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 クリスタリウムの奥の本棚の仕掛けを押す。するとすぐに本棚が動いた。
 カヅサさんと目が合うと、カヅサさんは驚いたように目を見開いた。そして持っていたマグカップを置いて、私たちに駆け寄る。


「メイ君!気が付いたんだね」
「はい、お久し振りです、カヅサさん」
「元気そうで安心したよ…それにしても」


そう言ってカヅサさんは私とジャックを交互に見るなり、にこりと笑みを浮かべる。


「今日はまた随分仲が良いね?」
「え?あっ!」


 カヅサさんの言葉に慌てて手を離してジャックから距離を取る。クスクス笑う声が耳に入り、私は顔を逸らした。


「ちょっと、僕たちの邪魔しないでよねー」
「ごめんごめん、君たち見てるとついからかいたくなっちゃうんだよね」
「か、カヅサさん!あの人の容態はどうですか?!」


 その話題から逸らすために声をあげると、カヅサさんは「変わりないよ」と口にした。変わりないのか、そう思いながらトンベリを見やると、トンベリは寝台に横になっている主人の顔を覗き込んでいた。
 トンベリのためにも早く目覚めて欲しい。それを見るたびに思う。


「そうそう、エミナ君にもクラサメ君のこと話したんだ」
「エミナさんに話したんですか?」
「うん。まぁ覚えてないって言ってたけどね」


 そう言ってカヅサさんは苦笑を浮かべる。仕方ないといえば仕方ないだろう。生きているのにその人との記憶は失っている、それは異例であり異常なことだ。
 もしかしたらクラサメ隊長の存在が今のカヅサさんにとって辛いものかもしれない。でも、今彼を頼めるのはカヅサさんしかいないのも確かだった。


「カヅサさん、すみません…」
「ん?何謝ってるの。引き受けたからには最後まで面倒見るからさ、安心してよ」
「はい…」
「それにね、クラサメ君がいたから今のボクがいる。そんな気がしてならないんだ」


 カヅサさんはそう言ってクラサメ隊長を見やる。その眼差しは慈愛に満ちていて、少しだけクラサメ隊長の貞操が心配になったのは言うまでもない。
 ジャックはトンベリの側に行って一緒にクラサメ隊長の顔を覗き込んでいる。何か引っかかるものがあるのかと思いきや、マスクを外そうと手を伸ばしていた。それをトンベリに一蹴されている。
 カヅサさんから差し出された紅茶を飲みながらそれを眺めていたら、カヅサさんが隣にやってきて口を開いた。


「ジャック君との間に何かあったのかい?」
「え…な、なんでそう思うんですか」
「何となくかな。この間見た時よりも、二人の距離がぐっと近づいてるような気がして」


 にこにこ笑みを浮かべるカヅサさんに、気まずくなって思わず目を逸らす。前から思っていたが、カヅサさんは変に勘が鋭い。ジャックも勘が鋭いが、カヅサさんの鋭さは少し気味が悪かった。


「別に、何にもないですよ」
「ふーん?」
「……その笑みやめてくれませんか」
「いやぁ、とうとうジャック君とねぇ」
「とうとうも何もないですけど!」
「えへへ、わかっちゃう人にはわかっちゃうんだねぇ」


 いつの間に移動したのか、私の肩に手を乗せて自分に引き寄せる。慌ててジャックから逃れると、二人から距離をとった。二人は何故か共闘したかのように笑みを浮かべている。ジャックめ、カヅサさんのこと苦手じゃなかったのか。


「ジャック君、やっと報われたようで良かったねぇ」
「ありがとー。ほんと、長かったよー」
「長かったって、まだ一年も経ってないじゃないか」
「あれ、そうだっけ?んー、メイのことはずっと前から想ってた気がするんだよねぇ」


 その言葉に胸がぎゅっと締め付けられる。あの記憶が頭の中を過って、切ない気持ちになった。
 そんな私を他所に、二人は何やら盛り上がっている。


「そうそう聞いてよカヅサ。メイったらね、目が覚めたと思ったらいきなり僕に抱きついてきたんだよー」
「へぇ、そりゃあ大胆だねぇ」
「でしょ?もう僕びっくりしちゃってさ。あーでもあの時のメイ可愛かったなぁー」
「メイ君がねぇ…まさかそこまで発展してるとは思わなかったよ」
「ふふん、もう僕とメイの間を邪魔する奴なんていないもんねー」
「ちょ、ちょっと!ジャック!やめてよ!」


 ぺらぺら喋り出すジャックの腕を引っ張って止めようとするけれど、カヅサさんが「それで?」と口にする。ジャックは得意げな表情で口を開こうとした瞬間、私は慌ててその口を手で塞いだ。


「ぶふっ」
「そ、それじゃあカヅサさん!今日はこの辺で失礼しますね!」
「えー?ボクはもっと聞きたいけどなぁ」
「聞かなくていいですから!トンベリ、行くよ!」


 トンベリを呼ぶと、トンベリは寝台から降りて私たちの元に来る。ジャックが何か言い出す前に、ジャックの手を引いてカヅサさんの研究所を後にした。