たびにっき - 18

「やっとだ…」
長い長い横穴の出口が、やっと現れた。外に出たら溢れんばかりの光が目を眩ませるに違いない。目を細める準備をして、僕は飛び出した。
だけど、その期待は空振った。トンネルの中よりも、外のほうが暗かった。すっかり日は落ちて、とっくに夜の帳が下りていた。
いやいや、昼ごろには入ってたはずなのに、と思い返して、忘れていた当然のことを思い出した。作業がてら歩いてるんじゃ、まともな速さで進めるわけがないじゃないか。
退屈に頭がぼけてしまったことを笑って、一度自分の頬をぱしっと叩く。ひりひりと、じんわりとした痛みがゆっくりと頭に伝わる。夜になってそれなりの時間が経っているのか、吐く息が白く光るくらいには冷え込んでいた。
暗がりに目を見開いて、よく辺りの様子を探る。モンスターに不意を突かれたりしないよう、細心の注意を払う。
少しして、その心配はないことがわかった。魔物の気配はどうやらしない。それに、光の群れがすぐ近くにある。キャンプのようなものだろうか、いくつかのテントが張られている。多分、今抜けてきた横穴と山頂へ通じる洞窟との中継地点なんだろう。
その中にちらほらと人影が見えたところで、僕は警戒を解いてテントへと向かった。

「お疲れさまです。今夜はもう遅いですし、ここで休んでいかれますか?食事と温かい飲み物もありますよ」
テントの前にいた若い女の人が、声をかけてきた。僕よりは年上だろうか、少し寒そうに体を震わせている。立ちっぱなしだと厚着をしていてもつらいんだ。いやいや、そちらのほうがお疲れさまだと思います。
テントの奥には、大きく口を開けた洞窟への入口が見えた。あれを抜ければ、目指す景色はすぐそこだ。
休むところもあるようだけど、ちょっと走っただけで体力は減っていないし、眠気がひどいわけでもない。むしろ興奮のほうが大きくて、両目ともぱっちりだ。
「…いえ、食べ物を少しだけもらえたら」
「わかりました、ではこちらへ…」
そう言ってテントの中に手招きをされた。けど…今この中に入ってしまうと、外に出られなくなりそうだ。
「いや、中じゃなくて…ここで食べていきます」
「…そうですか、でしたら少しだけ待っていてください」
ニコリと笑って、お姉さんはテントの中に姿を消した。待つこと一分足らずで、パンと暖かいコーヒーを持ってきてくれた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
まずはコーヒーを一口。あぁ、美味しい。店を開けているときは、毎朝のように飲んでいたけど、出かけてからこっち、全然口にしていなかったから、美味しさも格別だった。寒空の下で温かいものを飲んでいるという今の状況も、それに拍車をかけている。
「はぁ…」
「お口に合ったようで」
「寒かったので、温まります。お姉さんも寒いでしょう、大変ですね」
「いえ、私はもうすぐ交代の時間なので。きっとあなたが今日の最後の方になると思いますよ」
「そうなんですか、お疲れさまです」
「ありがとうございます。それではカップを」
飲み終えたカップを、差し出された手に載せる。暖も取れたし、ここからも走っていこうかな。
「じゃあ、そろそろ行きますね。ごちそうさまでした」
「はい、お気をつけて。あっ、そうだ」
何かを伝え忘れていたと、お姉さんは声を上げた。
「キメラの翼はお持ちですか?」
「…あっ」

キメラの翼。僕の懐にも眠っていることを、すっかり忘れていた。これなら誰にでも使えるし、持っていれば山頂で投げれば帰れるのだから、わざわざ復路を歩いて戻る必要もないか。そりゃ誰ともすれ違わなかったわけだ。

「…そういうことか」
「?」
「あっいや、すみません。独り言です。自分の分はあるので大丈夫ですよ」
ちらりと羽根先を見せると、お姉さんはそれなら、とうなずいた。
「いってらっしゃい。すてきな景色が見えるといいですね」
「はい!」
ネクロゴンドへと向かう僕に、お姉さんは優しく笑いかけてくれた。
旅先で出会う人たちって、みんな温かい。コーヒーよりも、ずっと。


冷たい空気が、洞窟の中を満たしている。それはただ温度が低い、ということではなくて、この先に続く世界へのシグナルのような、そんな静けさが一緒にあった。ここに来たのはもう一年以上前の話だ。あのときは大勢で全力で駆け抜けたっけ。隅々まで見ていたとはとても言えない。実際、迷子にならないか不安もあった。
だけど、僕の記憶力もなかなか捨てたものじゃない。次にどう進めばいいのか、頭と体が覚えているのかもしれない。頭の中に描かれる地図と実際の道はほとんど違うところがなく、すいすいと進むことができる。おまけに道案内の立て札っていう答え合わせまでついていた。
モンスターもしっかり払われているらしく、その気配すらない。ここにいたモンスターは、ちょっとやそっとじゃびくともしない強さを持っていたはずだ。どうやって封じ込めたのかは気になるけど、そんな敵が蔓延るところを登山道にしたら本当に僕の最初の不安通り、全員が帰らぬ人になってしまう。
何度目の階段を昇っただろうか、そろそろ出口が近い気がする。一段と頬に触れる空気が冷たくなって、「その時」が近づくのを知らせてくれた。

美しい日の出が、洞窟を抜け出た僕の右頬を照らした。
目線が釘付けになった。
太陽が地平線の向こうから顔を覗かせるこの瞬間は、何度かムオルで見たことがある。同じ太陽を見ているとは思えなかった。雲の切れ間から、広い世界が眼下に広がっていた。果てなく続く水平線のその向こう側から、生命の光が放たれている。
風は穏やかに吹いていて、雪は降っていない。僕はなんて運がいいんだろうか。降っていて当たり前、もっと言えば吹雪いていても文句は言えないような季節。僕の登頂を祝福してくれているとしか思えなかった。この光景を残せるのは、今この時しかない。
寒いなんて言ってる場合じゃない。砂漠にそびえるピラミッドをめくり、真っ白なページに色を落とし始める。そうすると、あとは気が付けば終わっているもので。
「…うん」
最後の一筆を入れ終えて、小さくうなずいた。
雲を見下ろす場所から、その風景を描いたことはこれまでなかった。下から見上げる雲も、上から見下ろす雲も、同じ白い塊のはずなのに、その二つは確かに違う。いつだって頭の上で佇んでいたそれは、決して手の届かないはるか遠くの幻なんかじゃなかったんだ。
夢心地で、僕はもう一度山を取り囲む雲に目を落とす。いつまでも見ていていいよとばかりに、今は淡いオレンジに映る水と氷の結晶がゆっくりと、ゆっくりと流れていた。

不意に、ぶるっと身体が震えた。
そうして、どこかに行っていた寒さを思い出す。気分が高揚しているとはいえ、ずっとここで風に吹かれていたら間違いなく風邪を引いてしまうだろう。
初めはもっと向こうまで、かすかに見える祠まで足を運ぼうかとも思ったけど、ここでの目的はもう達成してしまった。ラーミアの姿は見えなかったけど、さすがにそこまで期待はできない。ラーミアだけが目当ての人が隣にいたら、「ここからじゃ見えないんじゃないか」なんて言われそうだけど、別の場所、例えばあの祠あたりから見えるんだったら、ここからだって十分見えるはずだ。
名残は惜しいけど、この先もいろんな景色を見るために、ここで倒れるのはよくない。
エドにもらった、空を渡る翼を手にとって、空高く放り投げた。目的地のイメージは問題ない。遠目に見ただけだけど、その外観ははっきりと覚えている。身体がふわっと浮き上がり、猛烈な速さで飛んでいく。みるみる洞窟の出口が遠くなって、視界がホワイトアウトする。その中に、微かに虹色の光を見たような気がした。
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