病的病弱の病身 | ナノ



「…そんな馬鹿な」
「出てって」
「成歩堂、私は」
「御剣、今すぐ出ていけ」
「……!」
「さよなら」
「嘘だ!成歩堂!」
「さよなら御剣、さよなら」
「な、るほどう…」


成歩堂に繋がれた数多の点滴が、射し込む日光に反射して鈍く影を落とした。
壊れたからくり人形の様にさよならを繰り返す私の恋人。目は虚ろで此方を見ていない。死人の様に青白い顔色、幾らか痩けた頬、力無く病床に投げ出された四肢が成歩堂の現状だった。
そこは事務所から近い病院の隔離病棟で、真っ白な壁には窓からの光でモノクロの世界が広がっている。見張らしは悪くない。

いったい彼に何があったのか。
彼は何故私を拒絶するのか。
成歩堂はまだ別れ文句を口にしている。壊れてしまった、なんて信じたくもない!

「さよなら…」

私は顔をあげた。
一様の抑揚に少し変化があったからだ。

「成歩堂、成歩堂」
「…ぼく は 」

ベッドに近づいて、だらりと垂れた腕を取り、その手の甲をさする。低い低い体温が突き刺さるように神経を刺激した。
ぱくぱくと空気を求める魚のように、成歩堂は口を開いては閉じ、何かを言おうとしているようだった。私には少なくともそう見えた。唇を舐め、はあっ、と息を吐き出して成歩堂は空虚な瞳を此方に向けた。

「 ぼ く、 ころ し ちゃっ た 」
「成歩堂…」
「 た くさん、の、 ひと」
「ありがとう…もう無理はするな」
「ぼくのせいで。ぼくが、ぼくがみつるぎにめいわくかけた。ひと、おちてきたんだ、くびとれてっ…ちが、あかいものが。くすりかがされて、ぼく、ころしちゃった!ぼくがやった!みつるぎ!ぼく、が」
「すまない、すまない…!私が、君をこんな事に…」

次々、必死に絞り出された悲痛な声とその内容が、成歩堂がどれだけのショックを受けたのかが分かる。手の甲をさすっていた私の手をもう片方の手で包み込むように握られ、そこから伝わる衰弱した握力が何とも哀しくて辛い。
揺れる点滴の管に、急に動いたことで流れ出したのか成歩堂の血液が見えた。
無機質なガラス玉のようだった瞳からぼろぼろと溢れだすしずくと共に、抑えた嗚咽が静かな病室に反響する。私は成歩堂のそばでただ背中をさすった。つん、と鼻の奥に刺激を感じたが私は泣く訳にもいかず、熱くなりつつある目頭を押さえる。
しばらくそうしていたかと思うと、ドアの前あたりから騒がしい足音がくぐもって聞こえてきた。

「成歩堂龍一ッ!」
「なるほどくん…!」

振り向くと、走ってきたのか息を乱している冥と、倉院に里帰りしていた筈の綾里真宵くんがいた。
冥は少し乱れた襟元を正すと未だ涙を湛えている成歩堂に、その鋭くも心配の心が感じられる目を向ける。
成歩堂はその視線を感じたのか、水膜の張った瞳をゆっくりと冥に向けた。ガラス玉に戻ってしまった、感情のない冷たい目に冥と真宵は顔を曇らせた。

「な、成歩堂龍一…」
「かるま、めい…?まよいちゃん…?」
「なるほどくん!わたし、わたし…!」

真宵くんは隠せないのか泣いて成歩堂を呼んだ。端からみればまるで死人の様な彼の様子が、先ほど私に向けられた涙のようにみるみる変わっていく。頬にさしのべられた真宵くんの手を取り、がたがた震えている、ベッドの手すりに添えられた冥の手を取り、成歩堂はまた泣いた。今度は嗚咽を隠さずに。何もかもを、吐露するように。

「、うっ…ああ…!」
「ごめん、ごめん…なるほど、くん…!」

見ていられなくて、私は無様に俯く。
何も出来なかった自分を。
犯人の場所すら特定できていない、成歩堂の伝えようとしている意味も分からない。今はただ糸鋸刑事の連絡を待っている私は、話す義理は無いのであろうか。

居たたまれなくなって私は病室を出た。
背後から聞こえる啜り泣く声も、ドアを閉めれば遮断されて、また私は静かな世界に取り残された。
僅かな吐き気が込み上げ近くのトイレに駆け込む。洗面台の鏡に映った私は、あの時のガラス玉に居た私と違い…決意も何もかもが崩れようとしていた。