Chapter 4-14
伸びた草の影から聞こえてくるか細く弱々しい鳴き声に、スィルツォードは我に返った。
「……怪我をしている」
すぐ近くのセルフィレリカが、子猫を慎重に抱き上げた。右脚が赤く染まっているのが、スィルツォードにも見えた。すぐに駆け寄っていく。
「スィルツォード、この子を抱いてくれないか」
「え?」
「回復呪文をかけたいんだが、両手が塞がっている状態ではできないんだ」
「あっ、ああ。任せてくれ」
託された小さな体を、スィルツォードはやや緊張しながら抱き受けた。
傷に触れたのだろうか、子猫はいやいやとでも言うかのように身を捩り、腕から抜け出ようとする。それをさせまいと、できるだけ優しく抱き留める。
「待ってろ、すぐに楽になるからな……」
もう少しがんばれと、彼は励ましの言葉をかける。それが通じたのか、猫は身じろぎを止めてじっとしている。
すぐにセルフィレリカが、子猫の上に右手をかざした。
「癒しの光を……ホイミ」
スィルツォードの足を治したときと同じ光が、小さな体を包み込む。抱えるスィルツォードの両腕にも、光は暖かな熱を伝えた。呪文はどうやら効いたようで、それまで苦悶の滲んでいた鳴き声がいくらか穏やかになった。そう長くないうちに声は静まり、猫は安らかな眠りに落ちる。ひとまずは安堵のため息をつく二人。
「よし、アリアハンに戻ろう。まだ仕事は終わっていないからな」
「だな」
北にうっすらと見える石壁を目指し、二人は来た道を引き返す。道中の魔物はセルフィレリカが引き受け、子猫はそのままスィルツォードが抱えて戻ることになった。
途中、何度かモンスターが寄ってきたものの、一度も攻撃されることなくセルフィレリカが撃退してしまう。ひゅんひゅんと走る剣筋を後ろから眺めながら、彼はなかなか言い出せなかった。

「すごい」という一言で表せる、ありのままの感想を。

大烏たちを相手取ったとき、スィルツォードはそのほとんどをただ見ているだけだった。
戦う前に頼っていいかと言われたのに、だ。
咎められても無理もないと、彼はそう思っていた。にもかかわらず、彼女は戦いが終わってからそのことについて一言も口にしなかった。まるで、自分一人だけで戦うつもりだったからそんなことはどうでもよい、とでも言うように。
「…………」
交わした言葉が嘘でないのなら、もちろんそんなはずはない。しかし彼の目には、彼女がなんのことはない、という様子で、ただ飄々としているように映った。
だから、彼は賛辞の言葉を素直に口に出来なかった。事実かどうかはさておいて、それを口にすれば、自分がまるっきり戦力外であることがはっきりしてしまう……そんな気がしたから。
スィルツォードには、それがたまらなく悔しかったのだ。

そして彼は、人知れず誓う。
――もっともっと、強くならねばと。
「足を引っ張らないように」から、「役に立てるように」へと目的を変えて。

意気込んでつい腕の力がこもってしまっただろうか、子猫がみゃーと小さく鳴いて暴れだした。苦しげな声に慌てて込めた力を抜くと、すぐに猫のほうもおとなしくなる。やわらかな毛並みに沿って頭と体を撫でてやると、子猫は気持ちよさそうに目を細め、再び微睡みの中に沈んでいった。
「……はは」
自然と笑みがこぼれるような、癒しと安らぎに満ちた世界が手の中にある。
もう一度だけ優しく頭を撫でてから、スィルツォードは前を向いてすぐ先を行くセルフィレリカを追いかける。その間にも、彼女の細い剣はただひたすらに近寄る敵を斬り飛ばしていた。


アリアハンに戻った二人は、日没を待って子猫を飼い主のもとへと届けた。無事に戻った猫は確かに同居者だったようで、彼は何度もスィルツォードたちに礼を述べ、自宅へと戻っていった。動き疲れた猫は、飼い主の腕に渡ってもなお深く眠っていた。目を覚ます頃には、安全な屋根の下で夕食が用意されていることだろう。
「一件落着、だな」
路地の奥へと去り行く背中を見送って、セルフィレリカは言った。
「わたしのわがままに付き合わせてしまったな。すまない」
「いいよ。ついてくって言ったのはオレなんだし」
今更そんなことで謝らないでくれ、とスィルツォードは答える。その言葉にふっ、と口元を緩めるセルフィレリカ。
「キミならそう言ってくれると思っていたよ。さあ、ギルドに戻ろうか」
「そうするか。なんだかんだでけっこう疲れたしな」
疲労感を片手に、充足感をもう片手に。無形の感覚に両手を塞がれて、スィルツォードはギルドへの帰路を急ぐ。
「なんだ、もう疲れたのか?」
「いや、朝から動きまわってたからさ……」
「ほう、午前は何をしていたんだ?」
「起きて、外に出て、それから……」
地平の向こうに隠れゆく夕陽の残光が、薄紫色に空を染めていた。通りすがる塀の向こう、あちこちの民家からは料理の匂いが漂ってくる。
徐々に明るさを失っていく街の中を、他愛のない話をしながら歩き続ける二人。路傍に立てられた街灯たちがぽつりぽつりと、家路を急ぐ街人たちの足元を照らし始めた。


薄明かりの灯った店内で、スィルツォードは壁に寄りかかって目を閉じた。
涼しい風と、心地よいムーディーな音楽。そしてブレンドされたハーブの香りが、一日の疲れを忘れさせてくれる――はずもなく。
上質なバーとは雲泥の差、相も変わらず今夜もこの酒場は、異様な熱気と喧騒に包まれていた。
よくもまあこうも毎晩、どんちゃん騒ぎができるものだ。グラスを豪勢にぶつけ合う男たちを横目に、スィルツォードは思う。
もちろん彼はバーになど行ったことがない。しかし彼にとっての"おしゃれなバー"のイメージは、たった今目の前に広がっている光景に比べるとずっと、格調高く落ち着いた雰囲気を湛えている。
先ほどからセルフィレリカは、カウンターでルイーダと話をしている。普通の会話はここまで届いてはこなかったのだが。

「……またかい」

その一言だけは、不思議とはっきりと、彼の耳に届いた。
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