ああ好きだなあと思っていたのは小学生とかその辺の頃だと思う。ただあくまでそれは恋愛感情ではなく、幼い頃から一緒に遊んでくれる姉のような存在に抱く親愛のようなもので。それが恋愛感情になったのは中学に入学して、女子男子のあれこれを多少なりとも意識し出した時からだった。憧れの延長線だったかもしれない。それでも結さんとずっと一緒に居たいだとかそういう子供じみたようにも見える感情は嘘ではなかったし、現に僕にとってはあの時、周りの同級生の女子たちよりも二つ上の結さんが一際目立って見えたし、目で追いかける程だった。それから偶然一緒に出かけた帰りに告白したのは僕が中学二年生の時だ。結さんの顔は僕のその告白に対して驚いた表情とともに、どこか怯えを含んでいた。そのまま結さんが踵を返して家に逃げてから以来話したのはあの星月学園の入学式の日だ。まったくあの時のことなんて気にしてなさそうなその飄々とした態度に苛立ちを覚えたのは記憶に新しい。二年前の表情の理由はいまだに分からない。

と、思ってたら逃げた相手が次は僕を追いかけて来たのである。今更何を、という気持ちがないわけではないけれど、少しくらい彼女との鬼ごっこに付き合ってもいいかなと思える程度にはまだまだ相手に甘いのだと実感させられる。

しかし明日からはゴールデンウィークに差し掛かる。今日逃げ切ればしばらく追いかけられないのだろうな、となんとも言えない重みを心に抱えながらいつものようにロードワークをして、いつものように準備を済ませて朝ごはんを食堂で食べてから廊下を歩いていると、早速結さんと出会ってしまった。キュッ、と床が音を立てる。連休前の鬼ごっこが始まった。







「おはよう梓、今日こそ捕まってよ?」

「おはようございます、絶対に嫌です」



相も変わらず鬼ごっこが始まり、早速廊下を疾走するのはかたや弓道部エース、それを追いかけるのは生徒会庶務。二週間も経てば朝には決まって追いかけっこをする私たちの事はちらほら噂になってたりするらしい。その内容は「三年の高梨が一年の男子に一目惚れして追いかけ回してる」というもの。その事を誉くんから聞いたときは教室で爆笑した。一目惚れって。

ちゃんとずっと好きだったのだ。あの時に未来を想像したということは、考える気はあったということになる。未来を想像したいと思った相手なんて、今まで生きて来て梓ただ一人だったのだ。男女の違いを意識しだして、高校生にもなって。もう私が梓から離れなきゃいけないってわかっていたのにそれが出来なかったのもきっとそれは。ずっと逃げたことも謝りたかったし、伝えられなかったこと、私が考えてたことを、伝えてしまわないとお互いに不完全燃焼だろう。

梓が階段を駆け下りる。私はよし来たと何段か飛ばしながら降りるが、あと少しの距離がどうしても埋まらない。その時である。ガッ、と何かを踏み外す音がした。前方で。



「うわっ」

「梓!」


階段を踏み外した梓に、思わず手がのびた。届けとこれほど祈ったことがあっただろうか。ぱし、と何かをつかんだ感覚。ギリギリのところで梓の腕を掴んだらしい。それを引き上げることでなんとか思い切り段に頭を打ち付けずに済んだ梓は、体勢を整えてこっちに向き直った。複雑そうな表情を隠しもしていない。私も助かったことへの安堵と、梓を捕まえたのだという実感のわかなさとがまぜこぜになってうまく言葉がでてこない。



「…助かりました」

「…あはは。いーよ、でもこの手の意味わかるよね?」

「……。捕まったって、事ですよね?」

「そうだね。まあ怪我してないんだったらちょっと場所変えない?」

「分かりました。始業までまだ結構時間もありますもんね」



梓が案外すんなり頷いたので、手を離す。そうしてもう一度階段を登り直して着いたのは屋上、の手前の階段だった。そこで立ち止まって梓に向き直る。いざ口を開こうにも何から伝えたものだろうか。



「あ、ずさ。まず最初にあの時は逃げちゃってごめん」

「…はい」

「でも嫌いだったから逃げたんじゃなくて、梓と付き合ったとしても未来が見えないことがひどく怖かったの」

「はい」

「…こうやって考えるってことは多分私は梓のことが好きなんだと思う。好きだからこうやって考えたんだと思うし、何回か離れようと思ったことがあってもあの時梓の隣から離れられなかったってことはずっと友達以上の感情を持ってたんだ」



梓はぐ、と言葉を押し込むような表情をした。私はというと、まだ言葉を続ける。



「二年も待たされてた上に相手が気にも留めてなかったら怒りたくもなるよね、本当にごめん。でも、私はまだ梓が好きだから、随分遠回りしたけれど、伝えたかった」

「結、さん」

「さて、そろそろ帰、!?」

「…この後に及んで言い逃げなんて許さないよ」



伝えたいことは伝えたし、踵を返そうと思ったら腕を引かれて、振り返ったら梓から頬をつねられた。すぐに離されたけど、梓は怒ったというより少し拗ねたような表情を浮かべている。随分大人びたと思っていたのに、まだ子供らしい面も残っているらしかった。というか呼び方が結さんに戻っているし、喋りから敬語が抜けている。それに対して何か言おうとしたら口を塞がれた。そうして唇が離れて、ようやく梓から口を開いた。



「結さんって本当にずるい人だよね」

「…ごめん?」

「入学したときもう何言われても許してやらないって思ってたのに、そんなこと言われたら離れたくなくなるんだけど」



そう言って困ったように眉を下げて笑うんもんだから、次は私から梓にキスをかましてやった。梓はきょとんとした顔をしている。よしざまあみろ。「梓の方がずるいよ」と言ってやると梓は首を傾げる。



「随分かっこよくなっちゃって、あの時の可愛さなんてどっかいっちゃったみたい」

「うるさいよ」



そう軽口を叩き合って笑う。すると5分前の予鈴が遠くで鳴っているのが聞こえた。お互い遅刻する訳にはいかないし、すこし駆け足で階段を降りる。そうしてお互い別れて教室に駆け込んでから息をついて、さっきのことをぼんやり思い出した。なんかすごいお互い恥ずかしいことをやってのけた気もするけど、まあ結果オーライというやつだろう。






不思議と気持ちはぽやぽやしたまま特に何事もなく午前の授業がすんなり終了して、お昼はメールで屋上に梓と来て軽くご飯を食べて、午後の授業も無事終わり今日も私は生徒会室に向かう。その道中で偶然にも翼くんに出会った。翼くんは私の姿を認識するなり笑顔で駆け寄ってきた。



「庶務ー!梓と仲直りできたのだな!?」

「はっ!?どこでそれを」

「ぬ?梓がすごーく機嫌が良さそうだったから聞いてみたのだ!」

「機嫌良さそうだった?」

「うむ!」



翼くんは元気良く頷いてから、「でも庶務も機嫌よさそうに見えるぞ!」と一言。いやまあ間違っていないんだけども。なんとなく濁してから生徒会室に到着すると、すでにいつものメンバーが集結していた。月子ちゃんもさっきの翼くんみたいに私を見つけると同時にぱっと表情を明るくして椅子から立ち上がると私の方へ歩み寄ってきた。



「先輩、おめでとうございます…!」

「おおーありがとありがと。月子ちゃんちょっと泣きそうだけど大丈夫?」

「だって二人が仲直り出来たって聞いて、嬉しくて」

「あはは、…ごめん月子ちゃん、それに翼くんも、ずっと板挟みだったでしょう?」

「おいおーい、感動のシーンのとこ悪いけどな、会議を始めたいんだがー?」

「まあまあ、良かったですね結先輩」



一樹くんは呆れたように笑えば「良かったな、ゴールデンウィークに早起きせずにすんで」と軽口ひとつ。いやこんなに生徒会メンバーから祝福されるなんて思ってもなかったので素直にうれしくはあるんだけども。翼くんはともかくとしてなんで月子ちゃんとか颯斗くんたちまで私と梓が仲直りしたって知っているのだろうか。



「なんでみんな知ってんの…?」

「は?お前ら昼休み二人で屋上で飯食ってただろ?バレてたぞ」

「うえ、まじで?もしかして今日屋上誰も来なかったのって」

「良かったな、空気の読める奴らばっかりで」

「いや別にそんなイチャコラしてないですけど…」



本当に普通にご飯食べてただけなんだけどなあ。まあいいけど。そうしてようやく場の空気を一樹くんが手拍子二つで締めて、会議が始まった。

今日はなんだか色々なことが素早く終わった気もする。会議が終わってからも、月子ちゃんが部活に行ってからも私は特にすることもなく手持ち無沙汰といった感じで生徒会室で携帯を弄っている。一緒に帰ろうとそれだけ打って梓にメールを送ってみる。たぶん返信は部活の後だろうけど。結局この場に居るのは私だけであり、四人とも用事があったり部活があったりでさっそうと帰っていった。弓道場で梓の部活の様子くらい見てもよかったのだけども、そうするともう一人事情を知ってる相手である犬飼にどやされるのは目に見えている。そうしてうるさいよってなぜか私がほっぽり出されるのも。

ああなんだか眠くなってきた。少しここで寝てから出よう。携帯を机に置いて突っ伏した。







「さん、…結さん」

「……」

「…起きないとキスするよ」

「…うお!?」



目の前には呆れ顔の梓。綺麗に切り揃えられた前髪が揺れる。細めた薄紫の瞳をじっと見つめていると、何?と怪訝そうに訊かれた。



「梓だなあって思って」

「なにそれ」



何気ない会話のひとつひとつがあの時、二年前から落としたものを一つずつ拾い集めているようだった。それがひどく幸せだと感じる。隣を歩く足音が梓であることがすごく嬉しいし、同時に二年前の自分への罪悪感とで胸中はないまぜである。そうして黙りこくっていると、横から梓が声をかけてきた。



「何か余計なこと考えてる?」

「えっ!?」

「…踵を返してわざわざ追いかけて僕の手を取ったのは結さんだよ。忘れないでね」

「……馬鹿だなあ、あんな間抜けな梓の姿忘れるわけないでしょ」

「うわ…言わなきゃ良かった。ああほらもうすぐ女子寮だよ。また明日、結さん」

「うん、また明日、…ねえ梓」

「なに?」

「二年。ずいぶん長く待たせちゃったけど」

「…うん」

「その分頑張って返すから。覚悟しててね」



梓は私の言葉にふとキョトンとしたような表情を見せてから、やがてふっと笑った。「期待してるね」とそれだけ言って梓は自分の寮の方に帰っていった。

いつだって逃げ腰でいるにはいささか性格が合わない。仲直りをしたからと言って、付き合い始めたからと言って。さっきの言葉のように、少しずつでもあげられなかったものを、二年前から置きっぱなしだったものを返していこうと、追いかけ続けるのだ。本当の意味で隣に立てるまでは。


150823



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