たびにっき - 25
目を覚ましたのは、いつもと同じ時間だった。壁に掛けられた柱時計が、「いつも」の時間を知らせている。寝床を抜けて、ご飯を食べて、身支度をして、訓練に向かう。繰り返される日常の、始まりの時間だ。
うーん、と大きく伸びてみる。窓を開けて、昇りゆく太陽の光を全身に浴びる。こうして、一日が始まるんだ。
同じように起きて、旅支度を整えて。ご飯は…さすがにキッチンに食材がない。
よく考えたら、客室にもキッチンがついているってすごいよね。普通の家のリビングよりも立派な部屋で寝てたのかと思うと、ずいぶんいい生活をしてたんだな、って。
ドアを開けると、広い廊下が目の前に現れる。そうそう、覚えてる。こっちに進めば、右に折れたところに階段があって。下りた先を左に曲がって、右側のドアを開ければ――。

「おはようございます」
いるとは思わなかった。
「定刻に来るとは思わなかったぞ」
向こうも同じだったらしい。ラルドさんは「真面目なやつだな」と笑ったけど、もう少しお芝居を続けてくれるみたいだ。
「さて、今日の剣術学だが、ゼクトル先生…もとい、剣バカはもう一人の剣バカとどこぞに斬り合いに行ったまま帰ってこないので、私が代わりに担当することとする」
さすがに吹き出してしまった。ひどい言いようだけど、ラルドさんとディルさんの間柄だからできることなんだろうな。
「ちょうどいいな、リアロス。おまえの背中にあるものは飾りか?」
指差したのは、自身の背中。それが僕の背に負われた二刀を示していることは、すぐにわかった。
「そのつもりだったんですが…そうでなくしていいでしょうか?」
願ってもないことだった。一対一で挑むのはこれが初めてだ。まともな手合にならないとしても、全力でぶつかりたい。
「いきますよ…」
静かにうなずいて、すらりと剣を抜くラルドさん。隙はまるで見つからなかったけど、それでも。
僕は、一歩を踏み出した。

「――先生!!」


「しばらくは旅を続ける、と。そういうことだな」
「はい、そうですね…こっちの世界ももう少し見て回ろうと思っています。実習で行けなかったところもあるので、そういう場所にも足を運べたらな、って」
「そうか、この世界は幸い船の便が発達している。困ったら海路をたどれば、世界中ほとんどの場所には行けるはずだ」
「あなたが来てくれて、私たちも楽しいひとときでした。またいつでも来てくださいね」

ラルドさんの特別授業を受けた僕は、別れの門の前に立っていた。
名残惜しいけれど、楽しい時は無限じゃない。僕がここにいるべき時間は、少なくとも今回はここまでだ。
ずっと、永遠に楽しい時間が続いたら、と願うことがある。けれどそれは、楽しいのだろうか。
僕はそうは思わない。
無限に続く幸せはいつか日常になって、楽しみはいつか退屈に変わる。だから、大切な時間というのは人生のうちのほんの一瞬だけ用意されている。あっという間なんだ。そういうふうにできている、そう考えればまた次の出会いが生きていく活力になる。
だから、今はお別れを。二度と来ないわけじゃないんだ。さっきロエンにもあいさつをしてきたじゃないか――「また来るからね」という言葉を添えて。
「みなさんにも、よろしくと」
最後にそう伝えて、僕は学び舎に背を向けた。二度目の卒業、そんな気がした。


ラルドさんの言っていた通り、ルプガナから出る船の行き先はいろいろだった。
ラダトーム行き、ローレシア行き、ムーンペタ行き、ベラヌール行き。迷っている間にも、入れ替わり船がやって来る。もちろんその全部が客船のはずはなくて、貨物船も入ってくるんだけど。でもこれだけたくさんの船を見ると、この街の活気がものすごいのもうなずける。
港に来る前に、よろず屋でこっちの地図を買ってきた。ざっと全体に目を通して、それから部分部分に注目していく。
「…あ」
ひとつ、気になる場所を見つけた。

こうして船に揺られるのも、この旅だけで三度目だ。この後には、間を空けずに四度目の船も待っている。
今回は甲板じゃなくて、客室でスケッチブックを開いている。あっ、小さいほうね。
なぜかというと、その答えは客室にある。この船には、客室に丸い窓がついていた。分厚い透明な窓の向こうには、幻想的な世界が広がっている。群れを作って軍隊のように素早く、規則正しく水中を進む小魚や、我が物顔でのんびりと回遊しているサメ。ふよふよと水の流れに乗るクラゲたちは起きているのか寝ているのか分からなくて、大きな円を描くように泳ぎながら楽しそうにじゃれ合うイルカたちも見える。昨日の今日で、僕は空からの目と、海からの目の両方を手に入れた。これを逃さない手はない。
めまぐるしく変わっていくものだから、スケッチが追いつかない。ようし、向こうがその気ならやってやる!…なんて勝手な対抗心を燃やして、僕の右手はどんどん動きを速めていく。

この中にモンスターが混ざっていたら気付けるだろうか。しびれくらげやキラーシェルあたりが紛れ込んでいても、気付かなさそうだなぁ。
こうやって躍起になって、部屋に食べ物が運ばれてきたことにも気付かなかったくらいだからね。
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