泣き出しそうな空の下、俺はアイツに出会った。
捨てられた仔猫の如くその場にうずくまっているそれは、漆黒の髪をカーテンのように、その表情を隠している。
「おい」
驚いた。
声をかける気など毛頭なかったのに、気付けば口をついて出てしまっていた。
俺の声にそれは小さく肩を震わせた後、ゆっくり、その髪を揺らした。
別れた髪の隙間から青白い肌が覗いて、次いで紫色の唇、それから、
「っ‥!」
サファイアのように、
青空を映した海のように、
一点の曇りもない青色の瞳が‥。
ポツリ。
一粒の雨が頬を滑り落ちた。
空の落としもの
降り出した雨の中、その腕を掴み走り出した。思ったよりも細く、強く握れば折れてしまいそうな腕だった。
何故そんなことをしたのか。自分でもわからない。
やましい感情があった訳ではないし、憐れな姿に同情した訳でもない。
ただ、反射的にその腕を掴み、傘をさした人波を割って、走り抜いていた。
考えるよりも先に身体が動いていたんだ。
ザァァァーーーー
雨は激しさを増し、容赦なく身体の熱を奪っていく。
雨を正面から受けて走りながら、俺は何故こうなったのか自分の行動を思い出していた。
元はと言えば、サッチのナンパに付き合わされたのが原因だ。
どんより雲にも関わらず「今日はナンパ日和だ」とかなんとか言って、嫌がる俺をサッチは無理矢理連れ出した。
「なんで俺まで」と問えば「二人の方がナンパし易いだろ」となんとも自己チューな返事が返ってきて、思わず殴ってやろうかと思った。
案の定、こんな天気では女一人引っかけることも出来なかった(天気のせいだけでもないだろうがな)。
「俺ァ帰るよい」「あ!おい待てよ」とサッチの声を背で聞きながら俺は来た道を戻った。
酒場や遊女屋が建ち並ぶ通りを抜け、繁華街へと繋がる路地に差し掛かったとき、
「‥?」
それは居た。
行きにも通った道だったが、俺はそれに気付かなかった。恐らくサッチに引っ張られ嫌々動いていたから、足元など見ていなかったからだろう。
うずくまるそれは身に纏った黒から覗く白い肌(恐らく腕)から人間であることがわかるくらいで、女か男かもわからない。あまりの肌の白さに生きているかもわからない。
正直、不気味だった。
そう思った俺は、そこを通り過ぎようとした。
だけど、
「おい」
俺は何故か声をかけてしまっていた。何を思ったのか自分でもわからない。
ただ、何かが俺を動かした。その何かはわからない。
「はァ、はァ‥」
どれだけ走ったのだろうか。港が見えてきて、俺は速度を弛めた。
すっかり身体は水浸しで、服が張り付いて気持ちが悪かった。
ッたく、なんで俺がこんな目に。
そうぼやくために口を開いた瞬間ハッとした。俺は何をやっているんだろう。
得体の知れないモンを拾って、港まで連れてきて、船にでも乗せる気だったのだろうか。
まさか。こんな訳のわからねェモンをオヤジが船に乗せる訳がねェ。
それにもし俺以外のヤツがこんな拾いモノをしてきたら、一番隊隊長として乗船を許可しない。
つまり、今びしょ濡れになってまで連れてきたこれは、結局は捨てなくちゃならねェモンってことだ。
ホント、何やってんだよい。
「‥おい」
ゆっくり振り向いた。
雨脚が少し弛くなる。
「ここまで連れて来ちまって」
悪かった。
そう続けるはずだった。
だが、次に俺が発した言葉はどうだろう。
「お前、名前は?」
ポツ、小さな雨粒がそれの頬で弾けた。