たびにっき - 16

ポルトガに着いたのは、日の光が消えかかるころだった。
ジョーさんに代金を渡して、お別れとお礼の言葉を伝えると、彼はすぐに海に戻っていった。海の男、なんて言ってたから、もしかしたら海で寝ていたりして…なんて、そんなわけないか。
僕も、今日のところは宿に向かう以外の選択肢を頭が用意しなかった。さっさと寝ろ、全身がそう告げている。
ベッドに倒れ込んで、天井のオシャレな明かりをぼんやりと見つめる。体力が落ちたものだなあ、と自分に向けてつぶやいた。一年ほど激しい動きからは遠ざかっていたから当たり前だけど、これでいいんだろうか。戻ったら、もう少し体を動かすことを思い出したほうがいいかもしれない。
その夜はもうそれ以上何を考えることもなく、泥のように深く眠った。


ここからどうするか、僕には二つの選択があった。
まず一つ、陸路を北に進んでいく。
そしてもう一つ、定期船で別の大陸に渡る。
せっかくイシスから海を渡って、こちらに上陸したというのに、またすぐに海に出て行ってしまうのはいかがなものかとも思ったけど、僕は抗いがたい大きな誘惑に負けてしまった。
海の上で、絵を描きたかったんだ。
ジョーさんとの小さな舟での旅では、とてもスケッチブックを広げる余裕はなかったけど、定期船となると話は別だ。甲板に出て、のんびりと描くことだって問題ない。何より、昨日色々と膨らませたイメージたちを、まだ形にできていない。大きさは違っても同じように波に揺られる船の上でなら、より強く昨日のイメージを描き出せるだろうと思った。

外はよく晴れていた。少し冷たい澄んだ空気が、肌に触れるのを感じる。
砂漠と比べちゃいけないけど、夜は結構冷えていたんじゃないかと思う。でも、僕の家よりは断然こっちのほうが暖かい。
そうして地図を眺めてからびっくりした。ムオルからほとんど真西にあるじゃないか。これもやっぱり海の影響なんだろうか。
宿を出てから、港まではほとんど一本道だ。ポルトガで一番大きな街道をずっと進むと、その突き当たりにお城があって、それと向かい合うようにして大きな港がある。
そうして、思い出すんだ。楽しそうにこの街の話をする、友達の笑顔を。
一年間同じ部屋で過ごした、僕の大切な友人のことを。

――いま、君の街にいるよ。君から聞いた通り、いいところだ。
目を閉じて、僕は天に祈った。
彼のもとに、この祈りが届きますように。

「……」
どのくらいそうしていただろう。大きく息をついて、僕は瞼を開けた。
光が、眩しい。空は相変わらず青いままだった。
僕も色々な町や国に行ったけど、港の大きさはここが一番じゃないかな。
これだけ規模が大きいと、船もわんさかあるわけで。ジョーさんも乗っただろう漁船も見えたし、もちろん巨大な軍船も有事に備えてじっと待機していた。
定期船はどこかな、と探っていたら、どうも一番手前、城下町に寄ったところが定期船の発着場になっているみたいだった。次の便の行き先は、テドンの街らしい。
テドンといえば、最近は巡礼に来る人が多いと聞いている。街の裏手から、霊峰ネクロゴンドへと続く道が開通しているからだ。ダーマやランシールの神殿のようにはっきり聖地だと言われているわけじゃないみたいだけど、不死鳥ラーミアがこのあたりを飛んでいるのをよく目撃されていたり、この世界でも一番高い峰が連なっていたりということで、半ばそういう扱いをされているらしい。そういう話が大好きな人っていうのは結構いるらしくて、「ダーマには行かないけどこっちにはよく来る」なんて人もいるとかいないとか。
とにかく、次の便がテドン行きだというなら、僕もネクロゴンドに行ってみようかな。ネクロゴンドには行ったことがある。山の上の厳しい寒さも既に経験済みだ。正直なところ、状況が状況だっただけに、あまりいい印象はない。
でも、その悪いイメージを振り払って、新しい世界を見てみたい。
乗船券を買って、船に乗り込む。この船には三日四日乗り続けることになる。不安はあったけど、小舟と違って、足元が揺らぐことはなかった。

やっぱり大きな船は速さが違った。出港して数分と経たないうちに、ポルトガの港が、灯台が、みるみる遠ざかっていく。
甲板にはちらほらと人の姿があった。荷物の運び出しや整理をしている船員が多かったけど、船から身を乗り出そうとして怒られている子供や、ロマンチックなデートをしている男女もいるようだ。
少し船の後方に移動すると、前の方と比べて出てきている人は疎らだった。周囲にあまり人がいないことを確かめて、僕は甲板の一部分を陣取った。やるなら早い方がいい。記憶というものは、どうしても時間の経過で薄れていってしまう。
思い出せる限りの光景を、僕は片っ端からスケッチブックに描き殴った。急ぎ気味の作業だから、ところどころ雑な箇所があるけど、これは僕のリマインダーだ。誰に渡すものでもないから、僕だけが思い出せればそれでいい。

ひとしきりのイメージを実体に固めたところで、袋の口からは、使ってくれとばかりに、大きな表紙が顔をのぞかせている。待っててよ、もうすぐまた君の出番が来るはずだから。
そろそろ、僕の中で一つの仕事の重要さが大きくなってきた。無事に、この冊子たちをムオルに持ち帰る。これだけは、何があっても必ず成し遂げなければ。
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