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 あれから、任務が入ったりタイミングが合わなかったりで、気持ちを伝えるどころではないまま日々が過ぎていった。
 そんな焦ることでもないか、と言い聞かせつつも自分の中で悶々と少しずつ積もっていく。それはジャックも同じようで、私に声をかけるけれど、言いたいことも言えないまま色んなひとに声をかけられ、そして連れていかれてしまう。偶然にしてはできすぎている、そんな風に思えるくらいだった。



 その日は自習もそこそこに私はムツキとセブンとリフレで早めの昼食をとり、ムツキは武装研究所へ、セブンはクリスタリウムへ行ってしまった。一人取り残された私は小さく息を吐く。ちなみにジャックは私についてこようとしたが、トレイに捕まり教室へと強制的に連れていかれてしまった。どうやら今までの分の勉強がまだまだ残っているらしい。ご愁傷様と思うと同時に少しだけ寂しく感じた。


「あ、」


 ふと奥のテーブルの方に顔を向けると、レムの姿が目に入った。疲れているのか顔色もあんまり良いとは言えない。
 私は腰をあげてレムの方へと足を向けた。


「ふぅ…」
「レム?」
「!え…あ…ゴホッゴホッ」


 レムはびくりと身体を跳ねらせて顔を上げる。私を見たあと、少しだけ大きく咳をこぼした。慌ててレムの隣に座り、背中をさする。


「コホッ…」
「…大丈夫?」
「う、ん。ごめんね、ありがとう…もう大丈夫」


 そう言ってレムは弱々しく笑う。レムのことをきちんと見ていなかったが、少し痩せたような気がする。薬の副作用なのか、それとも病気の進行が進んでるせいなのか。きっと、どちらもだろう。よほど無理をしているに違いない。
 私の顔が険しくなっているのに気付いたであろうレムは、私が何か言う前にと口を開いた。


「ね、ねぇ、メイ、マキナがね、しばらく前に戻ってきたみたいなの」
「あ、あぁ、うん、教室にいたね」
「でも、なんかすごい疲れてるみたいで…マキナは大丈夫としか言わないんだけどね…」


 それはまるで今のレムのようだ。何もない、わけないだろうに。マキナのことも気になるし、もちろんレムのことも心配だ。かといって私から何を言っても無駄だろう。自分のことは自分が一番わかっているようだから。


「マキナ…どうしちゃったんだろうね…」
「……マキナのことも心配だけど、レムのことも心配だよ。お願いだから無理はしないでね」
「!…うん、ありがとう、メイ」


 レムになんて声をかけたらいいのかわからない私は、それを言うので精一杯だった。


 それから部屋に戻ると言うレムを部屋まで送っていったあと、教室へと足を運ぶ。マキナが教室にいるかはわからないが、少しだけマキナと話がしたかった。
 教室の前に着くと私は小さく深呼吸をする。様子がおかしくなってから、きちんと顔を見て話す機会はなかった。そのせいなのか、マキナと話すことに緊張してしまう。普段顔を合わせているならともかく、しばらく顔を合わせていなかったのだ。緊張するのも無理はない。
 私は深呼吸をしたあと、意を決して教室の扉を開ける。他の子たちもいるだろうと思ったけれど、何故か教室の中は空っぽだった。私たちが出て行く前はみんないたのに、今は誰一人として教室にいない。静かすぎる教室は気味が悪い。マキナも見当たらないし、教室を後にしようと思ったが、不意に裏庭に続く扉が目に入った。


「裏庭……」


 普段私は裏庭には行かないけれど、何故か今日に限って裏庭が気になった。
 もしかしたらマキナはそこにいるかもしれない。いや、いないかもしれない。とりあえず、見るだけ見てみよう。
 教室の中に足を踏み入れ、裏庭へ続く扉の方に足を向ける。ギシ、ギシ、と軋む教室の床が辺りに響く音を耳にしながら、私は扉に手をかけた。


「…!」


 扉を開くと、奥の方でマキナが一人佇んでいる。周りには誰もいない。マキナはこちらに背を向けていて、表情はわからないし、音に気付いてないのかこちらを振り向く気配は全くなかった。
 私は扉をそっと閉めて、マキナのほうに歩いて行く。一歩一歩マキナに近づくたびに、マキナから放たれる空気が重く感じた。
 足音に気付いたのか、マキナがゆっくり振り返る。マキナは私の姿を目に捉えると、少しだけ目を見開かせた。


「メイ……?」
「…マキナ、おかえり」


 まだ言えてなかった言葉を口にする。どこにいようと、マキナが帰る居場所はここだ、と訴えるように。しかし、その言葉を聞いたマキナは顔を歪ませた。自分はここにいてはいけないのだと、そう言っているような気がした。
 じっと見つめられているからか、足を止めて息を飲む。何か話そう、何か、ないのか。話題を考えあぐねていると、不意にレムのことが頭に浮かんで私は重い口を開いた。


「レムが…心配してたよ」
「………」
「マキナ…?」
「………なぁ…」
「え…」
「教えてくれ……」
「教える…?な、にを…」


 ゆらり、とマキナが動く。おぼつかない足取りでこちらに近付いてくるマキナに思わず後退るけれど、思うように体が動かないからかマキナとの間合いはすぐに縮んだ。苦しそうな顔、悲しそうな目を私に向ける。


「………オレは…怖かったのかもしれない…。大事な人を守れないこと、失うこと……、その人の記憶を失うこと…」
「マキナ……」
「いや、空っぽになって……ひとりで生きることが怖かったのかも……な…。なぁ……メイ」
「な、なに?」
「オレは…どうしたらいい……?これから…何を、誰を守ればいいんだ……?」
「そんな、こと…」


 私に聞かれても何も答えられない。マキナが何を思い、何を感じて、何に迷っているのか。
 ただ、今の私に分かるのはマキナは失うことを"恐れ"ている。クリスタルは死者の記憶を消し去ってしまう。そのことに対してきっと彼は恐れているのだろう。マキナのその気持ちは、痛いほどわかるから。


「マキナ、見失わないで…」
「見失う…?」
「何をどうすればいいのか、答えられることは私にはできない…、でも、マキナ自身を、マキナの本当の気持ちは見失わないで」
「…………」


 揺れる瞳に訴えかける。マキナの恐れを失くす言葉は簡単にはかけられない。だけど、今のマキナはいつものマキナじゃない気がして、そう声をかけるのが今の私の精一杯だった。
 不意に、マキナの手が私に向かって伸びてくる。何も言葉を発しないまま、向かってくるその大きな手のひらに私は息を飲んだ。


「メイ、みーつけた」


 その声とともにぐいっと腕を引き寄せられ、マキナの手は空を掴む。背中から伝わる温もりと、聞き慣れた声に私はホッと胸を撫で下ろした。