Chapter 3-15
「えーと、五、六、七……」

時刻はそろそろ四時。太陽はまだ顔を見せていないが、ギルドの一日が始まろうとするまで間もないころだ。
薄暗い酒場の中、その入口近くを陣取っているいくつもの丸机の周囲には誰もいなかった。少し奥に並ぶ四角いテーブルも、ひたすらに黙して音ひとつ立てることはない。いつもは喧騒に包まれているこの空間で、今この瞬間音を生んでいるのはカウンターだけだった。ただ、ささやくように数を数える声と、パチ、パチと爪を並べる音だけが、部屋にいる者の耳に届く。不気味なほどの静けさの中で、それは一際大きな音となって彼らの鼓膜を通り抜けた。

夜も更けたあれから、二人は目を凝らしながら懸命に一角ウサギを探した。その間にも、他のモンスターがこれでもかとばかりに湧き出てきては、二人に飛びかかってきた。それを一心不乱に蹴散らし続け、その中に数少なく紛れ込む白い兎を見逃すことなく仕留める。そうして、手持ちの道具をほぼ使い切りながらも、日が昇る前に十匹の一角ウサギを倒し遂せたのだった。

やがて硬い爪が木を叩く、小気味の良い音が止む。全てを確かめ終えて、一言。
「……ん、ちゃんとあるね。お疲れさん、クエストはクリアだよ」
微笑み混じりの声で、ルイーダが二人に労いの言葉をかけた。
「ありがとうございます」
角と爪を入れた袋と引き換えに、報酬の小袋を受け取る二人。中を開くと250ゴールドが入っていた。ちらりと横をうかがうと、どうやらティマリールにも同じ額が包まれていたようだ。

「しかしアンタら、えらく早かったね。あと二、三日はかかるもんだとばっかり思ってたのに」

「いや……オレたちはもっと早く終わると思ってました……」
「そうだよねー……ウサギ全然出てこないんだもん……」
疲れきった声で、二人が顔を見合わせながらぼやく。ルイーダは目を閉じて、ふうと息を吐いた。まだ少し煙草が残っていたか、ほんのわずかにその息が白く煙る。
「……まぁ、これでアンタたちも分かったろう? 思っているほど甘いもんじゃないんだってこと」
「はい、よくわかりました」
「うーん……ボクの最初のクエストはもっと簡単だったけどなぁ……」
「多少の当たり外れはあるもんさ。アンタはきっと最初に相当な当たりクジを引いちまったんだね……」
どうやら初陣ではないティマリールにとっても、このクエストはなかなかに堪えたらしい。ゴシゴシと、瞼をこする二人を見るに、かなり限界が近そうだ。その様子を見ては、ルイーダとしても長く引き留めるのが躊躇われた。
「ああもう、今にもぶっ倒れそうじゃないか。他にも話したいことはあるんだけど、それは明日にしようか。今日のところはさっと湯浴みをして、ぐっすり眠るといいよ」
「そうします……おやすみなさい、ルイーダさん……」
「おやすみー……」
「はい、おやすみ」

今にも瞼が落ちそうな中で、挨拶をして歩いていくスィルツォードと、その後ろに従うティマリール。壁に手をつきながら、一段一段ゆっくりと階段を上っていく足音を聞きながら、後で様子を見に行ったほうがいいかねぇ、とルイーダは再び煙草をくわえて煙を浮かべた。
そのとき、ティマリールが階段の途中でくるりとこちらを向いた。そして声を出すことなく、その唇だけが動いてルイーダに意思を伝える。

(まかせて)

その意味を汲み取って頷き、ひらひらと彼女に向けて手を振った。
(よくやったね、ティマリール。あたしゃあんたを見直したよ)
この一日を通して、スィルツォードと同じ視線で動きまわり、その傍らで密かに彼を支えた彼女に、ルイーダは心の中で惜しみない賛辞を送った。
それから、今度は自分がくるりと椅子の向きを変えて、逆側を向く。その先にあるのは、今回の仕掛人の居室だ。

「……まったく、アンタも人が悪いよ。毎度のことながら、どうしてこんな回りくどいマネをするのさ」
カウンターの中から、開いた扉の向こうの影に向かって訊くルイーダ。
「俺だって、好きでやってるわけじゃないぞ。足りん知恵をあれこれ絞って考えたことだ」
声に応えてのそのそと部屋から出てきたダンケールは、ずいとカウンターに入り込んでルイーダの隣の椅子に腰掛けた。年季の入った木の椅子が、その体重を受け止めて軋む。

「それにしてもねぇ……」
依頼を完遂したことを示す小袋を持ち上げて、ぶらぶらと揺らす。部屋の灯りに照らされたそれは、丸い影をテーブルの上に落とした。
「この一日で、あの子たちはどれだけ戦ったんだろうねぇ……少しでも疑うことを知ってれば、殖えてるのは"他の"モンスターたちだってことにも気づいたろうに……」
「バカ正直なのか、知って黙っているのか……」
「まさか。あたしの見立てでは、あの子たちは信じ切ってたね。あんたのことを……はい、これ」
「おいおい、依頼主にこんなものを返してどうするんだ」
すらりと長い二本の指で挟んだ依頼書を、さっと分厚い胸に突きつける。ダンケールは口ではそう断りを入れながらも、ごつごつとした指で受け取る。役目を終えた紙が、彼の手の中でくしゃっと歪んだ。

「最初の質問に答えるとだな……」
黒々と伸びた髭を撫で付けながら、ダンケールは言った。
「あいつらは自分から進んでことをやっているつもりだっただろう。そうしているうちは、能力ってのはよく伸びるもんだ。俺や周りがあれこれやれって言ってしまったら、そいつはきっと成長のブレーキになる」
「よく言うねえ。ま、しばらくは付き合うよ。あんまりあの子たちがかわいそうになったら、その時はネタばらし、だからね」
隣り合って座っている彼らの身長差は、おおよそ頭一つ半分くらいだろうか。見上げて口元を結んだルイーダに、ダンケールは立ち上がる。
「やむを得ん。が、この結果を見て俺はあいつらはやってくれると思ったぞ。これまで何人の新入りが、「受けたその日に」最初のクエストを終わらせられた?」
「……ふふっ、そうだね。リタイアしたり帰ってこなかったりしたのが、一体何倍いたことか」
「面白くなってくるぞ、またこれからな。はは……」

楽しさがにじみ出る笑い声を残して、ダンケールは自室に引っ込んだ。ところどころ違う考えを持つところはあるが、先に期待をかける心はルイーダも同じだ。

「おめでとさん、スィルツォード」

引き出しから一枚のカードを取り出し、ルイーダはそう呟いた。火を消して、静かに椅子から腰を上げる。煙草から最後に昇った白い一筋の煙は、ゆらゆらと行き場を求めて虚空に消えていった。そうして、入れ替わりに今度は天井から吊るされたランプに火を灯す。騒がしい一日の始まりを告げる酒場の空間は、黄色い光で満たされたのだった。


【To Be Continued】
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