恋を自覚した日




「トレイ」
「はい?」
「僕、病気かもしれない」
「は?」


 全ての授業が終わり、候補生に自由の時間が訪れる。トレイは授業が終わりクリスタリウムに足を運ぼうと席を立ったら、トレイの進路を妨害するようにジャックが立っていた。珍しい、そう思いつつジャックを見ると彼は冒頭のことを言い出したのだ。
 きょとんとするトレイに、ジャックは泣きそうな顔でトレイを見つめる。女ならともかく男の泣きべそをかくところなんて見たくはない。かといっていつも笑っている彼がどうしてこんな顔をしているのか興味が湧いた。
 トレイは持っていた参考書を机の上に置き小さく息を吐く。


「病気かもしれない、とはどういうことですか?」
「なんか、胸がドキドキするんだ」
「…まさか私に、ではないですよね?」


 トレイの顔が歪む。ジャックは首を傾げて「そんなわけないじゃん」と平然と言い放った。あぁよかった、と安堵しながらトレイは顎に手を当てる。


「胸がドキドキするとは、いつどういうときに起こっているのですか?」
「えぇ、と…んー、メイ、と話してるときとか、メイの姿を発見したとき、とか…メイのことを考えてるときとか」
「…………」


 はにかみながら言う彼は、まさに恋をしている人間そのものでトレイは思わず頭を抱えた。
 ジャックが最近メイと一緒にいるのはトレイもよく知っている。楽しそうに話している二人を見て微笑ましく見ていたのは記憶に新しい。しかし、まさかジャックが"恋"をするとは思わなかった。彼は誰に対しても常に一線を引いていたから。
 その彼に好きな人ができた。それはそれで良いことかもしれない。問題は、ジャック自身が"恋"に気付いていないことだった。


「ねぇトレイー。僕、変だよねぇ?」
「…いえ、至って正常だと思います」
「え?てことはトレイも胸がドキドキすることあるの?」
「私はまだ未経験ですが…。ジャック、いくつか質問してもよろしいですか?」
「ん?うん、どうぞー」


 トレイはひとつ咳払いをする。そしてジャックを真っ直ぐ見据えると口を開いた。


「ジャックは好きな人はいますか?」
「へ?もちろん!皆好きだよー!」
「皆とは?」
「えーと、トレイとかエース、エイト、ナイン、キング、あとデュースとシンクとケイトとセブンとサイスとクイーンと、マザーとかもちろんメイもだし、言いきれないほど!」
「では胸がドキドキするのは誰と一緒にいるときですか?」
「ん〜…それはメイだけかなぁー」


 ジャックはにこにこしながらトレイの質問を答える。ここまで誘導してもわからないのかと額を抑えるトレイに、ジャックは「はっ!」と声をあげた。何かに気付いたらしい。


「まさか…」
「気付きましたか?」
「メイが…メイが僕になんか魔法かけたとか?!」
「…………」


 どうしてその考えが出てくるのかわからず、突っ込む気力さえも出ない。青ざめるジャックに対し、トレイは彼の名前を呼んだ。


「ジャック」
「ねぇ、どうしよう、なんの魔法かけられたのかなぁ、もしかして僕死んじゃうのかなぁ?」
「落ち着きなさい。それにメイは魔法なんかかけていませんよ」
「え?ほんと?」
「はい。断言できます」
「…はあーよかったぁ…メイを置いて死ぬなんて絶対嫌だからねぇ」


 心底安心するジャックを見てトレイは目を細める。そこまで思っているのに何故気付かないのだろうか。そう思いながら、トレイは考えを改める。
 もしかしたら、彼の場合気付こうとしていないのかもしれない。人と一線を引いていた彼が一人の女性を好きになった。しかし、人と一線を引いていた彼にとってそれこそが恐れていた事態だったとしたら。常日頃、笑顔を心掛けていた自分が崩れてしまったら。きっと彼は無意識にそう考えていて、自分の歯止めが効かなくなるのを恐れているように見えた。
 だからといってこのまま悩む彼の姿を見たくないトレイはジャックに分かりやすいように説明する。


「好き、には二種類の意味があります」
「二種類の意味?」
「はい。それはライクとラブです」
「ライクとラブ?」
「ライクには家族であったり、友達であったり、動物であったり、と様々なことに使えます」
「へぇー」
「そしてラブはライク以上のものです。ジャックはメイと一緒にいるとドキドキすると言いましたよね。それは無意識にメイを女性として見ているということになります」
「?え、と…?」
「…では、ジャックはシンクに触りたいと思いますか?」
「え!?全然、触りたいなんてこれっぽっちも思ってない!だってシンクは仲間だし…」
「それではメイのことは?」
「へ……」
「先程、ジャックがメイのことを話しているところを見て、あなたは気付いてないでしょうけど、とても嬉しそうな顔をしていましたよ」
「…………」
「ジャック、考えればすぐわかることです。私なら自身の気持ちに気付こうとしないまま彼女が消えてしまう前に、受け入れて前に進みますよ。それも自身の成長に繋がるはずです」
「…うん」
「それに、いつ死ぬかわからない世の中なのですから、少しくらい羽目を外してもいいと思いますよ。私はそんなあなたを否定したりしませんから」
「……うんっ!」


 そう返事をするジャックはどこか吹っ切れたような清清しい表情をしていた。その表情を見てトレイは微笑みを浮かべる。


「僕、メイのとこ行ってくる!」
「そうですか」
「うん!トレイ、ありがとう」
「いえ、お役に立てたのなら光栄です」
「へへ、トレイに相談してよかったって初めて思ったよ!じゃあまたねぇ!」
「…………」


 元気よく駆け出すジャックの背中を見送ったトレイは喜びよりも悲しさのが勝るのだった。

(2014/06/15)