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 カヅサさんがリフレから居なくなると、入れ替わるように候補生が現れ席についていく。私もしばらくカヅサさんのマグカップを見つめていたら、後ろから声をかけられた。


「メイちゃんかい?」
「…マスター、おはようございます」
「昨日任務だったんだろう?随分朝早くに来たもんだ。すまないね、何か作ろうか?」
「いえ、大丈夫です。もう行かなくちゃいけないので…」


 そう言ってカヅサさんのマグカップと自分が使っていたマグカップを手に持つ。マスターは私の持っているマグカップを見て口角をあげた。


「カヅサくんが来て淹れてくれたんだね」
「えっ」
「そのマグカップ、カヅサくんのだろう?いつもなら皆が寝静まった頃に来るんだけど…そうか、今日は朝に来たんだね」


 にこにこ嬉しそうに笑うマスターに、なんでそんなに嬉しそうなんだと首を傾げる。そんな私にマスターはハッと我に返り、照れ臭そうに頭をかいた。


「カヅサくんとは色々語り合った仲でね」
「そ、そうなんですか…」


 どんな仲なのか気になるところだが、それを聞いていると日が暮れそうだ。私は苦笑しながらマグカップをマスターに渡そうと差し出す。マスターはそれを受け取ったあと、私の使っていたマグカップを見て首を傾げた。


「このマグカップ…」
「どうかしたんですか?」
「あぁ、いや…メイちゃんが使ってたこのマグカップはいつもカヅサくんの友人が使ってたんだよ」
「カヅサさんの友人…?」
「そうさ。んー誰だったかなぁ……はぁ、ど忘れしたみたいだ」


 マスターは苦笑いしながら「すまないね」と謝る。私は「マスターが謝ることないです」としか言えなかった。
 そのあとマスターにマグカップを渡して、私はトンベリと一緒にリフレから出ていこうと魔法陣に向かうが、魔法陣に入る前に、椅子に座っている候補生の言葉が耳に入った私は足を止めた。


「あれ、あんたたちまだ続いてたの?片方が訓練生だとなかなか難しいって聞くけど」
「私たちは身分にとらわれない恋愛してるのよ。あなたみたいに外見で全てを決めたりしないの」


 いつもなら候補生同士の会話なんて気にならないのに、女の子の候補生から出た"恋愛"という単語に私は何故かその人たちの会話に耳を澄ました。


「彼女が先に候補生になったとき、悔しさと寂しさで別れようと思ったけど、がんばって乗り越えてよかったよ」


 その言葉にちらりと彼らを盗み見ると、訓練生は優しい笑みを浮かべていた。それがジャックと重なって見えた私は羞恥を覚え足早にリフレから出ていく。
 恋愛なんて私はしない。そう自分に言い聞かせながら部屋に向かっていると、誰かが私の名前を呼んだ。聞いたことない声に、私は眉を寄せながら振り返る。そこには初対面であろう女の子の候補生が立っていた。その彼女に心なしか睨まれている気がする。


「私に何か?」
「…メイ先輩は、ナギ先輩の幼馴染みって聞きましたが本当ですか?」
「まぁ、そうだけど」


 それとこの子にどんな関係があるというのか。ナギ"先輩"だなんてなんかおかしいなと思いながら彼女のマントの色を確認する。彼女は9組を示す茶色のマントを身につけていた。
 9組にこんな子いたっけ、と記憶を遡るが同じ組の子の名前なんてほとんど覚えていない。死んでしまって名前を忘れたこともあるのだろうけど、それ以前に私が名前を覚えようとしていなかった。
 彼女は顔を俯かせていて、私と目を合わせようとしない。私から話しかけたほうがいいのかと口を開こうとしたら、その前に彼女が勢いよく顔をあげて口を開いた。


「私は、ナギ先輩のことが好きです!」
「!」
「メイ先輩はナギ先輩のことどう思ってるんですか?!」


 思いがけない発言に私は呆気にとられる。彼女の顔は冗談を言っている表情ではなく、本当にナギのことを想っていることが痛いほど伝わってきた。
 ナギと幼馴染みとはいえ、それ以上の感情を持っていないといえば嘘になる。"大切な人"なのには変わりない。それを彼女に言えば彼女はどう捉えるのだろう。納得するのか、はたまたどういう意味でそう言ったのかと詰め寄ってくるか。ナギのことは好き、だけどその"好き"は、彼女のナギを想う"好き"とは少し違うような気がした。
 どう返せばいいのか考えていると、私の答えを待てなかった彼女が追い討ちをかけるように声をあげた。


「私、ナギ先輩があなたを好きでも、あ、諦めませんから!!」
「!あ…」


 そう言うな否や彼女は踵を返して足早に去っていった。彼女の姿が視界から消えると私は項垂れる。何も言えない自分が情けなくて溜め息を吐いた。
 私の目から見てもナギは容姿端麗だし、無理をしながらも周囲にはつとめて明るく振る舞っている。そんなナギに好意を持つ人は少なからず居ただろう。だけど今までこんな風に私のことを言われたことがなかったから、呆気にとられてしまった。きっと彼女から見たら私は邪魔な存在だろう。好きな人に幼馴染みがいてしかもその好きな人が幼馴染みを好きで…ってあぁもう考えたくなかったのに。
 頭を押さえてまた溜め息を吐く私を、トンベリが心配そうに顔を覗き込んできた。トンベリに心配されてばかりだなと苦笑いしながら、私はトンベリを抱き上げる。


「…私って本当欲張りで我が儘だよね。本当、こんな自分が嫌になる…」


 そう呟きながらトンベリを強く抱き締めた。