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 朝起きると、日課となりつつある鍛錬のために身支度を整える。その最中、昨日会ったトキトさんとナギとの会話を思い出していた。
 未来、という言葉は今の私にとって必要のない言葉だ。自分がどうなるかなんて、もう決まりきっている。だから、未来があるトキトさんやナギが少しだけ羨ましいと思った。今更、そう思ったところで私の意思は変わらないけれど。


「よし、切り替えなきゃ!」


 そう言って自分の両頬を叩く。その時ちょうど廊下から私を呼ぶ声が聞こえて、朱色のマントを手に部屋を後にした。

 部屋を出るといつも通り笑顔のジャックが私を迎える。毎日朝早いのに頑張るなぁと思いながら挨拶すると、間延びした挨拶が返ってきた。
 もう筋肉痛もすっかりなくなり、身体もだいぶ動けるようになっていた。さすがエイトと鍛錬してるだけあるな、と思いながらエントランスに出ると、見慣れた人物が噴水広場へと続く扉の側で佇んでいるのが目に入った。
 ジャックも気が付いたのか小さく声をあげる。


「あれって…」
「リィドさん?」
「!メイ、とジャックか」


 私たちの声にリィドさんは振り返る。そして、私とジャックを見た後、ふぅと息を吐いた。


「もう身体はいいのか?」
「あ、はい。もうだいぶ動けますよ!」
「そうか…メイ」
「?はい?」
「毎朝鍛錬をしていると聞いたが、本当か?」
「え、えぇ。今から闘技場に行くところです」
「オレにも手伝わせてくれないか」
「えっ」


 リィドさんの言葉に驚きながら、すぐに私は首を縦に振った。


「リィドさんなら大歓迎ですよ!」
「そう、か?」
「はい!エイトも良いって言うと思いますし、ね?」
「えっ、あー、うん、言うと思うよー」
「なら今日からよろしく頼む」
「こちらこそよろしくお願いします!」


 頭を下げるとリィドさんは優しく笑みを浮かべて頷いた。ふとジャックに振り返ると、ジャックはリィドさんを見ながら笑顔を引きつらせていた。
 そういえば、この二人が話しているところを見たことがない気がする。顔を合わせたことはあれど、この二人が会話しているところは想像できなかった。
 私がジャックに声を掛けようと口を開きかけたとき、リィドさんが先にジャックに話しかけた。


「ジャック、メイからあのことは聞いたか?」
「?、あのこと?」
「えっ、あーいや…まだ、だけど」
「そうか」


 あのこととは何のことだろうか。不思議に思いながらリィドさんを見やると、リィドさんはふっと意味深に笑って闘技場の方へ足を向ける。自然とジャックに目を移すと、ジャックは曖昧に笑って「何でもないから」と口にした。それが不自然すぎて、とても何でもない風には見えない。
 リィドさんに続いてジャックが歩き出す。つられて私も歩き出し、ジャックの顔を窺いながら口を開いた。


「リィドさんと何話したの?」
「ん?んー、内緒」
「ふーん…」
「メイが気にすることじゃないよー」
「でもリィドさん、私からあのことを聞いたかって言ってたけど」
「あ、ははー、まぁそれはそのうち、ね」


 笑って誤魔化すジャックに少しもやもやするけれど、今は何も聞かないままでいようと開きかけていた口を閉ざした。

 闘技場に入ると、準備運動をしているエイトが目に入った。私たちに気付いたのか、エイトは体操をやめて顔をこちらに向ける。そして、リィドさんの存在にエイトは目を丸くした。


「お前って確か…」
「オレもメイのことを手伝いたい。いいだろうか?」
「あ、あぁ。オレは全然構わないけど」


 そう言いながらエイトは視線をジャックに向ける。ジャックは気まずそうに頬をかいて、陽の当たる場所へと移動した。そこに腰を下ろす。


「じゃあリィドさん、よろしくお願いします」
「あぁ。…ジャックは鍛錬しないのか?」
「私の付き添いらしいですのであんまり気にしないでください」


 私がそう言うとリィドさんはじっとジャックを見つめる。私たちの側に来たエイトがリィドさんを見ながら口を開いた。


「シンクやトレイから話は聞いてる。オレはエイト、よろしくな」


 エイトの声にリィドさんはゆっくりこちらを振り向く。手を差し出しているエイトを見て、リィドさんは頷いた。


「オレはリィド・ウルク。こちらこそよろしく」


 エイトの手を握って、自己紹介をする。今更な気がしてならないが、黙ったままにしておこう。
 準備運動を終え、私は短刀を取り出した。そして、リィドさんを見据える。


「久しぶりに手合わせしてくれませんか?」
「手加減はしたほうがいいか?」
「全力でお願いします」


 短刀を構える。リィドさんは自分の手のひらを見て、ぎゅっと拳を握った。そして、私に目を向ける。


「行くぞ、メイ」
「はい」


 その刹那、私は一気にリィドさんとの距離を詰める。短刀をリィドさんの首元目掛けて斬り付けようとするも、ガキン、と鈍い金属音が耳に入った。
 短刀の先には、リィドさんの武器であるパイルバンカーが首元を防いでいる。リィドさんはそのまま勢いよくパイルバンカーを振ると、私は後ろへ弾かれた。
 何とか受身を取って衝撃を抑える。


「やはりまだ鈍っているな」
「…っ痛、痺れた…!」
「どんどん来い」
「言われなくても!」


 パイルバンカーを構えるリィドさんに向かって地面をぐっと蹴り駆け出した。