金曜日



用事があって午前中だけ大学に行き、昼飯を買って部屋に帰ってくると、部屋の前の手すりにもたれて座り込む"千歳"を見つけた。思わず踵を返しそうになったが、逃げたら負けな気がして、そのまま階段を上がる。"千歳"の前を素通りしようとしたら鞄を掴まれた。

「お菓子、買ってくれたと?」

言うに事欠いてそれかよ、と睨み付けようとしたら息を飲んでしまう。

「なんやそれ…」

「あ、その顔、買っとらんね?ひどか〜」

「ひどいのはどっちの顔やねん!」

俺は"千歳"の顎を掴んで無理矢理こちらを向かせる。"千歳"は短く呻き声を上げたが俺は無視した。"千歳"の顔右半分は真っ青に腫れ上がり、良く見ると唇が切れて口の端と鼻に血の跡が見える。
これは明らかな暴力の跡だ。

「白石くんを待っとったと」

俺はそんなことを聞いているんじゃない。そう言いたいのに胸が苦しくて、喉が渇いて上手く喋れない。"千歳"は困ったように笑った。

「お菓子なくてもよかよ。部屋に入れて欲しか」

伸ばした手がぎゅっと俺の手を握る。その手の冷たさに俺は泣きたくなった。

「お菓子、買うてあるわ」







例にも漏れず、なし崩しにそうなってしまったわけで。"千歳"はそれに抵抗があると思ったのか、目を瞑っていればすぐ終わる、と笑って言った。でも一昨日既に大丈夫だった俺は、妄想とは全然違う生の"千歳"にすぐに溺れてしまった。
事が終わり、キスをしようとしたら"千歳"はそれを避けて立ち上がる。そして何もなかったかのように身なりを整え始めた。

「どないしたん?」

「部屋に帰らんと」

俺は息を飲んだ。何もなかったように、さらりと言った"千歳"に俺は眉を寄せる。
その傷は、俺に伸ばしたその手はなんだったんだ。

「は?何言うて」

俺の言葉を遮るように"千歳"は小さく首を振った。

「白石くんを殺したくなか」

「そんな」

「殺したくなか」

"千歳"は優しく、悲しい笑顔で笑う。その笑顔の形を歪ませている傷がその非現実な言葉にリアリティを与えた。ごくりと喉がなる。すっかり忘れていた"首輪"がじゃらりと揺れた。言葉が上手く出なくて、ただ必死で手を伸ばすと、ダメだ、と"千歳"の目が強く言う。俺はそれ以上踏み込む勇気がなくて、そこで止まってしまった。"千歳"はありがとう、と小さく溢してノブに手をかけた。

俺は、


俺は、



バタン、とドアが閉まる。"千歳"はドアの向こうに吸い込まれて消えてしまった。











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