たびにっき - 5

目が覚めたころには、まだ太陽は出ていなかった。
時計を持ってこなかったから、今がはっきり何時かは分からない。それでも、普段の生活で頭と身体が覚えているのか、ほとんど同じような時間に起きたんだとは思う。
馬車に備え付けられている寝袋から顔を出して、もぞもぞと起き上がった。火は消えていたけど聖水の効き目はしっかり残っているみたいで、モンスターに荒らされたりした様子はない。
「おはよう、リアロスくん。早いな」
立ち上がってうんと伸びながら、僕はおはようございます、と返した。
「お店を開けるにはまだ早すぎる時間じゃないか?」
「そうなんですけど、朝は早めに起きて、いつもゆっくり準備してるんです」
「はは、僕とは大違いだ。僕の朝はいつも目まぐるしいからなあ」
笑いながら言うジェイルさん。
「今朝はどうする?ゆっくりしていくかい?」
「いえ、大丈夫ですよ。一人だと目を覚ますのに時間がいりますけど、今は違うので」
「そうか、それならもう少ししたら出発するとしようか」
「はい、今日もよろしくお願いします」
「任されたよ。あいつらにもお願いしないとな」
振り返りながら肩越しに親指を向けるジェイルさん。その先では、もう準備は万端だと言わんばかりに、二頭の運び屋さんが頼もしげに喉を鳴らしていた。

地面からも雪がすっかり消えて、昨日よりもペースが速くなった。馬たちもいつも以上に張り切っていたようで、ジェイルさんも驚きのスピードだったみたいだ。それでも乗り心地は変わらなくて、僕は快適な馬車の旅を満喫していた。

早くて一週間ぐらいだと言われていたダーマへの道のりも、三日目の昼にはもうムオルから南に下りきって、険しい岩山の尾根を回り込むところまで来ていた。
「ここまでで半分くらいだな」
お昼ごはんのパンを頬張りながら、ジェイルさんが地図を手渡してくれた。その地図を覗きこんで、顔を上げて周りをぐるりと見渡してみる。岩山を背にして立つと、遠くに水平線が広がっていた。一隻の船が、ちょうどダーマから続いている運河を下って大海原へと出ていくところが見える。
「どこへ行く船だろうな。アリアハンか、ランシールか…」
普通なら、アリアハンに行きそうなものだけど、ダーマから来る船というのは参拝者が多く乗っている。だから神殿があるランシールに向かうものも少なくないらしい。聖地巡礼、というものだろうか。
「僕らも僕らの道を行こう。せっかくだから今日中には山の麓に着きたいな」
もう一度地図に目を落とす。ここからは岩山を右に見ながら、ぐるりと向きを変えて北上していく。ダーマは山の中腹辺りにあって、後半の道のりはこれまでの平地のようにはいかないだろうとのことだった。
それでも、ここまで快調だし、そもそも急ぐ旅でもないし、そんなに気にすることはないかな。そう思っていたんだけど…ちょっと甘く見ていた。

「うぅ…」
四日目の朝。
予定通り前日に山の麓で眠った僕たちは、今朝からいよいよ山道に差し掛かった。山道と言ってもこの山は標高もさほどない。周りの岩山はかなりの高さがありそうだけど、行く道はそれほど傾きがなくて、曲がりくねりながら先へ先へ、ずっと続いている。
初めのうちは、それまで見なかった景色が移りゆくのを楽しみながら絵筆を走らせていたんだけど、ものの数時間で、嫌な汗がにじみ出てきた。でこぼこした道に馬車と馬とジェイルさんは涼しげな顔だったけど、経験の薄い僕はすっかり酔ってしまったみたいだ。
過ぎていく木やすれ違って走っていく動物を写す余裕はもうなくて、スケッチブックは僕の手を滑り落ちて床に投げ出されている。それを拾うのも億劫で、ジェイルさんに声をかけようにも吐き気が先に立ってそれどころじゃない。僕はただひたすらに、絶え間なく込み上げてくる気持ち悪さや目眩と必死に闘い続けていた。
ああ…世界を周るつもりが、世界が回るなんて。こういう時に限って、そんなくだらないことが頭に浮かぶものなんだな。
そういえば、遠くを見ると少しは楽になるって誰かが言ってたっけ。必死の思いで体を起こして、馬車の外へ顔を出す。意識がはっきりしないけど、僕は左側を見ることができたらしい。よかった、運河を挟んで向こう側、遠くに切り立った岩山が連なっている。それらはぴくりとも揺れることなく、ここから動きはせんぞ、と言わんばかりにただどっしりと居座っていた。右側を見ていたら、きっともたなかったかもしれない。進行形で、めまぐるしく揺れ動く木々や岩肌を見る羽目になっただろう。そうなったら、今の僕には痛恨の一撃だ。

「おーい、ずっと顔出してると危ないぞ」
前の方からジェイルさんの声がする。よかった…やっと気付いてもらえた。
「樹の枝に擦られたりしないうちに引っ込んだ方が…っておい、どうした!?」
すぐに僕の様子がおかしいとわかったのか、ジェイルさんの声のトーンが急に変わった。すぐに馬車が止まって、僕は揺れから解放される。
「そうか、慣れない山道でやられたか…!」
「……」
だめだ、声にならない。喉が掠れて、すぐ傍にいるジェイルさんには空気の音しか伝わらない。
「とりあえず…こいつを飲め、しっかりしろ!」
僕の口元に、何かがあてがわれた。目を閉じていたからわからないけど、水の飲み口と何かの草っぽかった。言われるがまま、僕はその草のような何かを口に含み、水で喉の奥へと押し流す。そうして二、三回息を吸って吐いてすると、今度はふわりとした感覚が頭に押し寄せてきた。その感覚が何だったのか、はっきりと分かるより先に、僕の頭は意識を手放して、楽になる方を選んだようだった。
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