Chapter 3-9
……ところが。

「…………」
彼は焦り始めていた。
約束の時間を過ぎてもう三十分余り。しかし、ティマリールが階上から下りてくる様子が一向にないのだ。
昨日別れたときのことを思い出す。彼女は確かに、九時にラウンジだと言った。それも夜の、などというひねくれた指定ではなく、間違いなく朝の九時と。
となると、だ。

『決まりだね! それじゃ明日の朝九時に、ラウンジで待ち合わせよっか!』
『分かった、遅刻しないよう気をつけるよ』
『あはは……耳が痛いなぁ。どっちかっていうとボクのほうが気をつけなきゃ……』

――これは、あれだな。ティマ、まだ寝てるんだろうな。
なんとなく察した。きっとまだ夢の中なのだろう。彼女の部屋は分かっていることだし、起こしに行ってみるかと、スィルツォードは腰を上げて三階へと向かう。最初の段に足を掛けて、彼は動きを止めた。何やら静かな騒がしさが、聞こえてきたような気がした。
その正体は割合すぐに突き止められた。階段を上る手前の、アリアハンの大通りが見下ろせる位置についている窓が、開け放たれていたのだ。吸い寄せられるように、スィルツォードはその窓に歩いて行き、そこから下を眺める。
大通りには、街にとってはいつもの、しかしスィルツォードにとっては新鮮な朝の光景が広がっていた。道の真ん中を荷物を積んだ馬車が往復し、民家の傍ではお隣さん同士が笑いながら世間話をしている。朝市の帰りだろうか、大きな袋をぶら下げて家路を急ぐ主婦も見えれば、じっくりと辺りに注意を配りながら、遅めの足取りで歩き回る兵士たちもちらほらといる。街の入口あたりには、行商人と傭兵のような格好をした男の一団が。そして真下に視線を落とすと、自身も目を奪われた七色の花壇。そこで水をやる少女と偶然にも目が合う。リーゼはこちらに気付いたようで、おどおどしながらも、控えめに手を振ってくれた。おはようと、スィルツォードは手を振り返す。すると、やや硬かった彼女の表情に笑みがこぼれた。恥ずかしがるようにぺこりとこちらにお辞儀をひとつ返して、彼女はまた花たちの世話に戻った。

「へー、街の朝ってこんな感じなのか」
下町とは違って、いろいろな人がいる。けれど、温かい。彼にはそれが分かった。
そして、なんだ、そうだったのかと腑に落ちる。
街だって、下町とおんなじところはあるんじゃないか、と。
下町は互いが互いを見知っていて、いつでもどこでも温かい会話が交わせる素晴らしい場所だったが、市街地のこちらも負けてはいないのではないか。これだけの規模だ、街の全員が全員を知っているなんてことはまさかないだろうが、それでも部分的には下町と何ら変わらない情に満ちた空間がある。兵士たちが通りかかると、井戸端会議をしていた者たちも挨拶をするし、兵士もそれに答える。
きっとこれが普通なのだ。一部の権力者だけが、いけ好かない金持ちたちだけが例外なんだと、スィルツォードは言い聞かせた。と同時に、街に住む人間たちに対して少しばかりの罪悪感を覚えた。ここにやって来たときに、周りに田舎者と相手にされないのではないかと、少なからず不安を抱えていた。しかしこの様子を見るに、その心配はあまりないだろう。ここなら、うまく溶け込んでやっていけそうだ。

さあ、もう十時が近い。スィルツォードは窓をそっと閉めると、階段を駆け上ってティマリールの部屋の前まで急いだ。


「おーい、ティマー?」
コンコンコン、とドアを叩く。案の定、すぐには返事は返ってこない。
「……ティマー、起きてるかー!?」
しばらく待って、今度はもう少し大きめの声で呼ぶ。すると、部屋の中から反応が。
「……なぁにー……?」
「なぁにーって……あのなー、もう十時だぞー」
聞こえてきたのは寝ぼけ眼の彼女の声。聞いただけでどんな顔をしているか、はっきりと分かるような気だるげな声だった。ボリュームを元に戻して、スィルツォードは呆れ声でそう告げた。今度は反対に、ティマリールの音量が上がった。
「えっ……うわああああーーーーっ!!!」
ドタバタと、突然騒がしくなるドアの向こう。とっさに身の危険を感じて、二歩ほどドアから足を引いておく。それとほぼ同時に、閉じていた扉が勢い良く開け放たれた。

「ご、ごめんスィルー! ボクってば一時間も寝過ごしたなんてー! うああああ……」
「落ち着けって、ティマ! 謝らなくていいから」

焦りからか驚きからか、うっすらと涙目になって出てきたティマリール。ともかく、彼女を落ち着かせて準備を促すことが先決だ。スィルツォードはそう制して、ティマリールの肩をゆっくり押して部屋に戻そうとした。そうして一度自分も部屋に戻って、十分ほどしたらまた来ようと、くるりとドアに背を向けようとした次の瞬間。
ぐいっ、と右腕が掴まれた。
「ごめん、ちょっと中で待っててっ!」
「え、ちょっ……!!」
言うが早いか、有無を言わせぬ勢いでスィルツォードは部屋の中に引きずり込まれた。
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