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 痛い。この痛みは随分と久し振りに経験した気がする。そう、あれはまだ候補生になる前の頃――。


「て回想に浸ってる場合か!いっ…!?」


 自分で自分を突っ込むのでさえ痛みを伴うとは、筋肉痛というのは恐ろしいものだと改めて実感する。
 昨日、早朝の鍛錬と授業が終わったあとにもエイトと共に(ちなみにジャックは見てるだけだった)鍛錬に励み、あっという間に一日が過ぎた。そして一晩寝てみればこの有り様だ。動けない体で急に無理をしたら全身が筋肉痛になってしまうことくらい、少し考えればわかるだろうに、私はなんて間抜けなんだろうか。動けるようになったからとはいえ、はしゃぎすぎだ。


「ぐっ……う、動きたくない、な…」


 動けば動くほど全身に痛みが走る。でもここでへこたれていては、いつまで経っても戦場に復帰することはできない。今はどこの国も沈静化しているが、いつ任務が下りてもわからないのだ。もたもたしていられない。
 そう頭ではわかっているのに、体がついていかなかった。全く情けないったらない。
 トンベリが心配そうに顔を覗き込んでくる。私は歪んでいるであろう顔に笑みを無理矢理作って、トンベリの頭を撫でた。


「…はあ」


 思わず溜め息が出てしまう。どこかを動かそうとすればピキッと体が悲鳴をあげる。私は唇を噛んで、痛みに耐えながら部屋の扉を開けた。


「あ、メイおはよー」
「……おはよ」


 壁に凭れているジャックが目に入る。まだ眠いのか、大きな欠伸をして目を擦っていた。痛む体を引き摺るように部屋から出て扉を閉める。


「あれ?トンベリは?」
「トンベリは部屋で待機。付き合わせちゃ可哀想だからね」
「なるほどねぇ。ていうかメイ大丈夫?」
「…………」


 そう言ってジャックはトンベリと同じ様に顔を覗き込んでくる。気付いていたのか、と思いながら首を縦に振ると私は足を踏み出した。太ももと脹ら脛が辛い。特に脹ら脛。
 いつの間に私の隣に移動したのかジャックが私の手を取る。余りにも自然すぎる行動にちらりとジャックを見やれば、ジャックは嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「へへー、今日は振り払わないんだねぇ」
「……振り払う余裕ないの、わかってるくせに」
「えー?何がー?」
「はぁ…」


 確信犯なジャックに私は呆れるしかなかった。

 早朝だからか廊下に生徒の姿は見当たらない。これがあの大戦前だったら、もう少し生徒がいてもおかしくないだろう。それがいないということは、あの大戦での犠牲が大きかったということだ。


「…はあ」
「さっきから溜め息ばっかついてるねー。体に良くないよ?」
「じゃあこの手を離してくれるかな」
「それは無理かなー」


 にこにこにこにこ。そんな効果音がつきそうなくらいの笑顔だ。見ているこっちが照れてしまう。
 ああもう、調子狂うなあ。そう思いながら、私は目線をジャックから逸らした。
 私とジャックの足音だけが魔導院内に響く。そんな中、ジャックの穏やかな声が耳に入った。


「つらい?」
「え…?」
「からだ。筋肉痛だよね?」
「まぁ、ね。昨日はしゃぎすぎたみたい」


 そう言いながら、あはは、と笑みを作って見せる。動けるようになれたからといって調子に乗りすぎた罰だ。それに筋肉痛を味わうことができるのは、生きている証拠でもある。
 不意にジャックが立ち止まる。思わずジャックを見上げると、眉尻を下げて弱々しく笑みを浮かべていた。


「ジャック?」
「…前から思ってたけどさー、メイって作り笑い下手っぴだよねぇ」
「…………」
「まぁ僕だから気付けるんだけど、ね」
「う、わぁっ?!」


 ジャックが言い終わった瞬間、突如浮遊感に襲われる。慌てて顔を上げると、丁度ジャックと目が合った。ジャックはニヤリと笑って口を開く。


「僕が優しく闘技場まで運んであげる」
「べ、別に頼んでない!」
「えー?運ぶのだけじゃ足りない?もー仕方ないなぁ、じゃあ闘技場でストレッチもしてあげるよー」
「だから、頼んでないってば!」


 ジャックはそう言って軽快に歩き始める。体を動かせないとわかっている相手に、こういうことをやってくるジャックはある意味策士だと思う。しかも腕でがっちり体を支えているせいで結局降りるに降りられない私は、ジャックにされるがまま闘技場まで運ばれてしまうのだった。