たびにっき - 22

昼を、夜を、朝を越えて。
おとなしい魔物たちが多いから、距離の割には結構楽に移動ができるこの区間。途中の小高い丘もすいっと越えて、潜り込んだ洞窟の奥、僕は陽炎のように揺らめく別世界を目の前にしていた。
飛び込むのに、ほんの少しだけためらう。ここだけ、ちょっとぐるぐるが長いんだよね。やっぱり同じ世界と別の世界とだと違うんだろうか。そもそも世界をつなぐ扉って、どういう仕組みをしているんだろう。考えるだけムダ、と言い聞かせて、えいっと体を突っ込んだ。
つい数日前にも経験していたから、多少長い旅だったとはいえ気持ち悪さはさほど感じなかった。何回やっても慣れないって思ってたけど、少しは慣れてくるものなのかな。どちらにしても、ここはもう一度通ることになるから、そのときにまた比べてみることにしよう。
下り階段の手前から、くぐってきたばかりの旅の扉を眺めてみる。精霊の祠と呼ばれているここは、神聖な空気とでも言えばいいのだろうか、そんなただならぬ気配であふれていた。ネクロゴンドやダーマでも感じた空気だけれど、それよりもずっと濃くて、暖かい。守ってくれるような、そんな安心感がひしひしと感じられる場所だ。
僕の他に、今は誰もいない。階段のすぐ脇に、腰を下ろした。ここで、三枚目の大きな絵を描くつもりだ。二つの世界をつなぐ橋、ここは押さえておきたかった。向こう側でもいいけれど、あっちは洞窟の中にぽつんとある感じだし、やっぱり描くならこっちかなぁって。

今回は前の二回に比べて、少し時間がかかった。
一番の理由は、精霊の姿が分からないからだ。あれこれ想像してみるんだけど、どれもしっくりきてどれもしっくりこない。…うまく言えないんだけど、イメージがまとまらないんだ。それでもまあこれだ!って想像を一つ固めて、白の世界に吹き込んでみた。そうそう絵に描けるようなものじゃないっていうことはわかってるんだけど、せっかくこういう場所なんだしね。平面の中でくらい、ちょっとした夢を叶えたっていいじゃないか。
紙の中ではなんだってできる。だから僕はこれがやめられないんだ。

祠の外に出て、ひとまずは現在地を確認しようと地図を開いた。だけど、ここがどこだかわからない。しまった、こっちの地図は役に立たないんだった。
アレフガルドのどこかだってことは分かるけど、うーん、どうしよう。
一応、キメラの翼は何枚か補充している。レーベを出る前に、いくらか買い足しておいた。備えあれば憂いなし、すぐにそれが役に立つ時がやってくるとは。
ここからラダトームまで歩こうにも道がわからない。とりあえず一枚、ここで使ってしまおう。飛び立つ瞬間に頭をぶつけたりしないよう、祠から少し距離を取る。大丈夫だとは思うけど、念のため。
それじゃ、ラダトームへ!
念じながら投げ上げた白い羽根は、瞬く間に僕の身体を風に乗せて、空へと押し上げる。離れた場所に一瞬で行ける、という点では共通しているけど、この感覚は旅の扉のものに比べたらはるかに気持ちがいい。

降り立った場所からまっすぐ歩いて、城下町の広場の前までやってきた。ここはいつ来ても人であふれている。人波にさらわれないようにだけ、気をつけて歩かなきゃ。
とりあえず、まずは一枚。大都会の日常、みたいな風景を一度描きたいと思ってたんだ。ムオルじゃこれだけたくさんの人を一度に見る機会っていうのはまずないし。広場の隅にあるベンチに腰掛けて、行き交う人々を眺めながら筆を進めていると、不意に手元が暗くなった。
「あのー、すみません」
見上げると、見知らぬ女性が僕の前に立っていた。
「はい?」
「旅の方でしょうか、画家さんだとお見受けしたのですが」
「えっ!?いや、そんな!」
初めて言われたものだから、ぶんぶんと手を振ってオーバーに否定してしまった。画家なんて大層なものを名乗ったら、本物の画家さんたちに何を言われるか。
「僕は画家ではありません。絵を描くのが好きな、ただの旅人ですよ」
「そうなんですか。すてきな絵を描かれていたので、つい」
ふわりと笑うその人は、指に綺麗な指輪をはめていた。それに気付いたとき、子供を連れた男の人がこっちにやってきた。
「こんなところにいたのか、探したぞ」
「ごめんなさい、あなた」
「あー、ママいたー!」
男の人と、小さな女の子だ。えーと。この三人は、家族なんだよね?
「僕に何かご用でしたか?それとも、画家さんを探していたんでしょうか」
「えーと…そうですね。本当は、画家さんのほうを」
すまなさそうに、ぺこりと頭を下げられた。
「実は、私たちは初めての家族旅行に来ていまして。せっかくのラダトームなので、何か記念になるようなものを残したいと思っていたんです」
「妻は絵画の鑑賞が趣味なんだ。写真じゃなくて、思い出も絵で残したいと言って聞かなくてね…」
あ、なるほど。それなら、僕にも力になれるかも。
「僕でよければ…お手伝いさせてもらえませんか?」

それから噴水の前で幸せそうに立つ親子三人を、僕は受け取ったパネルに真心を込めて描き上げた。出来上がった絵を手渡した時の喜ぶ顔を見て、僕も心底嬉しかった。
それは、僕がずっと求めていたこと。自分の行いが、誰か他の人の役に立てることが、ずっと僕の夢だった。その夢のかけらが一つ、僕の手の中に落ちてきた。目には見えないものだけど、確かに感じる。こういう瞬間を味わっていくことが、楽しく生きるってことなのかも。

「わあ、パパとママとエリス!」
興味深そうに、パネルを覗き込んでいる。女の子のお気にも召したようで、よかったよかった。
「本当にありがとうございます。家族の宝物にしますね!」
「いえ、こちらこそ。声をかけていただいて、ありがとうございました」
「それで、本当にお代は…」
「そんな、結構ですよ。僕は画家じゃありませんし、お金を取れるほどのものではないです。僕も楽しかったですし、みなさんが喜んでいただけたら、それで」
心からの言葉だ。
「おにいちゃん、ありがとー!!」
小さな女の子、エリスちゃんも、太陽のような満面の笑みでそう言ってくれた。
「そうだ、それならこれを」
父親が、一枚の紙切れを僕に差し出した。最初は小切手か何かだと思って、断ろうとしたんだけど。
「一ヶ月ほど使える、周遊乗船券です。あなたも旅人だと聞きましたから、もしよければ。紙と紙の交換なら、いいでしょう?」
これを突き返すのは、きっと失礼なんだろう。
「…はい。ありがたく、使わせてもらいますね」
両の手でしっかりと受け取って、深々と頭を下げた。
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