7 | ナノ
※年齢操作・高校3年生

緑間君は誰からもチョコを受け取らない。
そんな言葉がこの時期に女子生徒のあいだで実しやかに流れるのも、今年で三年目となる。
伝統ある秀徳高校において学年1の成績優良者であり、歴戦の王者と名高いバスケ部のエースを三年間守り抜き、加えて高身長に端正な顔立ちとくれば、彼に憧れる女子生徒は多く存在する。
しかし絵に描いたように出来すぎた肩書きと、本人の纏う神経質気味な空気から、近寄りがたい人物としても有名であった。
遠くから眺めるだけで精一杯と言ったところか。そんな憧れの存在と化している緑間に、年に一度、2月14日、バレンタインデーという日だけは、歩み寄ることが出来るのではと淡い期待が生まれるのだが、冒頭の言葉に戻ろう。
緑間くんは誰からもチョコを受け取らない。
誰が言い出したとか、出処がどこからなんて、今となっては分からない。でもきっと幾人もの女子生徒の経験則から語り継がれていることは確かだ。
とにかく言葉の通りである。直接渡しに行けば丁重に断られ、照れ隠しに机や下駄箱に忍ばせれば、緑間はひどく困惑した顔をし、申し訳なげに眉を下げながら、回収はするものの手を付ける様子はなく、同封されたアドレスや手紙に返事が行くことはいつまでもない。
何人もの女子生徒が期待をしては打ち砕かれてきたバレンタインデー。
そんなことが過去に二回も繰り返されれば、やるだけ無駄でしょ、と実行したものからそれを見ていたもの、ただ噂で聞いたものまで、口々に言った。

そうして極端に期待の薄れた三年目、既に多くの生徒はもう帰宅したであろう時間帯。
薄暗い昇降口で、緑間はひとり、思わず安堵のため息をついた。
目の前の彼の靴入れにはローファー以外の存在は見受けられない。
今年は不躾にチョコを押し入れるものはいなかったらしい。
机にも高尾からのふざけたメモの走り書き以外は突っ込まれていなかった。
休み時間と放課後を合わせて三人ほどから呼び出しはあったが、彼女たちも端から期待なんぞしていなかったのだろう。緑間が断りの台詞を入れると、ああやっぱりね、と吹っ切れたように笑うだけですんなりと引き下がってくれた。
彼女らに悪意はない。むしろ好意しかない。けれどその好意が、どうしようもなく居心地が悪いのだと、緑間は思い、そう思う自分自身に嫌悪した。
向けられる好意そのものは純粋にありがたかった。ひとに好かれて嬉しくないひとなんていない。けれどありがたいと思うからこそ、どうしたってどの想いにも答えることが出来ないことが息苦しかった。
それならばいっそ、変に期待を持たすようなことをするより、突き放すほうが誠意であると、緑間なりに考えてこの三年間突き通してきたこの態度。
融通の利かない考え方だとは分かっている。もしかしたら潔癖過ぎるのかもしれないとも。
しかし断るのだって気を使うのだと、緑間は言い訳めいたことを思う。
出来れば傷つけたくない、イヤな思いをさせたくない。
そんなことは断る側の傲慢と分かっていても、毎年この日はひどく憂鬱になるのだ。
どんなかたちであれ、自分の言動で落胆する他人の表情は見ていて気分のいいものではないのだから。

それでも、去年より、一昨年より、格段にその機会が今年は減り、幾分か良心への負担は軽減された。
積み重ねてきた行為の結果なのだから、緑間の信条である「人事を尽くす」はこんなかたちでも発揮されたと言えるだろう。

とにかく試練の一日がこれで終わったと、緑間は再び息をついた。

「しーんちゃーん、ため息は幸せ逃げるんだぜー?」

背後からの声に驚いて緑間が振り返ると、またせてゴメーンとおどけた物言いで高尾が笑った。

「別に、もう用は済んだのか」

幸せ云々には触れずに緑間が尋ねると、高尾は涼しい顔をして頷く。

「そ、あとついでに体育館の鍵も返して来たから」

隣に並んで靴入れに手をかけた高尾の動作が一瞬、止まった。
緑間はこっそり横目で続く動きを追う。
指はいくつかのラッピングされた袋を無造作に掴んで、早急にスクールバッグに押し込んだ。
だらしなく開けっ放しになっているバッグからは、いま詰められた包みの他にもわちゃわちゃしていた。
統一感のないカラフルな色彩に神経を逆撫でられるような不快感が生じて、またこっそりと目をそらした。

「そういえばまぁ坊のデスク、鍵返しに行ったときに見たんだけど、チョコと思わしき袋が結構置かれててさー、ああ見えて意外にモテるのな!」

三年目の真実だとふざけながら運動靴に履き替えた高尾は先に昇降口を出ていく。
軽い足取りも、軽い口調も、どこも普段と変わりないのに、緑間の心を波立たせた。
モテるのはお前もだろうと、突っかかってやりたい衝動になんとかフタをする。
わざわざそんなことを言う必要は何もないのだ。どこにも。ひとつも。


(オレたちには何もないのだよ)

小さい子供のようにふてくされた感情を抑えこめるのに必死で、真ちゃんはやくいこーぜ、と急かされるまで緑間は靴を履き替えておらず、珍しく慌てて高尾のあとを追うことになった。



もっとも親しい友人で、相棒とエースで、部のキャプテンと副キャプテン。
緑間は、自身も高尾も周囲もが形容するふたりの間柄の名前を並べてみた。
この三年間で増えたいくつかの名前の付けられる関係性は緑間にとって明るくて、誇らしいものばかりだ。高尾にとってもそうであればいいと思うほど。
けれどその言葉以上の関係は二人の間に存在することは無かったし、おそらくこの先だってないだろうと緑間は思う。
校内で一番有名な名コンビと笑ったのは後輩たちで、ピアノを弾く緑間と歌う高尾を見て、バスケじゃなくてそっちで活動すればいいのにと目を輝かせたのは同じクラスの女子たちだった。あまり二人に詳しくない生徒にはリヤカーをひいてる人と乗っている人と言えばああ、と頷くだろう。
そこまで周囲に周知される関係は、トモダチ。シンユウ。
そういったものだ。
自然であり当然。二人とも男で、友情以上の何かを求めることがまずナンセンスだと、緑間だってよく分かっているつもりだった。というよりも、それ以上が存在するなど、かつては考えもしなかった。
高尾と出会うまでは。
理由やきっかけなんて今更並べようとしても薄っぺらいし嘘くさい。言葉で説明するには足りないほど共に過ごした時間は長く、その時間に等しいだけ高尾和成という人物に惹かれ続けた。それだけのことだ。
いつからかなんて正確には緑間自身にも分からない。ただ1年生のバレンタインデーの時にはもう腹を括っていた。
マイノリティであると自覚があるからこそ、それならばいっそ一生、誰にもこの感情に触れさせずに独り愛でようと思った。誰とも共有せず、理解させず、それこそ中学の時の親友たちにすら打ち明けることは決してないと決めた。
考えた末の行動のひとつが、本命と思われるチョコは一切受け取らないというアクションだった。
高尾への気持ちに、ひとつでも誠実でありたかった。
女子生徒たちの気持ちが自分の抱えるそれと同じものだからこそ、その想いの重さに共感出来るからこそ、嘘をつきたくなかった。
けれど独りよがりな思いは所詮緑間だけのルールだ。
そんな緑間の気持ちは露知らず、高尾は多くの女子からチョコを受け取り、周囲の友人とその数を競い、告白を受ければ照れ笑いを浮かべた。
同じ部のエースの相棒に、キャプテンを務め、顔立ちも洛山の変わり者からお墨付きのいい男。社交的な性格も相まって、好意を寄せる生徒は緑間と同じかそれ以上か。
本人もノリがいいものだからイケると思われる確立は断然高いだろう。
そんな男がこの三年間、彼女を作らなかったことは意外であったが、内心喜んでいたのだ。
きっとバスケ部が忙しくてそんな暇はないとか、もっとバスケに集中したいとか、そんな理由だろうと検討はつくけれど。
充分だった。バスケは二人の一番のつながりだから。
己が一番情熱をかけるべきものに、相手も本気でいる。それだけあればもう他には必要なかった。

しかし、今は事情が違う。
部活は引退し、受験も終わり、あとは卒業を待つだけとなった。
大学はそれぞれ違うところに合格した。やるべきことをやるために別々の道を歩むことは、いたって自然なことだ。
むしろこの三年間が、夢だったのかも知れないと、今になって緑間は思う。
決して大袈裟な言い方ではない。
初めて真剣に想いを寄せた相手と、同性としては一番近い位置で、誰よりも深く長く過ごしてきた。
部活だけではなく、教室で当たり前のように共に過ごし、行き帰り、休日には特別用がなくたって高尾は家に遊びに来た。
きっとこの先の人生に、こんなに愛しくて、苦しくて、色鮮やかな時間を過ごすことはないのだろうと感じるほどに。
自分の想いなど告げれなくても、幸福だった。
贅沢だったかもしれない、と思う。
高尾から受け取ってきた友人としての好意と同じプレーヤーとしての憧憬は、高尾が緑間に対して無条件に明け渡してきたものだった。
その居心地の良さに甘えすぎていたかも知れない、と思う。

だから卒業したら、それでおしまいだろうと、なんとなく緑間は予感していた。
今までのような毎日は来ない。
だって新しく進むと決めた場所に高尾はいないのだから。
新しい場所でまた気の合う友人を高尾は見つけるだろう。
たまに会うことがあっても、その回数は時が経つほどに減っていくだろう。
バスケ以外に真剣になるものが出来たら、高尾のことだ。また真剣に取り組む。
そんな高尾だから、緑間は惹かれたのだ。
それでいい。
それでも、どうしようもなく悲しかった。


「……呼び出しは、告白されたのだろう」

悲しい気持ちにまかせて緑間の口から出たのは、そんなひとことだった。
ふと、どうせ悲しいなら、早いうちに致命傷のひとつでも欲しいと思った。
今から目の当たりにしてしまえば早く傷も癒えるだろう、とまでは思わないけど。
期待出来ないと分かっている関係に、それでもこれ以上都合のいい夢を見たくなくなった。
そうだ、贅沢をしていたのだと、思い知らせろ。

高尾はぽかんと口と目を大きくあけて、何事かと緑間を見つめた。
言葉の意味が分からなかったらしい。
緑間は再び問いかけた。

「さっきの、鍵閉めの前の用事は、そういうものだったのだろう」
「……ああ!そのこと!うん、まぁそうだったけど」

で、だから?と言いたげな高尾に、緑間は苛立ちを覚える。
早く肝心なことを吐き出してほしかった。

「付き合うのか」

やけにぶっきらぼうな物言いになったが、普段とそこまで変わらないのか、高尾は気に留めた様子はない。
それどころか、そんなことかというようにさらりと答えた。

「付き合わねぇよ」

ていうか真ちゃんがそういうの聞くなんてすげー珍しい!とにやつく笑い顔に、苛立ちが一気に引いていくのを緑間は感じた。
変に気を張っていたことがバカらしくなった。

「チョコは貰ったけどな」
「告白を受けなかったのにか?」

そんなにがっつくほど甘いものは好きじゃないだろう、と訝しむ。
けれど抱いた感情とは裏腹に、高尾の答えは真面目なものだった。

「せっかくオレのために作ってくれたチョコだぜ?気持ちには答えらんないけど、せめてものオレの誠意。気持ちはさ、やっぱ嬉しいし、答えらんないかわりに、真摯に受け止めることはしたいわけ」

緑間には目から鱗だった。そんなことを考えてるとは、普段の言動からは想像出来なかった。けれど、想いを受け止めて昇華するというのは、どうにも高尾らしくて、緑間の口元は自然に緩やかな弧を描く。
さわやかで、気持ちの良い言い分だ。
受け止めることをはじめから拒絶した自分とは、まるで違った。

「つーか、そういう真ちゃんは、女子のあいだで面白いこと言われてんのな。真ちゃんは誰からのチョコも受けとんねーって、なんだそれ。
オレ経由で渡せ!って頼んでくる子いたんだけど」

流石にそんなことにまでなっているとは思わなかった緑間は目を丸くし、その表情がおかしかったのか、吹き出しそうになるのをひっしに押さえ込みながら高尾は話を続けた。

「でも、普段から人事人事うっさい真ちゃんがオレ経由でなんて言語両断かなって思ったから、真剣なら自分で行ったほうが絶対いいよって断ったんだけど、それでダイジョブだった?」
「その通りなのだよ、自ら努力をせぬものなど、まずステージに立つことも出来ないのだから」
「うん、想像してた通りだわー…結局その子は真ちゃんとこ行ったんだか知らないけど」
「……どのみち直接来てもらっても、結局は断らなければいけないのだよ」
「あ、そう、それだよそれ!マジだったんだな!ねー、だからなんで誰からも受けとんねーの?そういうの興味ないわけじゃねーだろ?」
「……ないわけではないが」
「だよな、真ちゃんモテるし」
「それはお前のほうなのだよ」
「今オレ関係ないし!なーなんでー」
「そういうお前こそ、なぜ誰とも付き合わんのだ」
「だーから、オレのことじゃなくて真ちゃんのこと聞いてんの」
「お前が話せばオレも話すのだよ」
「…うっわ、真ちゃん、そういうずるいこと言うわけ?」
「言いたくないのだよ」

誰にも言わないと決めてきたことを、まさかその当事者に言うバカがどこにいるのだと緑間は叫びたい思いでいっぱいだった。
面倒くさい話題になってしまったと、内心焦る。
じゃれるように緑間の右腕に両腕を絡めてまとわりつく高尾に、一度強い口調で当たれば収まるだろうか、と強硬手段を考えた矢先に、まぁいいやと存外あっさりと高尾は言った。

「無理には聞かねーけどさ、よっぽど言いたくないなら」

ひらりと、腕を開放して高尾が離れていった。
助かったと思いつつ、軽くなった右腕がほんの少し惜しかった。

「でも、誰からも受け取らねーんじゃ、これも無駄かね」

言いながら高尾が制服のポケットから取り出したのは、たったひとつのちいさな包みだ。
オレンジ色の光沢の指先でつまめる程度の包の中身は、察するにチョコレートなのだろう。
暗くなりだした周囲は校舎の窓から漏れている蛍光灯の光ぐらいが頼りになる照明で、それに照らされたオレンジが、やけにキラキラと輝いて見えた。
陳腐だが、まるで宝石のようだと、緑間は高尾の指先を見つめる。

「そんな真剣味のないチョコなど、どうするつもりなのだよ」

緑間は胸の奥に芽生えてしまいそうな期待に気がつかないふりをしながら、わざとらしく笑ってみせた。

「本気っぽいことしたらオレが恥ずかしくて死んじゃいそうだし、重いってひかれてもヤだから、安っぽく行こうかなー、なぁんて」

どういうことか、緑間にしてみれば残酷とも思う意味深な言葉とおどけた笑顔。
緑間は慎重に高尾の表情を観察しながら、結論付けた。
そうだこれは、ふざけたやりとりなのだ。
高尾の、日常の延長の些細ないたずらなのだ。
なんでかとか、なんのためかなんて知らない。
ならばオレはそれにいつもどおり付き合うだけだと、緑間は決めた。

「どうしてもと言うなら、受け取らないこともないのだよ」

うそだった。本当は、いたずらでも気まぐれでも悪ふざけでもなんでも構わなかった。
ただ好意を寄せる相手からチョコをもらえること。そんな、世間のつまらない風習に一喜一憂したかった。
緑間は自分がそんな単純な人間だったなんて、今更思い知った。期待に気がつかないふりなんて、できっこなかった。

緑間のぞんざいな態度に、満足げにひとつ頷いて、高尾は腕を差し出した。
それに合わせて緑間が左の掌を開いた。
輝くオレンジ色が、緑間の掌に落とされる。
時間にすればほんの数秒にしかならないやりとりだったが、緑間にはひどく儀式めいたことに思えた。
なにかを確かめるような、そのなにかが分かりそうで分からない。
高尾に対して邪な感情を持つからこその、どうしようもない期待感が、そう錯覚させているだけなのか、それだけではないのか、緑間には分からない。
分かることは、単純に高尾からのチョコが嬉しいこと。
これで自分たちの間に新しい言葉や意味が生まれるわけではないが、また夢を見てしまいそうだった。

「オレの気持ち、なんちゃって」

あはっと笑う高尾の声は明るい。
ただ、自分からおどけていながら、すぐに視線を泳がせた高尾はずるい、と緑間は歯痒くなる。
そんな態度を取られたら、都合よく勘違いをするだろうと言ってやりたかった。
冗談と決めて、こんなことをしようとしたなら最後まで誤魔化せ。
言いかけて、やめた。
最後まで付き合うと決めたのだ。ならばオレがお前の分まで上手くやろうと緑間は思った。

「来年はもう少しマシな気持ちを寄越すのだよ」

けれど同時に、気が付けと期待する。
本音なのだ。来年の今頃には今のように二人で並ぶ機会が減っていたとしても、今日の種明かしが出来るような未来であればと。
そこから、新しい関係が始まればいいと、期待したかった。

一生ひとりで抱えていこうと思っていた感情は、本当は外へ出たがっている。

高尾は泳がせていた視線を、緑間に向けた。
まだ揺らいではいるが、それでももうはずしたりしなかった。
ゆっくりと頷く高尾を見て、緑間はそのときが来たら、明け渡そうと、ひとり心に決めた。

(オレのこの心も、受け止めてくれるか、答えることは出来なかったとしても、お前は)


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