すみません。すみません。と謝る伊地知に笑顔を向けてから私は高専のとある場所へ足を運ぶ。
繁忙期。
ただでさえ忙しい術師たちはまるで追い立てられるように呪霊を払う。
一級の私でさえ、こんなに忙しく日本を飛び回ってるんだもん。
同級生で特級の悟が嫌になる気持ちも理解は出来なくない。
でも、私たちは祓わなければならない。
手の届く範囲で、掌から零れ落ちないように、命を守らなければならない。
カラカラ、と音を立てて教室の引き戸を引く。
目的の人物は窓際の小さな椅子に長い足を投げ出して窓に凭れかかるように座っていた。
小さく上下する胸。
規則的な呼吸音。
トレードマークとなりつつある、目元を隠すバンドは手に握られていて。
サラサラの髪の毛を爽やかな風が撫でた。
ショートスリーパーで気配に目ざとい彼が目を覚まさないなんて、珍しい。
本当に疲れてるのかな。
起こすかどうか一瞬悩んだ後、自分が悪くもないのに謝る後輩の顔を思い出して悟の肩に触れる。
「悟、伊地知が探してたよ。起きて」
少し身動きしたものの、彼は目を開かない。
「悟」
もう一度名前を呼ぶ。
すると長い腕が私を引き寄せ、ぐりぐりと頭をお腹に押し付けられる。
「最初から起きてたでしょ」
「バレたー?僕が愛しの倫の気配に気づかない訳ないでしょ。あー充電させて」
「ちょっと悟、折れる!内臓出ちゃう!自分の力考えて」
「無理〜。もう何日お前に会えてないと思ってるの。少しぐらい休ませてよ」
「伊地知待ってるから!早く行かなきゃ」
「行きたくな〜い」
これじゃあまるでスーパーでお菓子を母親に強請る駄々っ子だ。
これは満足するまで絶対に動かないやつだ。
仕方なくされるがままにすることにする。
この人の両肩には私には想像もつかないくらいの重荷が乗っている。
でも、それを一緒に担いで隣を歩ける人はもう居ない。
彼はずっと孤独の中で歩いているのだ。
その彼が、何故かちんちくりんのこの私を好きだと宣った。
そばにいて、ひとりにしないで。
そう弱音を吐いた日を私は生涯忘れることは無いだろう。
きっと死ぬその瞬間に私はそれを思い出すに違いない。
「この後の任務はどこ行くの?」
「仙台。恵の様子見に行かなきゃなんだよね」
「帰りは?」
「夜中かな。なんも無ければ久々に家に帰れる」
そう聞いて頭の中で自分のスケジュール帳を広げる。
この後学生の付き添いが1件。
それが終われば高専で溜まってる報告書を仕上げるだけだ。
「じゃあ、高専でまってるよ。たまには一緒に帰ろ」
「ほんとに?」
「ほんとほんと。だからそろそろ行こうよ悟。ほんとに伊地知可哀想だから」
彼はん゛ーと唸ってから私を離す。
どうやら天秤は任務に傾いたらしい。
「仕方ないな〜行きますか」
いつものように髪をバンドで押し上げて悟が立ち上がる。
頭1つどころか2つ分は高いだろう悟を見上げた。
「何?」
「いや、頑張って来てね。悟」
「まっかせなさーい」
自然と手を引かれ歩き始める。
お見送りまでしてと言うことだろう。
私はゴツゴツしたその手を力強く握り返して、その背に今日も彼の無事を祈った。
2024/04/07