わたしは自宅のトイレの中で目の前の事実に頭を抱えながらため息を吐いた。
体温計に似たそれを角度を変えたり、電気に当てたりしてみるも2本の線がくっきりとしていることは変わらない。
あー、どうしよう、妊娠した。
心当たりはある。
頭に思い浮かぶ、五条君の顔。
彼以外、心当たりがない。
わたしと五条君は先輩と後輩の関係である。
五条君は二個下の学年だけど、入学してきた時から別格だった。
遥か先をわたしの見えない未来を見ながら歩いているような人間だ。
わたしも努力に努力を重ねて1級術師になったけれど、五条悟の足元に及ばない。
そんなわたしが何故彼と身体の関係があるかと言えば、正直言って分からないの一言に尽きる。
五条君はふらりとわたしの元を訪れてはわたしを抱いて帰っていく。
本当に嫌なら嫌だと言えた筈なのに、抵抗することはできなかった。
だってわたしの心は、高専に入学してきた五条君を一目見たその時から、囚われてしまっているのだから。
とりあえず、病院に行って検査しなきゃ。
そしてどうにかしなくちゃいけない。
だって、わたしが、あの五条君の子供なんか産めるはずなどないのだ。
「ねえ、倫。僕になんか言うことあるんじゃない?」
あの後、病院へ行って妊娠が確定した。
それから1週間。
命を守るために闘うわたしは、どうしても授かった命を消してしまうことはできないという結論に至った。
だから1人で海外にでも行ってこっそり産もうと決めて、術師を辞めるために色々動き始めてすぐのことだった。
高専の中なのに、珍しくいつものアイマスクを外した五条くんがわたしの前に不機嫌な顔して立ちはだかった。
「思い当たることはないかな。どうしたの?」
そう言い放つと五条君は四角い小さな紙をわたしに突きつけた。
ひゅっと喉が鳴るのが自分でも解った。
五条君のそれは、この間病院でもらったまだ豆粒の、けれどもわたしの中に確かに息吹いている小さな命の写真。
「僕との子だよね?」
なんでその写真持ってるの?とか、なんで不機嫌なの?とか。
聞きたいことはたくさんあったけど、何も言葉にならない。
ただ首を縦に振るだけのわたしを見て五条くんがため息をついた。
「ご、五条君には、迷惑かけないから。術師やめて、海外に行く。だから、大丈夫だよ」
「やっぱりオマエ、1人で産んで1人で育てるつもりだったんだ?」
「だって、わたしたち付き合ってる訳じゃないもの。迷惑はほんとにかけないから、ね」
「は?今なんて?」
「迷惑はかけないから」
「違う、その前」
「わたしたち付き合ってるわけじゃない」
その言葉に五条君ははーっとため息を付きながら顔を大きな手で覆うとしゃがみこんでしまった。
「オマエ、付き合ってないと思ってたの?」
「え、だって付き合おうとか好きとかそんなのなかったよね?」
始まりはいつだったか、もう随分昔のことだ。
その頃、名前を伏せて硝子ちゃんとか歌姫に相談したらそれはセフレだと言われた。
「デートする訳じゃないし、ふらっと来てふらっと帰るし、身体だけのお付き合いじゃないの?」
五条君はしゃがみ込んだまま動かない。
「五条君……?」
「………ごめん」
ふいに五条君が顔を上げて言った。
青い眼がわたしを見つめる。
「確かに、僕、言ってない」
五条君がゆるゆると動いてわたしの手を取る。
跪いてるわけではないのに、まるで王子様の求婚のようだ。
「倫、お前が好きだよ。ずっと付き合ってるつもりだった。今更捨てるとかないよね?それとも僕のこと嫌い?」
お前が好きだよ。
その言葉を何度も何度も頭の中で繰り返す。
五条君が、わたしを、好き?
「付き合ってる、つもりだったの?」
「うん」
「デートとかした事、ないじゃん」
「オマエが最初に外はやだって言ったんだろ」
「そう、だっけ」
そうだったような気もする。
付き合ってもないのに、外で会うのが嫌で断ったような。
なんだ、勘違いさせてたのは、わたしも一緒だったのか。
「で、返事は?」
「わたしも、好き」
そう言えば五条君はニカッて笑った。
初めて出会ったときの笑顔と同じだ。
抱きしめられながら、そう思った。
2024/04/20