292
唇が離れ、お互い黙ったまま見つめ合う。ジャックの手がおもむろに私の手を取り、自分の手と指を絡ませる。ジャックの頬は赤く染まっていて、いつものような笑みは浮かべていない。真剣な表情で私を見つめてくるジャックに私は何も言えないまま、見つめ返すのがやっとだった。 頭がぼーっとする。きっと今の自分は情けない顔をしているんだろう。それなのに、ジャックを突き飛ばしたりできないのはジャックのことが好き、だから。 不意にジャックの顔が近づいてくる。自然と瞼を下ろしたその時ーー。 『オイ!ジャック!聞こえるか!』 「!」 COMMから聞こえてきたのはナインの声で、その声色は妙に焦っているように聞こえる。私はナインの声で我にかえると、ジャックから反射的に離れた。ジャックは少し寂しそうな顔をしたが、ナインの声に応える。 「なぁに?今いいところだったのにー」 『報告書あとお前だけだぞ!早く提出しろよ、クイーンがカンカンになってっから!』 「え!またなんで?!」 『知らねぇよ。最近たるんでるっつってたぜ。羅刹クイーンになる前に早く提出するこった』 「うげぇ…。わかった、すぐ書いて持ってくって言っといて…」 『そんくらい自分で言えコラァ!そんじゃーな』 そう言うとナインからのCOMMは切れ、部屋の中に静寂が訪れる。お互い顔を見合うとどちらからともなくふっと笑みを浮かべた。 ジャックの顔は未だに赤みを帯びている。かくいう私もまだ顔は火照っていた。 「…じゃあ、今日はもう行くね」 「うん…」 名残りおさそうにジャックは私の手を離す。そして部屋から出て行くのを見送ったあと、私は力なくベッドの上に腰を落とした。それとともに小さく息を吐く。 「あーもう…」 やってしまった。ジャックとはこれ以上進みたくなかったのに、本能がジャックを求めてしまった。以前も同じことがあったけれど、以前より完全にキスをしてしまった以上もはや後戻りはできない。 これからどう接すればいいんだろう。そんなことを思いながら、私はごろりとベッドに転がる。 ふとずっとそばにいたであろうトンベリが、じとりとした目線を向けていることに気付いた。そういえばトンベリがいたんだった、と今更気付きそしてさらに顔が熱くなる。そんなトンベリから逃げるように私は頭から布団をかぶった。 ◇ ジャックはメイの部屋から出ると、ふぅと小さく息を吐く。心臓の音は未だ大きく高鳴っていて、ジャックは綻ぶ頬を引き締めるように下唇を軽く噛んだ。 「…危ないところだったなぁ」 苦笑いを浮かべつつ呟くとジャックは足を踏み出す。廊下はいやに静かで、ジャックは眉を顰めた。 魔法陣でエントランスへと移動する。0組の教室に足を向けるけれど、不意に誰かの視線を感じた。その感じた方向へちらりと顔を向ける。 「!」 ジャックの視線の先には、見覚えのある女性の姿が目に入った。 「マ、ザー…?」 ジャックはゆっくりと瞬きをする。その一瞬のうちに、ジャックの視線の先にいたであろう女性の姿はなくなっていた。 一瞬の出来事にジャックは不思議そうに首を傾げる。 「(マザー…だったのかなぁ。それとも僕の気のせいか…)」 そんなことを思いながら、教室へと続く扉に手をかけると、ジャックが開けるより先に扉が開いた。 「あ」 「おっと、わり…てなんだお前か」 そういうや否やナギは少しだけ顔を歪める。お前とはなんだお前とは、とジャックは呆れながらもナギが通りやすいように道をあけた。 ナギが通り過ぎるのを見送ったあと、ジャックは0組へと続く扉を開けようとする。しかし、ふと開ける手を止めて、ナギの背中に声をかけた。 「ねぇ」 「ん?」 「…なんで僕に教えてくれたの?」 「は?…あぁ」 ジャックの言葉にナギは最初首を傾げたが、やがてジャックの言いたいことを察すると、めんどくさそうに頭をかいた。 「あの時俺は手が離せなかったからなー」 「ふーん…」 「勘違いするなよ。俺に任務がなかったら俺がメイのところに行ってたっつーの」 「…みんなには?」 「あー…言わないでくれるとあいつも気まずくならないんじゃねぇか。ま、気付いてる奴がいるとしても、そいつは多分わざわざみんなには言わないだろ」 あとはお前に任せるよ。 そう言ってナギは再び歩き出す。ナギの言っていた気付いてる奴というのはキングのことだろう。確かにキングならわざわざみんなに言うことはないだろうし、言うとしたら本人か本人に近しい存在のナギにだけだ。ナギがどこからどこまで知っているのか気になるけれど、それを知るすべはない。 やけに大きく見えるナギの背中を見送ったジャックは、はぁと息を吐くとともに肩を落とした。
|