Chapter 4-6
辺りがざわつき始めるより先に、シヴァルが反応した。
「……下で何かあったようだね」
ぼそりと呟いて、ゆっくりと席を立つシヴァル。ややあってスィルツォードも、いつもの喧騒とは一風変わった雰囲気を階下から感じ取った。
「なんか騒がしいですね。ケンカでもしてるのかな」
「いや、こんな朝から血気盛んな男たちが暴れるとは考えにくい。皆に酒が入った夜ならよくある話だけど、今はきっと何かイレギュラーが起こった気がする」
そういった事態の収拾をよくやっているかのような口ぶりで、彼は言った。
「ただ、万が一揉め事が起こっていたらよくない。ちょっと様子を見てこようと思うが、君はどうする?」
答えを渋るスィルツォード。ギルドの勝手や暗黙の前提などを理解しきれていないこともあるが、そもそもわざわざ面倒事に巻き込まれにいくのもどうなのか。仮にトラブルが起こっていたとして、スィルツォードとしてはただ野次馬に身を乗り出すのはよろしくないのでは、という心持ちだ。
「うーん、オレはちょっと…」
新参者が首を突っ込む話でもないだろうと、スィルツォードはそう断ろうとしたのだが。

「セルフィレリカちゃーん!!!」

そんな声が聞こえてしまえば、さあ好奇心が鎌首をもたげる。身体がぴくりと動くのを、シヴァルは見逃さなかったようで。
「これは気になるかい。どうやら揉め事ではないみたいだけどね」
シヴァルが笑い混じりの声で、スィルツォードに振り向く。聞き知った名前が耳に入ってきたからには、彼の言う通り、様子を見に行きたい衝動が高まった。
どちらにしても、この後のこともある。まだまだ部屋に戻って寝るには早すぎる時間だ。適当な依頼があればそれを受けるのもいいし、街をのんびり散策してみるのも悪くはない。
しかし外にもう一度出るためには、結局は一階を通らねばならない。それに、先のクエストの完遂は、セルフィレリカの助力なしには成し得なかった。そのお礼を彼女に言わねばなるまい。だったらもう下りてしまおう――そんな正当化で自分を丸め込み、スィルツォードはシヴァルの後について階段を下りていった。


「あ、いいところに来たね。おやまあ……おもしろい組み合わせじゃないか」
カウンターでのんびりしているルイーダの、いつもよりやや抜けた声が下りてきた二人を迎えた。ちょうどラウンジに戻るときもシヴァルと一緒だったが、その時は忙しかったようで、冒険者たちの対応に追われていたルイーダは見ていなかったようだ。
「楽しげな呼び声が聞こえてきたのでね。ちょっと参加してみようかと」
おどけた様子で言うシヴァルを見ていると、彼が本当に賢者なのか、スィルツォードは自信が持てなくなってきた。
「えらく悠長に構えているその様子を見ると、厄介なことは起きていないらしいね」
「まあ血の飛ぶことは起こってないさね。ま、そうだとしてもあたしが止められるのかって話だけどさ」
諦め混じりに答えるルイーダ。いやしかし、スィルツォードは彼女ならそういった諍いをも鎮められそうだと、なんとなく感じた。
「セルフィレリカがどこかにいるんですか?さっきすごい声が聞こえてきたんですけど……」
「ああ、親衛隊がいつもより多いだけの話だよ。あの子も大変だねほんと」
「親衛隊?」
そんなものが必要なのだろうか。彼女は十分な強さを持っているはずだが……と思ったのはほんの数秒のことで、彼女の名を呼ぶ野太い声が上がるのを聞いていると、ああなるほど、これはまた面白おかしく喩えたものだ、と納得した。
状況を見るに、酒場の入口のすぐそばで、どうも誰かが群衆に取り囲まれているようだった。それが誰かはもはや明らかだ。人だかりからは、形容しがたい熱気を感じる。
「いや…人気があるのは前々からだが、何かいつもと違うね。彼女がというよりは、周りの反応が」
がやがやと大勢が声を上げているせいで、個々が何を口にしているのやらまるで分からない。聞き分けることを放棄して、スィルツォードはセルフィレリカの目視に努めた。ほんの一瞬、自由に動き回る人々の影が切れたところで、彼はいつか目にした黒髪を、それから整った表情を視界にとらえた。
彼女は確かにいる。

「……!」

半ば呆れ顔にも見えたセルフィレリカは、人垣の間にシヴァルの顔を見つけたようで、何やら合図のようなものを送っているらしかった。その様子までは分からなかったが、隣でシヴァルが息をついたのがその証拠だった。
「お声がかかったみたいだね」
肩をすくめてそう言いながら、シヴァルは人だかりに足を進めていった。
彼が向かったということは、きっとセルフィレリカはあの空間から抜け出せるのだろう。だとすれば、自分の出る幕はなさそうだ。シヴァルの邪魔にならぬよう、スィルツォードは遠巻きに見ていることにした。

「ただいま」
「まったく……やれやれだ」
やがて、親衛隊の隙間を縫ってシヴァルが一人で戻ってきた。もうひとつの声を引き連れて。
開口一番、彼女はうんざりしたように言った。が、その姿がどこにもない。
「あれ? セルフィレリカはどこに……?」
「私のすぐそばだ。君はレムオルという呪文を知っているかい?」
「レムオル……?」
馴染みのない単語が、シヴァルの口から発せられた。不思議そうに首を傾げるスィルツォード。
「一言で言えば、透明化する呪文だよ。このあたりを見てごらん」
さっと示されたのは、彼のちょうど右隣。その場所にセルフィレリカがいることに、スィルツォードはようやく思い当たった。先ほどの声の出所と不自然に空いた空間が、それを物語っている。
「む……キミは一体どこを見ているんだ」
「え、いや。どこと言われても、何も見えないし……でもそういうことだよな。ごめん」
その空間をまじまじと眺めていると、セルフィレリカから文句が付いた。その意味を理解し、そそくさと目をそらす。
話し相手が近くにいるのに見えないというのは、なんとも心地が悪かった。
彼女はまだ透明なまま。もうしばらく待つ必要があるようだ。
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