たびにっき - 23

家族が店通りの方へ消えていくのを見送って、僕は港に向かって歩き始めた。思いがけないイベントだったけど、最高の気分だ。
描きかけのスケッチブックを閉じて、袋の中に突っ込んだ。大枠はもう描けているから、続きは船の中でやることにする。というのも、港の方からものすごい人波がやってきたからだ。もしかしたら船が着いたのかもしれない。先にそこまで行っておこうと思った。気を抜けば逆流にさらわれそうになるけれど、そうはなるまいと、一歩一歩踏ん張って進んでいく。大した距離じゃなかったけど、ピラミッドからポルトガまでの道中や、テドンからネクロゴンドへの横穴よりも、体力を余分に使ったような気がする道のりだった。


世界が変わっても、波の音や潮の匂いは変わらない。船の上の独特な揺れ具合も、風の心地よさも、目に見える景色もほとんど同じだ。あまり気にはしていなかったけど、これってとても不思議なことじゃないだろうか。それとも、こうなるって決まっている?だとしたら、それを決めるのは精霊なんだろうか?
いろいろと考えが巡ってくると、それに没頭してしまう。僕にとっては、心地いい船旅だとその傾向が強いみたいだ。
そして、僕の記憶にずっと残る、あまりに懐かしい建物が見えてきた。僕を変えてくれた、かけがえのない場所だ。今となっては、あの街がもう一つの故郷と言ってもいいくらい。ルプガナの街は、今日も潮風に包まれていた。

桟橋に降りた時から、もう僕の心は口からでも飛び出しそうだった。こんなにドキドキしたのは初めてだ。それこそ、最初にここに来たときでもここまでじゃなかった。
ここに来ても、あの頃に寝食を共にした仲間たちがいるわけじゃない。そもそも、中に入れない可能性のほうが高い。それは分かっているんだけど、どうしてもあの大きな屋敷を目にすると、帰ってきたんだという気持ちでいっぱいになって。
大きな門の前に一人立ち尽くして、僕は感極まっていた。思わず、目頭が熱くなって、まばたきをした瞬間にそれはこぼれ落ちた。頬を伝う涙がくすぐったくて、手で拭ってもう一度目の前に佇む屋敷を見上げる。
どうして泣いてしまったのか、僕自身にも説明できない。なぜか、気がついたら涙が出ていたんだ。多分、理由はないんだと思う。「ここに来たから」くらいしか、まともに言えることがない。

どのぐらいそうしていたんだろう、屋敷の扉が軋む音で僕は現実に引き戻された。閉じられた門の向こう側で、大きな木の扉が開いている。そこから出てきた人と目が合うと、その人はぴたりと足を止めた。
「…こんにちは」
いろんな思いがごちゃ混ぜになって、僕が言えたのは何の変哲もないあいさつの言葉だけだった。するとその人は、一瞬驚いたような顔を見せたけど、すぐにいつもの涼しい顔に戻って。
「私の見間違いでなければ」
一年前と変わらない声が、僕の耳に入ってくる。
「忘れ物でも取りに来たのか?リアロス」
「…はい、遅くなりましたけど」
そう言うと、ラルドさんの口元がふっと緩んだのがわかった。

ラルドさんはいきなり押しかけた僕を、快く一番の思い出の部屋に通してくれた。アンナとロエンと一緒に過ごした、三人で寝ても大きな客室だ。
「遠いところから、よく来てくれた。大したもてなしは出来ないが、ゆっくりしていってくれ」
「いえ、おかまいなく。僕の方こそ突然押しかけたのに入れていただいて…」
「何を他人行儀なことを。お前はもう家族の一員のようなものだ、いつでも歓迎する」
バカなことを言うな、と、僕の前にティーカップを出してくれた。
「ラルドさん…なんだか優しくないですか?」
「心外だな、私はいつでもこんなものだ。ただ教師と生徒という枠組みから外れただけのことだろう」
紅茶を一口飲んで、ふぅと息をつく。その後に、こんなセリフが。
「ただまあ…一年ぶりに教え子の顔が見られたわけだ。教師として嬉しくないなどという嘘は、私にはつけんよ」
思わず、ぽかんと口を開けてしまった。僕の…いや、もし僕以外の生徒がここにいたとしても、きっと同じことを考えただろう。その思いはただ一つ。

…こんなラルドさん、見たことがない。

「実際、アリュードの言う通りなんだろう。初めてのことだったから、生徒には厳しくいこうと決めていた。他の教習所の目もある手前、いい加減なことは教えられなかったからな」
「それで、厳格な先生を演じていたと?」
「演技のつもりは微塵もなかった。ただ、私を嫌って、生徒たちで結束を強めてくれるとありがたいと思っていたのは確かだ」
一年経って聞かされる、びっくりする事実。「もっとも、それは間違っていたんだが」と、ラルドさんは紅茶を飲みながら付け加えた。
「せっかくなら全員で迎えたかったが、すまないな。ここは皆の家ではあるが、本当の家を持っている者もいるのでな」
「そんな中、本当の家を持ちながら皆の家に居座る不届き者もいるんですがね」
「うわっ!」
突然背後から聞こえてきた声に、席を立ってばっと振り返る。そのしたり顔を眺めるのに、僕は首をぐいっと上に向ける必要があった。
「キットさん…お久しぶりです。でもやめてくださいよ。びっくりするじゃないですか」
「おっと、責めるなら私よりラルドです。生徒の危機は教師が守らねば」
「なんだその訳の分からない理論は…」
キットさんも変わりはないようだった。だけど、こういう悪戯を仕掛けてくる分、変わっているような気もする。
「積もる話もあるでしょうから、ティーポットごと持ってきましたよ」
キットさんの右手には、大きめのオシャレなポット。左手には自分用のティーカップを持っている。
両手がふさがっているのに、どうやって入ってきたんだろうか。
それも、僕が気付かないように。
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