* あれから、時間の許す限り毎日鬼道のホテルへ通った。 日中父親の仕事を手伝っている鬼道とは夜に会う事が殆どで、食事をした後はもちろん部屋へ直行して。 最初のうちこそ激しく求められたけれど、次第に余裕が出てきたのか鬼道は優しく抱く様になった。身体を気遣ってくれているのかもしれない。 ベッドの中で、会えなかったこの数年間の事を話してくれる時もあった。 財閥の御曹司という事もあり、金目当ての女ばかりが寄ってきた、と苦い顔をして恋愛遍歴を語り、最近では女は苦手なんだと笑う様子が少し寂しい。 だから、俺の相手をしてくれたのかもしれない。今は女性不振ぎみなのだろう。 「心配ない。鬼道は財閥なんて関係なく充分に魅力的だ」 何とか慰めたくて、普段なら言わない様な言葉をかけると、赤い瞳が嬉しそうに細められる。 「ありがとう。優しいな」 そう言って抱き締めて貰えるだけで幸せだった。 言った言葉に嘘はない。御曹司なんて肩書きがなくても、鬼道に相応しい賢くて美しい女性とそのうちきっと巡り合える。 だから、今だけ。 "恋人ごっこ"だけれど。 この2週間の記憶が、愛された思い出があれば、自分は何とかやって行ける。 そう思いながら、抱き締めたまま眠る鬼道の肩にそっと額を寄せて目を閉じた。 * 幸せな日々はあっという間に過ぎる。鬼道と会える期間が減るにつれて、一転怖くなってきた。 自分でも分かる程鬼道に夢中になっている。ハマり過ぎて、好き過ぎて、鬼道がいなくなった後どうしたら良いのか分からなくなった。 そもそも中学からずっと好きなのだから、これからもそうに決まっている。 今までは恋愛の何たるかもよく知らずただ気持ちを抑えて過ごしてきたが、鬼道に愛される喜びを知った今では、もう元には戻れそうになかった。 何より、毎日鬼道と肌を重ねて、身体が抱かれ慣れてしまっている。もうきっと女を抱くなんて出来ない。 今後、鬼道への気持ちを誤魔化して誰かと付き合うにしても、もう相手は男じゃなければ無理だ。 同性となんて付き合った事がない。どう知り合えば良いのかも分からない。 そもそも自分は同性愛者なのか、鬼道が好きなだけなのか。 もう、自分の事が分からなくなってしまって。 鬼道を失った穴をどう埋めたら良いのかと、不安でとにかく怖かった。 * 鬼道と会える最後の夜、食事を終えホテルの部屋へ入ると、すでに殆ど纏められたトランクが視界の片隅に映った。明日、鬼道はイタリアへ帰るのだ。 いなくなってしまう。 分かっていた事だし、心の準備だってしたつもりだった。なのにいざ帰り支度を終えた荷物を見たら、ひどく寂しい。昨夜も一睡も出来なかった。 「もう、大体の用意は終わったんだ。明日は午前中の便だしな」 いつもと変わらない鬼道の様子に、ズキリと胸が痛む。 元より恋人じゃないのだから当たり前なのに、関係が終わるのを惜しんで貰えない事が哀しかった。 鬼道は平気なのか?俺と離れても、全然何とも思わないのか。あんなに優しくしてくれたのに。 ほんの少しでも自分に好意を持ってくれたらなんて期待していたのが、酷く浅ましい。 「豪炎寺、明日は早いからあまりゆっくりは出来ないが……」 近づいてきて腰を抱き寄せようとした鬼道から身体を離す。 無理だ、もう堪えられない。 「豪炎寺?」 「今日はしない……」 「どうした?きちんと抱き締めさせてくれ」 「いや、だ…」 どうしてそんな平然としていられるんだ。 「豪炎寺?」 「もう帰る。空港へも見送りには行かない。イタリアへ戻ってもサッカー頑張ってくれ」 「突然何だ、何を怒っている?」 「怒ってない。もう鬼道とはお別れだからな、恋人ごっこも終わりだ」 笑って見送りたかったけれど、これ以上一緒にいたら泣いて縋ってしまいそうだった。 次の恋人が出来るまでの間で良いからこの関係を続けて欲しいと、馬鹿な事を口走りそうで。 「恋人ごっこ?」 「短い間だったが割と楽しかった。また、機会があれば良いかもな」 鬼道の重荷にならないように、何とか虚勢を張って気持ちを抑える。言葉はスラスラと余計なくらいに出てきた。 「身体の相性も悪くないし、鬼道もそこそこ楽しんだだろう」 「お前、何を言って…」 「鬼道は"最高の恋人"だった。イタリアで女相手にでも試してみたらいい、喜ばれる」 「……豪炎寺、お前…」 「きっとすぐにいい女が出来……ッ、つ!」 何が起こったのか、一瞬よく分からなかった。頬を叩かれたのだと気付いて顔を上げれば、鬼道は酷く傷ついた顔をしていて。 「遊び、だったんだな」 絞りだされた声は低くて冷たかった。 「そんな男だとは思わなかった。……最低だな」 「え……?」 「随分と演技が上手い。この俺が気付かなかったぞ」 最低と罵り、自嘲ぎみに笑う鬼道に混乱する。 呆然と頬を押さえていると、見下したような声で鬼道から告げられた。 「出て行け。もう用はないだろう」 「鬼道…?」 おかしい、何かがズレているような気がする。 「2週間、無駄に過ごした」 無駄? 「……どうして、そんなっ」 酷く軽蔑した瞳に、言葉がつげない。こんな視線を鬼道に向けられるなんて。 動けずにいると、更に畳み掛けるように言い捨てられる。 「いつまでつっ立っているつもりだ」 「鬼道、待ってくれ。話を…」 どうしてこんなに鬼道が怒っているのか分からない。離れるだけじゃなく、更に嫌われてしまうなんて。 「いい加減、もう帰ってくれないか」 一瞥されただけで身体がすくむ。帰りたくても、脚が動かない。 「それともまだ何かあるのか?……ああ、金か。いくら欲しい」 言われた意味が分からなかった。 ──金、と言われた? 「っ!?………か、金なんていらな…」 「ほう、なら何だ。マンションか?車か?」 「あ……」 すぐに気が付いた。鬼道は、俺を財産目当ての女達と同様に扱っているのだ。 言葉が出ない。好きで、きっと一生忘れられないであろう相手から、気持ちを金目当てだと判断された。 「さっさと決めろ。いらないのか?」 「……2週間……」 「ああ、2週間分な」 2週間、幸せだった。 1日当たりいくらがいいんだと投げ遣りに問われ、苦しくて下を向いてしまう。胸が痛い。 「楽し、かった……」 息が、出来ない。 「恋人ごっこはそんなに楽しかったか?」 もう、当て付ける様な鬼道の声も遠く聞こえる。 「ずっと……好きだった、から」 動悸が激しくなり苦しさが増す。なんとか出した声も、鬼道には聞こえなかったかもしれない。 ガンガンと耳鳴りがして視界が霞む。じわじわと白い靄がかかって、見える範囲が狭まって。 「……豪炎寺?」 「金とか、そんな…俺は………そんなふうに思われた…ら」 頭がぐらぐらする。気持ち悪い。 「おい、大丈夫か?」 足元がフラフラして膝に力が入らず、もう立っていられそうにない。いや、立っていられないどころか。 「生きて、いけ…ない」 鬼道にこの気持ちを踏み躙られたら、どうしようもない。もうこの先、他の誰も愛せないのに。 何度か鬼道に名前を呼ばれた気がしたが、返事をする事も出来ないまま、意識はそこでブツリと途切れた。 ←→ |