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 カヅサさんはどこからか椅子を二つ持ってきて私たちに座るよう促す。私はその椅子にすんなりと座ったが、ジャックはおそるおそる座っていた。未だカヅサさんに警戒しているらしい。
 ふと診察台らしきものに座っている0組の指揮隊長が目に映り、隊長の膝に乗っているトンベリが心配そうに隊長を見上げている。それをじっと見つめていたら、目の前にマグカップが現れた。紅茶とミルクの香りが鼻をくすぐる。


「メイ君はミルクティーでいいよね?」
「あ、はい、ありがとうございます」
「ジャック君は何がいいかわからなかったからメイ君と一緒だけどいいかな?」
「へっ、いやぁ、僕は別に…」
「大丈夫、睡眠薬なんて入ってないから」


 カヅサさんはずいっとジャックにマグカップを差し出す。ジャックは私をちらりと見たあと、おずおずとマグカップを受け取った。でも受け取ったからといってそれを口にすることはしない。よほどカヅサさんのことを信用していないのだな、と苦笑した。


「それで、今日はどうしたんだい?」
「え、あ、その、隊長の様子はどうかなぁと思いまして」
「あぁ、クラサメ君ね」
「!、カヅサさん、名前…」


 さらりと隊長の名前を口にするカヅサさんに目を見張る。カヅサさんはニコリと笑って、ある物を私たちに見せてくれた。


「ノーウィングタグ?」
「そう、彼の懐にコレがあったんだ。武官のくせに、ノーウィングタグを提出してないなんてね。せっかく名前があるんだし、そう呼ぶことにしたんだよ」
「…そうですか」


 カヅサさんは少し嬉しそうな顔をしていて、少しだけ安心した。私とお茶をしたときは、それは酷い顔をしていたから。
 私はホッと小さく息を吐くと、マグカップに口をつける。ジャックが何か言いたそうな顔をしていたが無視して、ミルクティーを一口飲むと口の中にミルクティーが染み渡った。


「あのさぁ、この人まだ生きてるのー?」
「一応ね。心臓はちゃんと動いているし隅々まで診たけど、異常は見つからなかった」
「す、隅々ですか…」
「うん、隅々」


 そう言うカヅサさんに、私は哀れみの眼差しで隊長を見つめる。ジャックも私と同じように哀れみの眼差しを隊長に向けていた。


「そうそう、メイ君に見てほしいものがあるんだ」
「見てほしいもの?なんですか?」


 カヅサさんは嬉々とした様子で私の目の前に何かを見せてくる。それを見ようとジャックも身を乗り出して覗き込んだ。
 私の目の前に差し出してきたのは額縁に入れられた写真だった。その写真には三人の男女が写っている。まじまじと見ると左側の男の人はカヅサさん、右側にいる女の人はエミナさんに似ていた。いや、似ているんじゃなくて本人なのだろう。
 じゃあ、カヅサさんとエミナさんの間にいる男の人は?ふと診察台に目を移す。私の様子に気付いたカヅサさんが口を開いた。


「クラサメ君だよ」
「やっぱりそうなんですね」
「ほぇー、あの人こんな顔してるんだぁ」
「まぁ、これはもう何年も前のだけどね」


 そう言いながらカヅサさんは懐かしむように目を細める。まるでこの頃の自分達を思い出しているみたいで、私はカヅサさんに声をかけた。


「カヅサさん、この頃の記憶があるんですか?」


 私の問いにカヅサさんは首を横に振る。その写真を棚に戻すと、はぁ、と溜め息を吐いた。


「写真はあるのに、これを撮った時のことはまるで思い出せない。クリスタルの忘却の影響だろうね。クラサメ君は確かに生きているのに、共に過ごした記憶は失った。寂しいけど、受け入れるしかない」


 カヅサさんは顔を俯かせて拳を握る。そんなカヅサさんに何も言えないまま見つめていると、不意にジャックの声が耳に入った。


「別にさ、思い出せなくてもいいんじゃない?」
「…どうしてそう思うんだい?」
「だって、記憶が無くなってもその人は生きてるんでしょ?生きてるってことはいつか目が覚めるかもしれないじゃん。目が覚めたら、そこからまた始めればいいと思うんだよねぇ」
「………」


 ジャックの言葉に、口から出かかった言葉を飲み込む。"もし、目が覚めなかったら"だなんて今のカヅサさんの前で言うものではない。
 カヅサさんは目を丸くさせてジャックを見つめる。ジャックらしい、そう思いながら二人を見つめていたら、カヅサさんがクスクス笑い出した。


「…君は面白いことを言うね」
「そぉ?」
「そうか、うん、そうだね。記憶が無くなっても、また作ればいい。一からやり直しか、それはそれで新鮮かもしれない」
「そーそー。何事にも前向きに考えなきゃ」


 カヅサさんは顔を上げて大きく頷く。その表情はスッキリと晴れていた。ふとカヅサさんの目が私を捕らえる。


「そうだ、メイ君」
「えっ、あ、はい!」
「エミナ君にも、クラサメ君のこと話していいかい?」
「エミナさんに?私は構いませんけど、局長達に知られたりでもしたら…」
「エミナ君なら大丈夫。漏らしたりしないよ」
「…それなら」


 そう言いながらちらりと写真を見る。カヅサさんもこう言っているし、元々私がカヅサさんに隊長のことを任せたのだから私がどうこう言える立場ではない。
 私がそういったことを言うとカヅサさんは微笑みを浮かべて、「ありがとう」とお礼を口にした。