夢小説 | ナノ

ダークライと贖罪


贖罪


反転世界は広大に不安定。
さくらは何者かに引き込まれ、何故か反転世界に落ちてしまった。さくらを引き込んだあと謎の人物からはまったく反応もアプローチもないため、これ以上待つのは無駄だろうとお尻を摩りながらさくらは適当に歩き出す。昔落ちた時は、湖の神様が助けてくれたが今はもうそんなこともない。ありもしない。自分は弱くて情けないただの人間である。遠い昔を頼りにして、幻影の木を通り抜けエンペルトに乗って波を登る。反転世界はぐるぐると浮遊して、天地が不明瞭になりかけながらもさくらは奥底まで辿り着いた。ここで、さくらはある男の人生を殺した。

「何を悪夢にするかは人それぞれですけれど、あなたの場合は幸福が悪夢になりそうですね。こんにちは、さくらさん」

上から来たのはギラティナではなく、銀糸の髪を後ろで束ねて揺らめかせ遊ばせている燕尾服の人間。《ダークライ》は余所行きの笑みでさくらに深々とお辞儀をした。このポケモンは伝説ポケモンの中でも礼儀が正しい。余計なことは言わないが、大事なことも同じくらいに言わないそんな性格をしている。人の夢を覗いては、ギラティナの甘味として机上で振る舞うのだ。ダークライとギラティナの中をさくらは良く知らないが、居候として反転世界に居場所を作ってあげているんです、とギラティナに語らせるくらいには信頼を得ているようだった。そうして、有り難迷惑にも、彼はさくらを常々監視という名目で影からストーカーするのが上手い。今日も反転世界に迷い込んでしまった自分を排除するため姿を現したのだろうと、さくらはお尻の痛みに耐えながら考察する。

「馬鹿にしてるわね。私だって人並みには幸せになりたいって思ってるのよ。でもまぁ…ここで見る夢なら幸せが悪夢に変わってしまってもおかしくない、……のか、も」

「アルセウス様に引きずり込まれていましたね。お尻から落ちていましたけど、大丈夫ですか?こちらの世界の地面はあちらより硬い」

「見ていたなら助けてくれても良かったじゃない」

「野生のポケモンが無闇に人を助けるなんてこと、あり得ないでしょう。助けて欲しいのならば、捕まえれば良いと思いますけれど」

「嫌よ、嫌」

伝説のポケモンに会うと嫌なことばかり聞かれ、さらには嫌な記憶をほじくり返されて堪らない。さくらはギリギリと歯軋りながら、にこやかに笑うダークライを恨めしそうに睨み付けた。捕獲という契約がない限り、ポケモンなんて人間に従わない。弱いものは強いものに殺される。弱肉強食は当たり前で、人間がどう刃向かおうともポケモンには敵わない。さくらは腕を組み無言を推して、ダークライの動向を見守ることに決めた。

「ふふっ…帰りたさそうですね。ギラティナ様にお会いしてからお帰りになられますか?」

「まさか。絶対嫌よ」

「嫌われたものですね、あの方も」

クスクスと茶化すような笑い方にさくらはまた怒りを覚え、できることならバトルでもして力で屈服させてやろうかと無謀な想いに駆られた。

「まぁまぁそんな、末代までの敵に対峙したような顔をなさらないでください。さくらさんに危害を加えるのは、ギラティナ様からお申し付けられた時のみになります。あなたがここに不運にも迷い込んでしまったというなら、丁重に追い出すのも私の仕事。反転世界に悪を齎すのはいつだってあなたですから、こう私が悪態を吐いていたって気にはなさらないで結構ですからね。ほら、苦虫を潰したような顔をなさらないで。笑顔でいないと、人生なんて罰ゲームが楽しくはないでしょう」

さくらの手を取って反転世界から現実世界に戻る少しの間、ダークライは酷く皮肉交じりにさくらに対して鋭い棘を突き刺していく。どこかでギラティナから向けられるさくらへの好意に嫉妬しているのだろうか。ポケモンの考えていることが、さくらにはよく分からなかった。そのままダークライには無言を押し通す。道とは呼べぬ空間を越え、何故か岩が転がる真暗な洞窟を攻略させられ、さくら達はようやくおくりのいずみへと帰ってきたのだった。辺りはすっかり夕暮れで、どこかでヤミカラスが鳴いている。

「さぁ、ここからお帰りください」

「はいはいどーも、ありがとう」

不満だらけの上辺なお礼を言うと、さくらは落ち着くためにすぅとおくりのいずみの湿った生臭い空気を吸い込む。

「またいらしてくださいね」

「二度と来ないわ」

「ご冗談を」

ひらひらと振られる手のひらに苛立ちながらしかし、さくらは言いたいことを全て喉の奥に押し込んだままでいた。ダークライに物事をぶつけたとして、浮世から逸脱しきった存在に伝わることはないだろうと知っている。さくらよりも数段、悪夢を見過ぎては生きてきたのだから。

「ねぇ…ダークライは今までで一番最悪だった悪夢って覚えてる?」

「覚えていませんね。あんな夢、覚えていたくもないですよ。さくらさんはつくづく変な子供ですね」

さくらには、ダークライにたっぷり嫌な想いをさせられたなんて負け惜しみに近い気持ちに満足して、にっこりと微笑み返した。ダークライに対して、今できる精一杯の笑顔を向けた。昔もこうやって笑っていられたら、そうしたらあの男の事も助けられたのではないだろうか。最早、不安定続きの反転世界で永遠に彷徨い続けることを選んでしまった彼をさくらが助ける手段など一つもない。決して、優しいわけではなく贖罪をしたくて天を見上げる。横にいるダークライにも、反転世界の主たるギラティナにも、ましてやあのアルセウスにだってさくらの悪夢を理解することはできなかった。ポケモンと人間には、越えられない壁がある。きっと悪夢も幸せな夢も、越えなければ分からない。
ムニャムニャグチャ。


『おや後ろに…』
『笑えない冗談やめて』




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