Chapter 4-10
――興味がない。
その言葉には、どこか棘が含まれていた。
「それじゃ……セルフィレリカは、家には戻らないのか?」
「そうだな、今のところはそのつもりはない」
その表情からは、彼女の心境を読むことはできない。しかし声色は雄弁に物語っている。聴覚でもって、セルフィレリカの意志を感じ取ることができた。
それならば、と、彼はもう少し知りたくなった。言葉から、その思いを引き出す。
「……ギルドにいる人間に訊くのは変かもしれないけど、いいか?」
「なんだ?」
「家を継いだら、楽に暮らせるんだろ? そうしたくない理由って、何なんだろうなって」
ふむ、と彼女は顎に手を当てた。それから、当たり前のように答えた。
「楽かもしれないが、楽しくないじゃないか」
「楽しくない?」
「楽しくない。そんなことをずっと続けるのは、きっと辛いだろう。わたしはそう思う」
楽しくない仕事でも黙々とこなす。そんなイメージを彼女に抱いていたスィルツォードにとって、それは少し意外な答えだった。
「父には日頃から、おまえはファスタレンドの家を継ぐのだ、クォートハーツの子息と縁組をするのだと言い聞かせられてきた。わたしの声には聞く耳持たずだ。自分の思うがままに事が運ぶのが、父にとっては至極当然のことだった。厳格で冷徹な頑固者だったよ」
思い出すように、彼女は言葉を続ける。
「家長だとか、婚礼だとか、12歳のわたしには早すぎる話だった。けれども、作法を教えられて、礼節についての本なんかを読まされて……としていたわたしは、しばらくもしないうちに気が付いた。このまま家にいては、敷かれたレールの両側に、知らないうちに高い壁が築かれてしまうということを」
ちらりと、セルフィレリカの顔が横を向いた。その視線を追いかけると、二人の右手にはちょうど、市街の奥へと続く細い路地道が覗いていた。控えめにその存在を示す小道の両脇には、レンガや石が積まれて家と家を隔てている。枝分かれも何もない。この道に入れば、その先にはただ一つの出口がある。スィルツォードには、彼女の言葉がその路地に重なって見えた。

――彼女にとって、進む先が決まっている人生はくすんで映っている、ということなのだろう。

「だから、私は家を出た。しばらく家を離れて、見聞を広めたいなどという適当な理由をつけて、な。それで……辿り着いたのが、この場所だった。あの頃には、その選択が許されていた」
「……エジンベアから、一人でここまで来たのか? 12歳で?」
「家の人間はそう思っているだろう。実際には一緒に渡ってきた人がいるんだが……自分で言った手前、誰かの助けを借りて出るとは知られたくなかった」
「なるほど。なんとなくわかるな」
12歳の少女に宿っていたちっぽけなプライドを察して、スィルツォードは同意した。
「でも、もう17だろ。もしかして、そろそろ家から声がかかってきてもおかしくないんじゃないのか……?」
考え込むように地面を見つめるスィルツォード。婚礼の儀の話をするのに早過ぎるという時期は、もう過ぎている。
「そうだな……来るべき時が、迫ってきているということだ。ファドールがやって来たのも、もしかしたらそのためかもしれない」
こくりと頷いて、彼女はまた遠い空を見つめた。
「今回もきっと、わたしの意見は通らないのだろうな」
「……セルフィレリカも、親に大事にしてもらえないのか」
変わらない表情。境遇が違いすぎる彼女がどんな思いを秘めているのか、スィルツォードにはまだよく分からない。ただひとつ……子の自由を奪う。その一点で、彼女に対して共感の念を抱いていた。ぽつりと、漏れ出るように呟く。
「……いや。それは違う、スィルツォード」
しかし首を振って、セルフィレリカはその言葉を否定した。
「わたしは、確かに親に愛されていた。その愛を、わたしは拒んだ。それだけのことだよ」
「……」
彼女の声が、他の全ての音を遮って耳に入ってくる。スィルツォードが感じたのは、ほんの少しの安堵と落胆。それは過去の自分と重ならなかったことに対する、正と負の入り混じった感情だった。
彼女には悟られたくなかったのだろうか、彼はそっぽを向いて「そっか」と短く呟く。それが誰に向けた言葉だったのかは、セルフィレリカにも伝わらなかったようだ。
頷きを挟んで、彼女は続ける。
「わたしは、それが間違っているとは思わない。自分の人生は自分のものだ。それは他の誰のものでもない。どんな道を歩むのかはわたし自身が選ぶものだと、そう信じている。誰かの人形になるのも、誰かのために生きるのもお断りだ……たとえそれが、血の繋がった親であっても」
そうして、"彼女"を表す一言が、最後に紡がれる。

「わたしは、わたしのために生きる」

静かな声に、返す言葉はもうない。それ以上、スィルツォードに口を挟む余地は見つからなかった。足を前に向け、くるりとセルフィレリカに背を向ける。
(自分のために生きる……か)
声には出さずに、彼はセルフィレリカの答えを繰り返す。
そうしていると、射抜くような彼女の視線を背中越しに感じた気がした。
『キミは何のために、誰のために生きる?』
まるで、そう問われているかのようで。
その問いに対する返事は、今のスィルツォードには用意できなかった。答えは光か、闇か――その中に隠れている。

見当もつかないその答えを、探してみるのもいいかもしれない。ギルドに身を置く間に、果たして見つけ出せるだろうか。

今の彼には、成したいことがいくつもある。
それはランクアップであったり、育ての親への恩返しであったり。
ギルドの仲間たちに信頼を置かれるようになりたい……そんな思いも芽生え始めていた。それらを指折り数えれば、両の手で足りるだろうか。
(これは、目標がなくなったときの目標にしよう)
新たに見つかったひとつの難題を、スィルツォードはひとまず引き出しの奥にしまい込むことにした。

(とは言ったものの、か)
そして、セルフィレリカもまた、自ら口にした言葉を見つめ直していた。
胸元に手を当てて、ぐっと力を込める。布の内側には、ランシールに向かえというあの依頼の紙切れが眠っている。
歩むべき道を選び出すときが、刻一刻と近づいてくる。
二手に別れ、二度と戻り交わることのない岐路がもう目の前にあることを、彼女ははっきりと理解していた。
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