聴衆は罪 | ナノ



冗談じゃねえ。
もうその口で喋るな。
俺から、離れてくれ。
良いから、俺の前から消えてくれ!


「レイジは私を見ていない」

天才との呼び声高い狩魔冥検事は、そいつの背中を見ながらそう言った。まるでその存在を認知していないかのように瞳は虚空を映す。何てこった。
今聞いたことが本当だったのなら…アイツを殴りにいってやる。

「…笑えねぇな」
「私は笑ったわ。笑えない冗談じゃなくて笑える真実だから」
「………」

赤い背中の人物、御剣怜侍はどうも捜査中呆けていることがあったのは知っていた。目線は時折俺を見つめて、思い出を諦めたように溜め息を吐くのも。
意味が分かった。
アイツが思い出しているのは、一度記録で見たことのある、あの幼なじみとかいう弁護士だったのだ。

「…ぶん殴る」

ああああ、最低野郎。俺の部下だって言うだろう。アイツは最低だ。

「おい、検事様」
「…狼捜査官?何だろうか」
「喰らいな!」
「!…ぐっ!」

盛大な拳をかませば、よろめいて側にあった壁に身を寄せる検事。

「検事様よォ…何も考えてねぇな」
「くっ…何を、どういう…」
「テメェは何も見てねぇじゃねぇか!」

呆然とした狩魔冥の前で俺はぶちまけてやった。御剣怜侍という男が、現在進行形で何をしているかを、すべて。
空虚な感情を交えた表情を隠せず、自分の勝手な恋幕を実らせるためこうして周りを見ていない、その検事は俺の言葉を聞いて項垂れた。

「メイから…聞いたのか」
「ハッ!心の内に仕舞っとくべきだったな、検事様よォ」
「君には私が分からない!」

検事は叫んだ。その瞬間、頭に何かが弾けるような感覚が走り抜ける。狩魔冥を見捨て、自らの目的のために何もかもを捨てる検事は目に水膜を張っていて。

(…俺は、何を言っていたんだ?何に怒っていた?俺が怒っていたのは、)

「狼、士龍」

私はそんなつもりで言ったんじゃないわ。狩魔冥はそう言い、今まで見たことのないような柔らかい表情を浮かべた。泣くことをすでに諦めているような、それはそれは酷い表情で。

「私は…私はこうして今までメイのみならず沢山の人々を傷つけてきたのだ!狼捜査官、私は知っている!メイを今も傷つけていることぐらい分かるに決まっているだろう!」

私は成歩堂龍一が好きなのだ…!

消え入りそうなその声は、今までの感情がなだれ込んだようにか細い。御剣怜侍検事は俯き動かず、狩魔冥検事は手を震わさせて何かに耐えている。

俺がいてはいけなかった。
俺が思い起こさせてはいけなかった。
漠然とした心に冷たい風が吹き、男が男を、だとかあの御剣怜侍が、だとかいうそもそもの疑問が崩れ去っていく。

(ずっと、想っていたっていうのか)