冬のキンキンと鋭い空気が頬を刺してくる。じわじわと溢れる雫がこぼれ落ちそうで、あまりの寒さにこれも凍ってしまうんじゃないかってくらい涙が痛くて冷たかった。目の前には自分の家の玄関のドア。どうやって家まで帰ってきたのかは覚えてない。ぼんやり覚えてるのはさっきまで彼氏だった玄関先の男の顔と、別れてくれの言葉と、その部屋の奥にチラリと見えた女の子。

自分が何をしたんだろうと考える。何が悪くてあの子に乗り換えられてしまったのか。本当の本当に好きだったんだ。あのはにかむような柔らかい笑顔とか、穏やかさを感じさせる声色とか。


「あの」


別れようの声色すら穏やかさをはらんで聞こえた。ああマジで思い出すだけで愛しくなるよ的な歌詞がぐるぐると頭の中を回っている。今ならカラオケで失恋ソングを歌って号泣できそう。もう泣いてるんだけど。視界が滲みすぎてカギがうまく開けられない。はやく家に入って大洪水になるぐらい泣いてしまいたい。何も気にせずに。隣人も居ないことだし。


「あのーすんません」


そういえば隣人なんでいないんだっけ?なんか学校の旅行だか実習だかなんだかで数日あけるみたいな事を言っていた気がする。よっぽど忙しい人なのだろう。何度かしか会った事はないけど眼鏡で長身で、美人系の顔で。男だけど。風の噂で医大生をやってるとかやってないとかって聞いた事がある気がする。え、マジで将来有望すぎない?あの容姿で医師とかになったらもうパーフェクトすぎるんじゃないだろうか、「あの、大丈夫です?」って、え?


「えっ…えっ!?」

「や、お姉さんすごい泣いてたので大丈夫かなーと思ったんですけど」


ばっ、と顔をあげれば黒髪のシュッとした感じで、雰囲気としては少しチャラそうな男が緩やかに困ったような笑みを浮かべて覗き込んでいた。優しすぎないか世界。でも一人で泣いてるつもり満々で、このあとも一人で泣くつもり満々だったから今になってジワジワと恥ずかしくなってきて、さらに涙が溢れてきた。あーあー子供かよ私、泣きすぎだよ。目の前の男もドン引きでしょう突然ここまで泣かれたら。もはやさっきまで感じてた寒さも羞恥から顔が火照ってあまり分からなくなってきた。


「あーっと、すんません俺が急に声かけたからだ!?ちょっと待っててください!」


引いてなかった。むしろ慌てられた。その男の人は隣の家のカギを開けて中に入って行った。私はどうする事も出来ずべそべそ泣いたままその場に立ち尽くす事しか出来なかった。けどなんとかご迷惑をかけたこと、謝らないと。と思い話の出来そうなレベルまで涙を引っ込ませて、飲み込んだ。そしてちょっとして戻ってきた彼は未開封の缶を一つ持って来ては差し出して、「これ、良かったらどうぞ」なんて言うのだ。優しすぎるだろ世界。マジかよ世界。


「…いやそんな、突然悪いです。っていうか飲むつもりだったものなのでは…?」

「俺の事はいーんで!それでも飲んで落ち着いたらぶわーっと泣いちゃった方がスッキリしますよ。つーか俺が追加で泣かせちゃったみたいになって、ごめんなさい」

「本当に謝らないでください、私が人に気づかず泣いてたのが悪いんで…」

「いやいや、まあこれ、本当受け取ってください。真ちゃんのじゃなくて俺のだから怒られる事はないし」

「え、っと…ありがとう、ございます…?」


ずいぶん実になりそうなアドバイスをもらった上に飲み物を貰ってしまった。ふと見るとココアだった。またその優しさに泣きそうになったけどグッと堪えた。そして改めて相手を見る。そのカラッとした笑みは、最初のチャラそうな印象から少し離れて、本当に良い人なんだろうなあ、と思わされた。あれ、そういえばこの人今隣の家に入って行った気がするのだけれども、気のせいだろうか。


「あ、の」

「はい?どうしました?」

「つかぬ事をおうかがいしますけれども、お名前は…?」

「ああ!高尾和成って言います、真ちゃ、あー、緑間が数日あけるんで、ハムスターの世話をしろって言われちゃって。連れて帰ってもあれだし数日ここ泊まる事になってて」


隣人の方がハムスターを飼ってた事すら知らなかった私はその事に驚けば良いのか、隣人の名前なんだっけとか、はたまた隣人の家にその人の友人がハムスターの為に泊まりに来ることに驚けばいいのか、とにかくどこから驚いて良いかわからず、「は、はあ…?」と気の抜けた声しか出なかった。高尾さんはと言うとそんな私を見てもなおにっこり笑ってこう言うのだった。


「数日間ですけど、よろしくお願いしまっす!」


眩しい。眩しすぎる。いつの間にかひんやりとした涙は完全にこの時には引っ込んでいた。

でもやっぱり悔しくて、家に入ってから少しだけ静かに泣いた。高尾さんにもらったココアも飲んだ。甘くて甘くてそれにもちょっと泣いた。


161215





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