触れて




円堂はスキンシップが好きだ。チームメイトの時も思っていたが、恋人となった今では呆れる程だ。

朝会ってすぐ抱き付かれ、昼休みには膝枕、下校時には手を繋がれて。時間があれば常にどこか触れている。始めは恋人とはこういうものかと思っていたが、どうやら円堂は普通より少し激しいらしい。

元々、人との接触がそこまで得意ではない自分には少し戸惑いがあった。何度か、もう少し抑えてほしい、人前ではやめて欲しいと頼んだが、その場はわかったと答えても翌日には元通りで全く意味がなかった。


*


部活が終わり着替えているといつもの様に円堂に抱き付かれる。

「鬼道ーっ!一緒に帰ろうぜ!待ってたんだ」

「円堂…っ、やめろ抱き付くな。着替えられないっ」

かなりの力でぎゅうぎゅう抱き締められて身動きできない。

「あ、今日帰り鉄塔広場寄っていい?」

「…っ話を聞け、離れろ!」

少し強めに身体を押すと、不服そうな顔をされる。今日こそは強く言おうと心に決めていた。

「なんでだよ。みんな帰ったし別にいいだろ?」

「だめだ、部室だぞ?公共の場だ」

「鬼道は真面目だなぁ。ならどこならいいんだ?」

「学校では駄目だ」

そもそも学校で、付き合っている事をおおっぴらにしたくない。

「じゃあ鬼道に触れないって事か?学校と部活以外でなかなか会えないのに?」

「仕方ないだろう。わかってて俺と付き合ったんじゃないのか?」

「そうだけど…でも、好きな奴に触りたいって思うのは当たり前だろ?鬼道は違うのかよ」

円堂がムキになり少し声を大きくする。

「生憎、俺はお前と違って自制出来るからな。それに元々あまり触られるのは得意ではない」

「恋人でもか…?」

「ああ、そうだ。ベタベタされるのは正直苦手だ」

少々キツい口調になったが、これだけハッキリ言っても明日には元通りだろう。まあ、言わないよりはマシか…くらいに考えていた。円堂を見ると何やら考え込んでいる。

「……わかった、ごめん」

「わかったならいい。帰り、鉄塔広場寄るんだな?」

「…いや、やっぱりいいや!」

少し俯いていた顔を上げ、首を振る。顔はもういつもの円堂に戻っていた。

「何故だ、特訓するんだろう?」

「いや、ちょっと用事思い出したから先帰るな!」

ニッコリと笑う表情に何故か違和感を感じる。返事を待たずに部室から出ようとした円堂を思わず呼び止めてしまった。

「円堂?」

「鬼道も気を付けて帰れよ!じゃあな」

軽く手を挙げて円堂はドアから出ていった。いつもみたいに笑いながら。さっき感じた違和感は気のせいだろうか。少し寂しそうに見えた、なんて。


*


翌日、朝練の為に部室で着替えていると、元気な声と共に円堂が入ってきた。まだ誰も来ていないから2人きりだ。

「おはよ、鬼道!」

「おはよう、円堂。今日は早いな」

円堂がいつもの様にこちらに来る。勢いよく抱き付かれる衝撃に備えながら挨拶を返し着替えを続けた。今日はまだ2人きりだし、少しくらいは良いか…と考えながら。

しかし、いつまで経ってもそんな衝撃は来なかった。振り向くと既に円堂は着替えを始めている。

「ん…、なんだ?」

俺の視線に気付いたのか、着替えの手を止めて言葉を待っている。ああ、少しは昨日のが効いているのか…

「いや、何でもない」

「そっか?ならいいけど」

着替えを再開する円堂を見ながら、何度も説得すれば分かって貰えるんだな、と安堵の息を吐いた。





それから、円堂は俺に一切触れなくなった。


*


昼休みは食事を済ませばすぐに皆と部活の話し合い、放課後も円堂が自分の帰りを待つ事はなくなった。

さすがにこれは違和感を感じざるを得ない。

最初は円堂が怒っているのかと思った。しかし話し掛ければ笑って返すし、その表情には怒り等は感じられない。必殺技が成功すればハイタッチもするし、態度は全く普通なのだ。

まるで、友達に戻った様に。

どうして、とは聞けなかった。自分がスキンシップを拒んだのに、どうして触れなくなったのか、なんて言える筈がない。

その上、自分自身にも戸惑っていた。円堂と付き合うまではこれが当たり前だった筈なのに、こんなにも寂しい。

離れてみて、ようやく気が付いた。円堂は面倒見が良く後輩からもとても慕われている。練習後には自主練や雷雷軒に皆から誘われていた。部活中もこちらから行かなければ話す機会もとれなかった。

円堂はいつも自分と帰る為に、皆の誘いを断って待っていてくれたのだろう。思えば休憩中や空き時間も、いつも声をかけてくれた。傍にいるのが当たり前になって、こんな些細な事さえ分かっていなかった。

ここ2週間満足に話をしていない。

円堂はもう、俺には興味がなくなったのだろうか。あんなに邪険に扱って、愛想を尽かされても無理はない。謝りたいと思いながらも、拒絶されるかもしれない恐れから、円堂に声を掛けられなかった。


今更自分勝手だと分かっていても、強く抱き締めてくるあの腕が恋しかった。


*


「鬼道」

雨で部活が中止になった放課後、突然円堂から声をかけられた。

「今日、これから予定あるか?」

「いや、特にないが」

「じゃあ、今ちょっといいか」

嬉しかった。最近は必要最低限の会話しか出来ず、心身共に限界だった。円堂とすれ違っただけで胸が激しく痛んだ。睡眠も浅く、食事も殆ど喉を通らない。もう、許して貰えなくても円堂に謝ろうと決めた矢先だ。

声を掛けられただけでこんなに嬉しい。自分はまだ円堂が好きだ…と改めて自覚する。

「どうした?」

「いや、鬼道にちょっと大事な話があるんだ。部室でいいか?」

「あ、ああ…」

大事な話…?円堂をよく見ると硬い表情をしている。なにかを決意した様な。

「え、円堂。それは急ぐのか?」

「…ああ。俺、もう限界だからさ」

突然怖くなった。別れを切り出されると直感した。こんな何週間も満足に話をしない自分は到底恋人とは言えない。

「円堂、俺はちょっと…やはり今日は都合が…っ」

「逃げるなよ」

強く腕を掴まれる。円堂は俺の腕を引いたままズンズン歩いていく。部室に着いたら、終わってしまう。だめだ、行きたくない!

「離して、くれっ…!」

引かれていた手を振り払うと円堂は一瞬驚いた顔をし、すぐに苦しそうに歪めた。

「何だよ、そんなに嫌かよ…」

小さな声で呟いた後、円堂が苦しそうな顔で俺をみた。円堂のこんな表情は、知らない。

「嫌…だ…」

別れるのは嫌だ。まだ好きだと再確認したばかりなのに、別れ話なんてされたら心が耐えられない。

「鬼道はもう俺を好きじゃないんだ」

溜め息をついてから円堂が吐き捨てるように言った。俺が、円堂を好きじゃない?

「普通好きなら、触れたいって思うもんだろ…。俺はもうこんなただの友達みたいな関係は無理だ…すげー辛いし、サッカーにも集中できない」

目を合わせず右手で顔を覆っている。眉間に皺がよって苦しそうだ。

「鬼道の嫌がる事はしたくないんだ。でも俺…触りたいし、もっと近くにいたい!鬼道が俺を好きじゃないなら別れなきゃいけないけど、でも嫌なんだ…。もう俺、どうしたらいいか…っ」

わからないんだ、と絞りだすような声で呟く円堂を見て、ようやくわかった。ずっと我慢してくれていたのだ。触られたくないと俺が言ったから、悩んで、辛くて、サッカーに支障が出ても。

「……来い、円堂」

今度は俺が円堂の腕を掴み歩き出す。外はまだ雨が降っていたが気にせずに進む。円堂は黙ってついてきた。そのまま部室に入ると電気も点けずに鍵を掛ける。

薄暗い部室に、雨が屋根を叩く音だけが響いていた。

「何のつもりだよ…」

円堂の弱々しい声が胸に痛い。



「……触れて、くれ…」



雨で身体は冷えているのに顔が熱い。恥ずかしさで声が小さくなる。でもきちんと伝えなければと思った。

「鬼道…?」

「……円堂が好きだ、だから…触れて…欲しい」

円堂の方へそろりと手を伸ばす。緊張からか少し震えてしまった。

「……無理して俺に…合わせてるのか?」

円堂の言葉と揺れる瞳にハッとする。そんなんじゃない、同情なんかじゃない。

「違う…っ、円堂が傍に居なくなってから、ずっと寂しかった…。もう嫌われたって思っ…」

話し終わる前に、伸ばした手を取られて引き寄せられる。嫌う筈ない、とぎゅっと抱き締められればひどく懐かしくて安心した。円堂の背中に手を回し好きだと伝わる様に力を込める。

「鬼道…っ」

抱き締める力が緩み、顔を覗き込まれればお互い余裕のない視線が絡みあう。押されるがままにロッカーに背を預け、円堂の首に腕をまわす。口づける円堂の顔越しに窓を見ながら、カーテンも引けばよかったなと少し後悔して目を閉じた。


*


「俺、鬼道に嫌われたくなかったからすっげー我慢したんだぞ」

床に散らばる衣類を拾いながら、円堂が褒めてくれとばかりに言う。

「もう我慢しなくていい」

雨で湿ったシャツを羽織ると床に擦れた背中がピリピリする。痛みさえ心地いいのは心が満たされたからだろうか。

「いや、皆の前では我慢する!けど、2人きりの時は許してくれよな」

「ああ…分かった。ところで今はその"2人きりの時"じゃないか?」

「!」

「……我慢、するな」

遠回しに強請れば、嬉しそうに笑い力一杯抱き締めてくる。相変わらずの加減を知らない抱擁。


それでも、もう疎ましく感じる事はなかった。




END




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