たびにっき - 15

ジョーさんは並んだ舟のうち、小屋に一番近い舟に乗り込んだ。後に続いて、僕も桟橋を伝って舟に乗る。ふわりと、優しく自分の体重が受け止められる。ゆらゆらと揺れる足元に目を凝らすと、規則正しく木の板が打ち付けてある舟底が映った。ジョーさんの体勢を真似て、舟の後ろに腰を下ろす。
「出発する前に悪ぃな。オレたちもボランティアでやってるんじゃないもんで、向こうに着いたら300ゴールドいただくが大丈夫か?」
「はい、わかりました」
代金の確認をされて、僕は頷いた。
「うーし、それじゃ出るぜ!」
その一声を受けて、舟はゆっくりと海原へ漕ぎ出されていった。

遠のいていく砂漠を後目に、僕は舟の進みに身を任せていた。心地よい波の音と海の香りが、それまで黙り込んでいた眠気を呼び覚ます。今朝はかなり早かったし、体力も結構消耗しているから当然といえば当然だ。モンスターと戦う回数こそ多くなかったけど、ずっと走っているだけっていうのもそれはそれで疲れる。
砂の上にいたときは、あれだけ暑い暑いとうだっていたのに、下が冷たさを思わせる青い水に変わっただけで、嘘のように暑さが消えた。日差しは変わっていないはずなのに、潮風が乗って本当に気持ちがいい。それも手伝って、もう瞼の制御が利かなくなってきていた。
ダメだ、今は寝ちゃいけない。バランスを崩して海に落ちでもしたら、大変なことになる。
僕はいい。でもこの荷物だけは、守らなくてはならない。僕にとってこれは、この旅の意味であり、意義だ。これを失ってしまえば、十数日の休業という借金だけを抱えて、店にとんぼ返りすることになる。
本当なら、周囲全体を見渡せるこの場所っていうのは、絶好のスケッチポイントだったんだけど。そこまでの度胸がなかった。何よりただでさえ不安定な場所だ。いつ波にさらわれるかもわからない状態で、しかも半寝で何かを描くだなんて、無茶が過ぎることくらいは分かっていた。ここは記憶にしっかり焼き付けて、あとで紙に描き出すことにしよう。

「ところで、お客さんはどこから来たんだ?」
はっと、頭の中でオンとオフの間をさまよう意識が呼び戻された。がっちりとした立派な筋肉質の両腕でオールを操るジョーさんの低く太い声。体つきから見た通り、声もよく通る人だ。
助かった、この人はただ舟を出すだけじゃなくて、助け舟を出すのも上手だ。
「僕はムオルから来ました」
「ムオル!ほお、また遠くから。一人旅か?」
「ええ、特にあてはないんですけど」
「いいじゃねえか、行き先のない流浪の旅ってのは男らしいもんだ」
そう言われると照れくさいけど、やってることは無計画な放浪だからなあ。
「まだ若いのに立派なもんだ。砂漠を越えてきたって聞いたときは目が飛び出ちまったよ」
「あはは、ありがとうございます」
どうにも、こう褒められることに慣れていないみたいで気恥ずかしい。僕は話題を変えることにした。
「ジョーさんは、このお仕事の前は何を?」
「漁師だ」
かぶせるように、即答だった。
「オレは海に生きる男よ。今もお客がいねえときには沖まで行って魚捕ってるもんだ」
「このお仕事と兼業されてるんですか?」
「仕事ったって、こんなもん数に入らねえ。出来上がったばっかりで、まだまだお客が少ねえんだ」
オールを漕ぐ手は止まらない。確かに、舟着き場の人数を見ている限り、それほどこの観光ルートが流行っているとは思えなかった。まだ日が浅いし、道も整っていないからだろうけど。漕ぎ手も何人かいるんだとすると、それほど儲かる仕事には見えない。


舟はしばらく、大陸に沿って進んでいた。やがて砂漠の側からは隠れていて見えなかった、岩山の北側へと差し掛かると、水平線に突き出る塔のような影が見えてきた。
「あれがポルトガの灯台だ」
前に座るジョーさんが指差して教えてくれた。
「ちなみに、あそこには旅の扉っていうもんがあってな」
旅の扉――その単語を聞いて、思わず眉が動いた。
「…それはどこへ通じているんですか?」
「ほう、旅の扉を知ってるのか」
ジョーさんの方も意外そうな声色で、続ける。
「あれはレーベの近くに通じているらしい。オレが実際に通ったわけじゃねえから、なんとも言えんけどな」
「レーベ…!?」
行き先を聞いて、今度は飛び上がった。レーベといえば、その西に洞窟がある。そして、そこにはある道が通じている。

もうひとつの世界に通じる、ただ一つの道が。

初めは、別段世界を渡ろうなんてことは考えていなかった。とりあえずはこの世界を大雑把に回ってみて、気が向いたら…ってくらいにしか思っていなかったんだけど。
こうやって、すぐ目の前にその道があるということが分かると、もうひとつの世界にも、俄然興味が沸いてきて。
「もしお客さんがそっちに行くってんなら、あの灯台の近くに着けるぜ。どうする?」
そうして選択肢まで与えられてしまった。喉の奥、いや口の中辺りまで、「行きます!」という言葉が上がってきた。けれど、一度我慢をして考える。
まだこっちの世界をろくに見ていない。もう少し、回ってみたい気持ちもある。向こうに行くのは、それからでもいいように思えた。それに、アリアハンの大陸に行く方法は他にもいくつかある。
「…いえ、そのままポルトガまでお願いできますか?」
かなり間を置いて返事をした。その間にも、灯台はどんどんとこちらに迫ってきていた。きっとジョーさんは不思議に思ったことだろう。けれど、彼は僕に何も聞かないで。
「…あいよ」
その一言だけを発して、舳先をぐい、と右に向けた。オレンジに染まり始めた視界にはもう、灯台よりもずっと大きい建物が入り込んでいた。
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