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 広場の前の階段に腰を下ろして数分。私はぼーっと噴水を見る。火照った頬は冷めたが気持ちは未だ落ち着く気配がない。教室に戻らなきゃいけないけれど、慌てて出て行ったからクラスにいた人たちはきっと変に思っているだろう。ジャックが追ってきたのだから余計に変に思ってる、かもしれない。


「…いや意外とそうでもないのかな…」
「何が?」
「わあっ!?」


 突然顔を覗き込んできた人に私は驚いて、後ろの階段の段になっているところを強打する。背中に衝撃と鈍痛が走り再び蹲った。


「ったぁ〜…」
「ご、ごめん、大丈夫?」


 聞き覚えのある声に顔を上げれば、そこにはシノさんが眉を八の字にさせて心配そうに私を覗き込んでいた。


「し、シノさん…お久しぶりです、ね」
「うん、久しぶり。元気にしてた?」


 シノさんはそう言いながら私の隣に腰を下ろす。シノさんとはローシャナ撤退戦以来だ。私が会える状態でなかったのと、会える状態になってからも会う機会がなかなかなくて、そのままズルズルと会えないままだった。
 シノさんの問いかけに私は曖昧に笑みを浮かべる。


「まぁまぁ元気でしたよ」
「瀕死だったって聞いたけど」
「えっ!?いやまぁ、そう、なのかな」
「まぁいいわ。今は元気そうだし、ね」


 シノさんは両手を組んでフッと笑った。ローシャナ撤退戦の時、シノさんは見かけなかったけど無事に帰ることができていてよかったと今更安堵する。シノさんのことを忘れていないということは生きているということで、決してシノさんの存在を忘れていたわけではない。毎日が忙しかっただけだ、と言い訳を自分に言い聞かせる私を他所にシノさんが口を開いた。


「そういえば、トキトってエミナさんに告白したんですってね」
「え、シノさんなんでそれを…」
「トキトから聞いたの。それで、私も伝えてきた」


 唐突の言葉に私はギョッとしてシノさんを見る。シノさんは私の視線に苦笑しながら、小さく首を横に振った。


「シノさん…」
「すごく驚いてた、まぁ無理もないわよね。どうすればいいのかわからない感じ、まだエミナさんを諦められないようだったし」


 そう言ってシノさんは肩を落とす。どう声をかけたらいいのかわからなくて何も言えないでいると、シノさんはポツリと呟いた。


「でもよかった」
「…どうしてですか?」
「ん?伝えられることができてよかったなって」
「伝えられること…」
「だってこのまま何も伝えられずに終わるのってなんか悔しいじゃない。そりゃあ振られちゃったのは凹んだけど、でも生きてるうちに伝えられてよかったわ。死ぬ時になって後悔したくなかったしね」
「………」
「メイも、伝えなきゃいけないことは生きてるうちに伝えときなさいよ。メイのことだから、どうせ自分の気持ち抑え込んじゃってるんでしょう?」
「うっ…」


 シノさんの言葉が胸に突き刺さる。どもる私にシノさんはやれやれというように肩をすくめたあと、スッと立ち上がった。


「さて、とそろそろ行くわ。メイ、約束覚えてるわよね?」
「…もちろん、一杯付き合いますよ」
「ふふ、ありがと。ま、私もまだまだ諦めないんだから!メイも、後悔のないようにね」
「はい…」


 そう言ってシノさんは私に手を振って、魔導院の中へと入っていく。それを見送った私は小さく息を吐きながら、空を見上げた。


「後悔のないように、か」


 不意にトキトさんの言葉を思い出す。


『ずっと理由をつけて後回しにしてきたけど、もう、ちゃんと自分の気持ちを言おうと思ってさ』
『後悔したくないから、伝えるよ』


 トキトさんも後悔したくないから、自分の気持ちを伝えた。シノさんも、後悔したくないから、と。結果がどうであれ、二人ともどこか吹っ切れたようなそんな様子で、私はシノさんやトキトさんを羨ましく思った。
 私に伝える権利はあるのだろうか。ふ、と思う。自分は人間の形をしているけれど、きっとみんなみたいな本物の人間ではない。そんな私が自分の気持ちを言葉にして伝えてもいいものなのか、わからない。
 みんなと同じように姿形も一緒、言葉も喋れる、喜怒哀楽もある、だけど、人間ではない。伝えたところで私はきっといなくなる。そんな時がきたら、私は伝えられなかったことを後悔するのだろうか。


「……人間とか、人間じゃないとか、そんなの関係、ないよね」


 想いがあるなら、きっと人間云々なんて関係ない。自分の想いを相手に伝えることが罪になるというわけでもない。伝えられなかった後悔を背負うよりも、ちゃんと伝えた方が心置きなく逝けるだろう。
 たとえ相手が自分のことを忘れてしまったとしても、私はちゃんと伝えたい。


「あ…クイーンに叱られちゃうかな」


 いつだったか、自分の気持ちは伝えない、と約束してしまったことを思い出す。あの時は本当に伝える気などさらさらなかった。ただ、あの時とは状況が変わってしまった。ジャックにちゃんと伝えたい、とそう思ってしまった。


「お叱りはあとでちゃんと受けよう…」


 私は伸びをして、腰をあげる。自己満足かもしれないけれど、自分なりに想いを伝えてみよう。それが未来にどう動くかわからないけれど、伝えないままいなくなるより、今こうしてモヤモヤしているよりもずっとスッキリするはずだ。
 私は踵を返し意を決して魔導院の中へと戻ると、ちょうど魔法陣が起動した。そこから現れた人物に目を見開く。


「あっ!メイ!」
「じゃ、ジャック…」


 ジャックは私を見るなり笑顔を浮かべる。現れるタイミングが良すぎやしないか。そう思いつつ、嬉しそうに駆け寄ってくるジャックの方へ私はゆっくりと歩み寄った。