振り向いた瞬間、あのサファイアのような青い瞳が俺を見上げていた。
どこまでも真っ直ぐなそれは、意識を全て吸い込んでしまいそうなほど透き通っていて、俺自身気付けばそれに魅入られていた。
あァ、そうか、俺は、
「お前、名前は?」
コイツを知りたいと思ったんだ。
不確かな言の葉
コテ。
そんな効果音が付きそうな程、すっとんきょうな顔をしてそれは首を傾げた。
なんだよい。まさか、コイツ‥
「お前、喋れねェのかい?」
「……」
何の反応も返って来なかった。これは肯定と受け取っていいのだろうか。
しかし本当にそうならば困った。何を聞いても返事は返って来ねェ訳だからな。
「あァ‥」
「……」
「んー、アレだ。アレ、」
「……」
「お前、男かい?」
暫くの沈黙の後、再びコテっと首を傾げた。
喋れねェだろうから、頷くか首振るかで答えられる質問の仕方にしたのに、こりゃどういうことだ。
まさかコイツ、言葉自体が通じねェんじゃねェのかい。
そういう思考に辿り着いて俺は、漸く自分が相当厄介なモンを拾ってしまったことに気が付いた。
おいおいマジかよい、と自分の行動を後悔し始めたとき、小さな声が鼓膜を揺らした。
「さむい」
凛とした、木琴を鳴らしたかのような、ポーンと深みのある声だった。
一瞬、何が起こったのかわからなかった俺は、暫しその顔を見つめてしまっていた。
また首を傾げられた。しかしそれは先程までのすっとんきょうな表情ではなく、どうしたの?と問うような意味のあるものだった。
「お前‥」
「……」
「喋れるのかい?」
「‥しゃべる、ってなに?」
・・・は?
今、なんて言った?
「‥喋れるんだな?」
「しゃべる、ってなにかわからない」
「……」
確かにコイツは話せた。この時点で俺の考えその一は間違いであることがわかった。
だが、俺の考えその二はどうだろう。大正解。花丸。百点満点。どんな言葉を言われようが俺は嬉しくもなんともない。むしろ嘆かわしいくらいだ。
喋れるくせに、意味が通じねェなんて‥
「あ?」
「……?」
「お前、喋るの意味がわかんねェんだな?」
「‥いみってなに?」
「あァ悪かった悪かった。じゃあ一つ聞くが、寒いってどういうことかわかるのかい?」
「‥?」
「……」
「…さむいって、なに?」
何かがおかしい。
何故意味が分からない言葉を使えているんだ。単語だけを知っていて適当に言ったものだとしても、その言葉はあまりに状況に適している。つまり脳で考えて話した訳じゃない、身体が覚えている言葉を話したということではないだろうか。
じゃあ何故言葉を身体だけで覚えるなんて、器用な真似が出来るんだ。そんなことは到底有り得ない、出来るはずがない。
あくまで俺の予想でしかないが、何かあるはずだ。そうなるような理由が、何か。
「お前、名前もわかんねェんだな?」
「‥なまえって」
「なんでもねェよい。いちいち面倒臭ェな」
「……」
「……」
「‥さむいって」
「は?」
「こんなかんじ」
「こんな?」
「ふるえる、の」
そう言われて俺は、目の前のそれが小刻みに震えていることに気が付いた。それに気付いた後、自分も悪寒を感じて一つ身震いをした。
いつの間にか雨が止んでいて、すっかり忘れてしまっていたが、俺たちはびしょ濡れだったんだ。
「……」
「‥ついて来い」
「……?」
「‥はァ」
動き出さないそれの手を掴み、俺は船に向けて足を動かした。
船に乗せる訳じゃない。だけど、俺はコイツを放っておけなかった。
ここまで連れて来てしまった事に罪悪感を感じたとか、そういった明白な理由なんてつけれなかった。
ただ、あの時、気付けば声をかけていてあの時と同じ、何かが俺を動かした。
その何かが何か、それはまだわからない。