危機



 研究室の扉が開いた音、誰かの話し声、そして扉の閉まる音が微かに耳に入る。声は小さくてはっきりとは聞こえなかったけれど、何故か嫌な予感がして私はそっとベッドから起き上がり研究室へ続く扉を開けた。
 研究室を見回すけれどナツさんの姿は見当たらず研究室は蛻の殻だった。テーブルの上にあるカップに気付いた私は研究室に足を踏み入れカップを手に取る。


「……ナツさん」


 外させていた仮面も見当たらない。外出するんだったら私が起きているときは事前に報告をするはずだ。私が起きていることはナツさんもわかっていただろう。それなのに事前に報告もなしにいなくなるなんて、胸騒ぎがしてならなかった。


「…行かなきゃ」


 ナツさんを探しに。
 そう思った私はカップを置いて白衣を羽織ったあと、研究室を飛び出した。


 研究室を飛び出して長い廊下をひたすら歩く。白衣をしているお陰で軍の人からの目線はそんなに浴びなかった。浴びなかった、というか妙に騒がしくて私に注目している余裕はないように感じられる。何かが起こっているのは目に見えて明らかだった。
 彼がどこにいるのかわからず、ただひたすら歩き続ける。そして、どこにいけばわからず歩いていた足は止まってしまった。


「(ナツさん、どこにいるの……)」
「なぁ、知ってるか?」
「ん?何がだ?」


 ちょうど曲がり角から人の声が聞こえる。私は咄嗟に身を潜めてそれを盗み聞きする体勢に入った。


「暗殺者を捕まえたって話」
「へぇ、それ本当か?」
「あぁ。さっき地下牢に行くとこ見たぜ」
「てことは早速拷問か。死ぬ前に吐けばいいけどな」
「まぁ吐かねぇだろうな。吐いたら吐いたで、仲間からの信用も国からの信用もなくなっちまうし」
「いや吐いたって結局殺されちまうんだ。信用もくそもねぇよ」
「それもそうか」


 そう言って笑い始める兵の人たちに、私は戦慄する。脳裏にナツさんの顔が過った。
 いつどこでどうしてナツさんが暗殺者だというのがバレたのだろう。いや、もしかしたらその連れていかれた人はナツさんではないかもしれない。とにかくナツさんを探そう、そう思うけれど足が竦んでしまって動かない。
 もしナツさんが連れていかれていたら?拷問されていたら?ナツさんが殺されてしまったら?
 それを考えるだけで体が竦み上がる。その場を動けないでいると、また話し声が聞こえてきた。


「その暗殺者、ちょうど研究者の護衛に就いてたんだってよ」
「はあ?研究者の護衛って……その研究者は今どうなってんだよ」
「殺されてないはずだぜ。さっき、暗殺者を迎えに行った奴が研究者のこと覚えてるっつってたし」
「研究者を暗殺するのが目的のくせに仕留め損ねたのか?馬鹿じゃねぇの」
「それがよ、暗殺者が護衛してた研究者、あの夫婦の娘らしいぜ」
「あぁ、あの娘か。ふん、若い女だからって情に絆されたのかねぇ。暗殺者が殺らなくたって結局捨てられるのに」


 彼らの会話に言葉を失う。研究者の中で若い女といえば私くらいしかいない。そして暗殺者が護衛していた、ということはやっぱりナツさんが捕まってしまったのだ。一体何故バレたのかはわからないけれど、このままではナツさんが殺されてしまう。でも、私がナツさんを救う手立てはない。


「(どうしよう……地下牢までの道は何となくわかるけどそこに行くまでが大変だし…)」


 もちろん地下牢の見張りもいるだろう。もし助けに行くのがバレたら拘束されてしまうし、最悪殺されることも有り得る。でも、そうでもしなきゃ私が彼を助けることはできない。
 私は足に力を入れて拳を握る。私にできることならなんでもやってやる。今、ナツさんを救えるのは私しかいないんだ。
 意を決した私は踵を返す。一先ず研究室に戻って救出方法を考えることにした。







 口の中が鉄の味がする。体のあちこちが痛い。あばらも何本かやられているだろう。動きたくても手首や足を拘束されて動くことができない。魔法を唱えようとしても反応はなく、魔法が使えないように構造されてるのかと思うと舌打ちをしたくなった。
 不意に前髪をぐっと掴まれる。


「おい、まだ息してるか?あぁ?」
「…はっ…」
「さっさと吐いたらどうだ。お前以外にあと何人、忍び込んでやがる?」
「…………」
「チッ、さっさと吐いたらすぐに楽にしてやるのに、よっ!」
「がっ……」


 前髪を掴んだまま冷たい床に叩きつけられる。頭がガンガンするのを感じていたら、不意にカツンと何かが落ちる音がした。目を薄く開けば、目の前に彼女からもらったチョコボの髪留めが目に映る。
 今頃、何してんのかな。こんな状況でそんなことを思う自分が馬鹿らしくて、自分で自分を嘲笑う。それが癪に触ったのか皇国兵がさらに俺の腹を蹴りあげた。


「かはっ…ゴホッ、ぐっ…」
「オイ、そこらでやめておけ。そいつに今死んでもらっては困るからな」
「はっ、さ…さと殺せ…よ…」
「死に損ないが。まだ噛みつく気か?」
「…布で口を塞げ。舌を噛んで死なれては困るからな」
「ハッ、承知しました」
「うぐっ……」


 口の中に布を無理矢理押し込まれる。もう少し丁寧なやり方でできねぇのか、と心の中で悪態つきながら、そいつらが牢を出ていくのを見送った。
 薄暗い地下牢で横向きから仰向けになる。さっさとずらかればよかった。今となってはもう遅いけれど。
 あと数時間で夜が明けるだろう。その時に奴等はここに戻ってくる。これから待ち受ける拷問にどれだけ苦しめられるか、考えるだけでゾッとする。
 そんな状況なのにも関わらず、頭の中に浮かんでくるのは彼女の顔だった。


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