、私は鞄から完全回復薬を取り出して、手首を擦っているナツさんに回復薬を差し出した。


「これ、回復薬です」
「……いいのか?」
「え?あ、大丈夫ですよ、いっぱい持ってきたのでひとつくらいなくなっても…」
「そうじゃなくて」


 ナツさんは私の言葉を遮って、じっと見据える。ナツさんの言葉の意味を理解した私は、頬をあげて笑って見せた。


「もう覚悟を決めましたから」
「…そう、か」
「はい。だからナツさんは気にしないでください」


 どうぞ。そう呟いてナツさんの手元に回復薬を持っていく。しかし、ナツさんの手は止まったままで、回復薬を受け取る様子がない彼に私は首を傾げた。


「ナツさん…?」
「……じゃない」
「え…?」
「俺の名前はナツなんかじゃない」


 ナツさんはそう言って私から回復薬を受け取る。視線は未だ私を捉えたままで、私はナツさんの朱い瞳から目を逸らせずにいた。
 ナツさんはナツさんじゃない。ということは偽名を使っていたのか。そりゃそうだよね、だって彼は間者なんだから偽名を使わなきゃ敵を欺けないし。私ったらそこまで頭回らなかった。
 そんなことを考えながら彼を見つめる。やがて、彼の口がおもむろに動いた。


「ナギ」
「な、ぎ?」
「そう。俺の本当の名前はナギ・ミナツチだ」
「ナギ・ミナツチ……」


 繰り返すように彼の名前を呟く。彼の本当の名前を聞いたあと、私はハッと我に返った。


「わ、私はナマエです!ナマエ・ミョウジです!」
「……ぷっ」
「!」
「はは、…知ってる」


 そう言って微笑む彼が私には輝いて見えた。


- 14 -


[*前] | [次#]
[戻る]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -