Chapter 3-14
「スィルっ!!」

彼の異変に気づいたティマリールは、途端に顔色を変えて叫んだ。さっと彼の後ろに回り込み、少し調べて気が付いた。その右手に、温かい感覚が流れる。
「スィル、血が出てる!」
背中の少し右のあたり、服の破れたところを中心に赤い円がつくられていた。スィルツォードは手を回して確かめようとしたが、痛みがひどく届きそうにない。仕方なく諦めて、ティマリールに処置を任せる。言われてみれば、突かれたところがじんじんと疼いていた。傷口と思しき箇所からはこれでもかと言わんばかりに、心臓の鼓動とぴったり重なる規則正しい周期で熱が振りまかれている。手を触れずとも彼女の言った通りであることは、苦痛の中でも簡単に分かった。
ティマリールは迷うことなく小瓶の蓋を開け、スィルツォードの背中にばしゃりと振りかける。さほど経たないうちに、スィルツォードは痛みが和らいできたのを感じた。脂汗がにじみ、白くなりかけていた顔にも血の気が戻ってくる。大きく息を吐いて、ゆっくりと上半身を起こす。まだ傷口あたりに熱は残っているが、このくらいなら問題なく動くことができそうだ。

「ありがとう、ティマ」
「いいっていいって。それよりごめんね、ボクが遠くに行き過ぎちゃったばっかりに」
「何言ってるんだよ。オレが怪我したのはオレのせいだ。もっと周りをよく見ないとな…薬草や水だって大事にしないと」
セルフィレリカが補充してくれたとはいえ、あまり無駄に使えるものでもない。
「うん……ボクも気をつけるよ。がんばろうね!」
ティマリールも、もう同じ失敗はすまいと、決意の眼差しで頷いた。


やがて街道からはすっかり外れ、いつの間にやら辺りは一面の草原地帯となっていた。
スィルツォードの右手指は、プルプルと小刻みに震え始めていた。数え切れないほどに剣を振るい、腕も徐々に悲鳴を上げ出したようだ。いかに器用さに自信のあるスィルツォードとはいえ、慣れない動きを繰り返すと先に肉体に限界が訪れる。ぐっと力を込めてみても、頼りなげに指が折り畳まれるだけだった。
そして隣を歩くティマリールも、息が上がってきたようだった。彼女ももう拳を突き出した回数は三桁か、今日だけでそれほど多くの魔物たちを退けている。時折庇うように、左手で右の腕をしきりに揉んでいた。

「はぁ……大丈夫か、ティマ……?」
「うん、なんとかね……!」
その声色にも、もう疲れを隠せなくなってきている。
襲い来る魔物を倒せども倒せども、その大半はスライムと大烏、フロッガー。肝心の一角ウサギが、どこにも見当たらない。何故だろう、依頼書には確かに一角ウサギが殖えているとあった。それを信じるならば、既に何十回と出くわしているスライムたちはそれ以上に沸いているということになる。
それとも、自分たちが極端に不運な星の下に生まれたのだろうか。そうだと信じたくなるほどに、それはもう見事なまでに目当ての白兎が見えないのだ。
よもや場所を間違えているのではなかろうかとも思ったが、辺りと地図を見比べる限りその線は薄そうだ。南にそびえる塔も、東に覗く岩山の影も、そして何より足元を覆い尽くす青い草たちも、すべての景色がその証明だった。

いつの間にか、草原には夜の帳が下りていた。月と星の光は、魔物たちを素早く見つけるには頼りない。
しかし、夜はかわりに耳が利く。風に揺れてさわさわとこすれ合う草たちの音色に混ざって、ガサガサという不協和音が混ざりこむ。それを聞きつけるが早いか、その音の出どころを叩く、という先手必勝の戦法で二人は動いた。

「てやぁっ!!」

制御の利かなくなってきた身体に鞭を打ち、振りかぶった剣を叩きつける。確かな感触が、剣を通して両の手に伝わってくる。不意を衝かれないよう、しばらくじっと注意を巡らせてみても、何かが動く気配はない。どうやら作戦が奏功したらしい。
恐る恐る、慎重にその場所を凝視すると、ようやく当たりくじを引いたことが分かった。二匹目の一角ウサギを仕留めたことを示すかのように、暗がりにも白い羽がふわりと舞っているのが見えた。
「やった!」
「えっ、そっちも!?」

ちょうど二人分くらい離れた草むらから、ティマリールの声が届く。幾分元気の戻った声色とその内容から、どうやらもう一匹収穫があったようだ。これには、スィルツォードも俄然やる気が戻ってきた。
「一気に二匹 !やったね、スィル!」
一本の角を折り取って、依頼の片方は達成した。討伐数の証拠となる爪も忘れずに回収しながら、笑顔があふれる。そんな彼女につられて、同じように頬が緩む。

――なんとか、いけるかも!

届かないように思われた「十匹」という階段のてっぺんに向けて、一気に二段が積み上げられたことで、二人の息吹が戻ってきた。残るはあと七匹、道のりはまだ長いが、決して遠くはないように思えた。
そして気のせいか、先ほどまであれほど頼りなかった腕も、また息を吹き返してきた。萎えかけた気力がふつふつと湧き上がり、確かな力を二人に与え始めた。

「よし……このへんを徹底的に探そう、ティマ。もしかしたら、たくさんいるかもしれない」
「そうだね、見つけたら逃がさないようにしなきゃ……!」

もっともな提案に返事をしながら小瓶を二つ取り出して、その片方をスィルツォードに手渡した。そうして、どちらからともなく蓋を開け、ぐいっと一気に飲み干す。清涼な流れが、乾いた喉を潤して身体を内側から癒していく。セルフィレリカから授かったアモールの水は、これで尽きた。薬草も残りはわずかだ。
だが、彼らにもう絶望の色は見えなかった。根拠のない自信が、不思議と頼りげに感じられた。一度、顔を見合わせ頷き合って、果てなく闇に広がる草原へと、その足を踏み出していった。
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