◎学パロ
どうしようもないくらい好きになっていた。どうしようもないくらい愛しくなっていた。どうしようもないくらい恋焦がれていた。
だけどそれは、
「ロー、帰ろ」
「あァ」
どうしようもないくらい苦しい恋だった。
KISS and CRY
彼を知ったのは高校2年生のクラス替えのとき、一緒のクラスになったのがキッカケだった。
いつも目の下に隈があって、凄く目付きが悪くて、なんだか怖そうな人、それが彼の第一印象だった。
「おい、お前」
「え?」
それは突然だった。いきなり声をかけられたものだから何か悪い事でもしてしまったのかと思ったし、何分あたしの中で怖い人部類に入っているこの人に目を付けられるのは御免被りたい。とりあえず謝っておこうと遠慮がちに口を開いた瞬間、彼が笑っていることに気が付いた。
「あ、あの‥何か?」
謝るために開いた口から出たのは単なる疑問符だった。
彼は小さく笑い声を漏らした後、一枚のプリントを差し出した。
「担任からだ。明日までに書いて来いだと」
「え、あ、ありがとう‥ございます」
すると彼はまた笑った。
あたしは今渡された保健委員の各クラスの健康調査のプリントから視線をあげ、目を細めて笑う彼を見上げた。
「えっと‥あたし何か可笑しいこと、言いました?」
「いや‥お前、俺のこと怖いのか?」
「え」
まさかだった。見抜かれてたなんて。
確かに怖いと思っていたし、今も正直怖い。だけどそれを正直に伝えてもいいものだろうか。
返事に詰まるあたしを見て、彼はまた喉を鳴らして笑った。
「面白ェ」
「な、何がですか」
「その敬語」
「な、」
だって怖いんだもの。そうは思うものの、あたしは自分が思っているよりも彼を怖がっていないことに気が付いた。
それは目の前で笑う彼が、あたしのイメージとは程遠い、とても優しい笑顔を浮かべていたから。
「あの、」
「ロー」
あたしが声を発するのと、その小鳥の囀ずりのような声が聞こえるのはほぼ同時だった。
吃驚して声のした方を向けば、恐らく先輩であろう、とても綺麗な女の人がいた。
すぐにわかった。彼女だと。
「あァ‥ちょっと待っ」
「あたし帰ります。じゃ」
「あ、おい」
あたしは彼の制止を無視して、女の人に一礼して、逃げるように教室を飛び出した。
彼はやっぱり怖い人だった。
だって彼は、あたしに自分を忘れさせてしまいそうになったから。彼をもっと知りたいと思わせてしまったから。
あたしの心臓をおかしくしてしまったから。
「あ、ローくんだ」
「ホントだ。一緒に居るのって彼女さんだよね?すっごい綺麗な人」
「あー、先輩らしいよ?なんか美男美女って感じでさ、お似合いだよね」
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」
それからのあたしは、以前よりも彼を避けた。彼自身を避けるのはもちろん、彼の話題が出たら会話を外れた。彼が見える範囲には居ないようにした。
今思えば、傷つきたくなかったからかもしれない。自分を守りたかったからかもしれない。
あたしが彼に抱く感情が、恐怖なんてものじゃないことには気づいていた。この感情が、恋だということにも気づいていた。
だけどあたしはそれら全てに知らんぷりを決め込んだ。そうでもしないと本当におかしくなってしまいそうだったんだ。
「悪ィがこれ、明日までにまとめといてくれない?」
「え」
「いやー今から俺会議なのよ。悪ィねホント」
そう言って颯爽と去って行ったクザン先生はあたしを雑用か何かと間違えていないだろうか。確かにあたしは保健委員だけど、今渡されたこのアンケートは明らかに保健委員とは無関係なものである。
どうして職員室前なんて通っちゃったんだろう。いつものように教室の横の階段を降りて靴箱に向かえば、こんな雑用を押し付けられずに済んだというのに。
あァそうだ。彼が階段で彼女とお話してたんだ。それを避けてあたしはわざわざ遠回りまでしたんだ。
思わず溜め息が溢れた。彼と接触したあの日からあたしにはろくなことがない。彼にはあたしを不幸にしてしまうような能力でもあるのだろうか。
そんなことを考えながら教室へ向かう。教室には誰も居なかった。
自分の席についてアンケートの束を下ろす。アンケート内容は今日のHRでやった「学校生活について」というものだった。というかこんな他人のプライバシー丸出しなものをあたしにまとめさせてもいいものなのだろうか。
案の定、「クザン先生にお悩み相談」というふざけた名前のアンケート項目には「彼女が浮気した」「親が離婚の慰謝料のことで毎日喧嘩してうんざりだ」といったような個人の超ヘヴィな悩みがつらつらと明かされている。
とにかくだ。あたしに課された仕事はこれをまとめることだ。幸い名前を入力する欄がなかったので誰が書いた悩みかはわからない。
そういえば自分は何と書いたのだろう。そう思ったがまとめているうちに出てくるだろうと思い、あたしは紙にアンケート内容を書き出していった。
「勉強に追い付けない」「彼氏が出来ない」「親友と喧嘩した」「痩せたい」「保健委員の子に避けられる」
「え、」
「何してる」
ポキッ、とシャープペンシルの芯が折れた。
一番聞きたくなかった声。一番会いたくなかった人。
だけど本当は、
「また雑用か?」
そう言って笑ったであろう彼はあたしの手元を覗いてくる。
咄嗟にあたしはアンケートの束を握り締めて、立ち上がった。
「もう終わったので、じゃあ」
彼の顔も見ないで、鞄を持ちアンケートを抱えて彼の横を通り抜けた。
思い出した。あたしがアンケート用紙に書いたのは、
「待てよっ」
突然腕を掴まれて、引っ張られた。
その反動でアンケートの束を留めていたクリップが外れて、アンケート用紙がヒラヒラと宙を舞った。
真っ白な視界の中、あたしは彼にキスをされた。
K I S S
「やめてっ」
あたしは彼を突き飛ばして、鞄だけを抱えて教室を飛び出した。
どうして彼があんなことをアンケート用紙に書いたのか。どうして彼があたしを呼び止めたのか。どうして彼があたしにキスなんてしたのか。
わからないわからないわからない。
あたしには何もわからない。
「ふっ‥っ」
どうしてあたしは彼を避け続けていたのか。どうしてあたしは彼にキスされて苦しかったのか。どうしてあたしはアンケート用紙にあんなことを書いたのか。
わからないわからないわからない。
あたしは何も、わからない。
C R Y
「怖い人がいます」
「だけど本当は、」
「彼をもっと知りたい」