たびにっき - 3

一風変わったお客さんを迎えてから、三日が経った。

あの日と同じように、僕は目を覚まして、階段を降りて、暖炉に火をおこして、淹れたてのコーヒーを口にする。それから、また引き出しに手をかけて、無造作に一通の手紙を選び取る。読み終えて、いろいろと回想にふけって、ふうと一息。外も同じく、雪景色。ちょっと弱まってはいたみたいだけど、彼の言った通りあれからずっと降り続いている。入口を小さく開けて、吹き込む風に身体を縮こまらせて…ここからが、三日前と違った。
僕はすぐ内側に立てかけてあった看板を持って、店の外に出た。何日も続いているせいで雪は結構積もっていて、長靴を履いて踏み出した右足はずぶりと沈み込んだ。ある程度は予想していたけど、思わずつんのめりそうになる。左腕に抱えた看板だけはダイブさせまいと、必死に体を引き戻した。そうして扉に振り返り、すでに掛けていた休業予告の仮看板を取り外す。それよりも高めの位置に、新しい看板をかけた。これ以上積もっても大丈夫なように。

「さてと…」
これで準備は完了だ。あとは昨日のうちに用意しておいた荷物を持って、出かけるだけ…おっと、暖炉の火は消しておかなきゃ。
これから、僕は旅をしようと思う。行き先も、宛もないぶらり旅。おともには大小二冊のスケッチブックと画材たち、そして背中に背負った二本の剣。
絵売りをしている今でも、僕は剣が好きだ。店を閉めているときには、たまに気分転換にと町の外まで行って体を動かしたりしていた。この辺りにはそれほど手強い魔物もいないから、さすがにあの頃と同じように…とまではいかないだろうけど、自分の身を守るくらいなら十分できるはずだ。
キメラの翼は、持たずに出て行く。どこに行くかは、決めていないけれど。世界にはきっと、見たことのない景色がまだまだあるはずだ。そこにたどり着くまでの風景も、しっかり目に焼き付けていきたい。
決めているのは、大きい方のスケッチブックの出番の回数だけ。

それでは――いってきます!



向かい風の中を、僕は歩いて行く。
ちょっと迷って、普通の靴を選んだ。最初さえ乗り切れば、後は普通に歩けるはずだ。
服装もちょっと軽装。もちろん今はとてつもなく寒い。ただ、あとから重たい服を背負って歩くよりは、こっちの方がいい。風邪を引いたらそのときはそのときだ。
普段歩いている町も、こうも雪が積もるとまるで知らない別世界のように見えた。何もここまで降ったのが初めてっていうわけじゃないけど、そうそう起こることでもない。普段ならそれなりに賑わっている通りも、人がほとんど見当たらなくて静かだった。
一歩一歩歩くたびに、深い靴跡が僕の後ろにできていく。積もりたての雪は粉砂糖のようにサラサラとしていて、靴を濡らすこともなかった。町を出るまでにびしょびしょになるんじゃないかと思っていたから、これは嬉しい誤算だったかも。出てすぐは風に当たるたびにぶるぶる震えてもいたけれど、しばらく歩いているとその冷たさにも慣れてきた。案外、人間の身体ってうまくできてるんだな。

町の入口あたりに、何かの影が見えた。視界が悪くて、ちょっと離れているともうなんだか分からない。小走りで近づくと、どうやら馬車のようだった。御者さんは黒いコートを着ていてすぐに分かった。僕も知っている、この町の人だった。最初、一人でぽつんと立って何をしているのだろうと思った。ところがよくよく注意して見てみれば、ちゃんとそばに車があって、その奥では白毛の馬が二頭、頭を振って鼻を鳴らしていた。なるほど、雪と同じ色じゃ余計に分からないわけだ。

「おはようございます、ジェイルさん」
声をかけると、御者さんがこっちを振り向いて驚いた様子で答えた。
「リアロスくん!おはよう、珍しいね。どうしたんだ、こんな天気の朝に」
「はい、実は…」
かくかくしかじか。
「おお、それは素晴らしい!いい旅になればいいね」
ちょっと一人旅に、と伝えると、笑顔でそう言ってくれた。彼も馬車を連れて、いろんなところを旅しているって聞いたことがあった。きっとそれが大好きな人なんだろうな。これから出発する僕を応援してくれる人がいることが、なんだか嬉しい。
「ところで、まずはどこに行くつもりだ?まさか寒中水泳をしてスーに行こうってつもりじゃないだろうな?」
考えてもいなかった、とんでもない選択肢を出されて僕は一瞬たじろぐ。
「いやいや、死んじゃいますよ!目的地があるわけじゃないですけど、まずは暖かいところに行こうと思うんです」
「ははは、冗談だよ!けど船の便は麻痺してるからな、海で南には行けないぞ」
あー、やっぱりか。海路が生きていればそっちを使おうかな、とも考えていたけど、どうやらそれは叶わないみたいだ。
「やっぱりですか、じゃあ歩いて行くしかないかなって…」
「そうか、だったら…」
僕の予定を聞いて、にんまり顔で馬の頭を撫でるジェイルさん。
「…今日のこいつはダーマ行きだ。乗ってくかい?」
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