* 少しずつ、何かがズレていった。 本来ならば、当然監督に報告すべきだった筈で。 自分以外に被害が出ないから言わないなんて理由が、もうおかしかった。 その後も幾度となく深夜の訪問は続いた。 大体は優しく抱かれて、けれど俺が疲れている時には愛撫だけの日もあった。求められても、こちらが嫌だと拒めばそれ以上はされなかった。 回を重ねる毎に身体は少しずつ慣らされて、受け取る快感が大きくなっていく。感じなかった部位が、いつの間にか性感帯に変えられ、感覚はより鋭敏になり、見られていると思うだけで身体は熱くなった。 警戒心は緩み切り、それどころか期待すらして気紛れに訪れる侵入者を待ち続ける日々。 丁寧に触れ、こちらの嫌がる事はしないけれど、どんなに懇願しても手と瞳は自由にして貰えなかった。 顔も知らない、声も分からない相手と身体を繋げている。こちらからは触れない為、どんな髪型なのか、どんな背格好なのかも分からない。 わかるのは、優しい手と熱い身体だけ。 至る所にキスしたがる事や、癖なのか子供にするように頭を撫でる事。 いいこいいこ、とばかりに撫でられて、少し甘やかされる感じが新鮮だった。 年上だろうか? 本当に、俺を好きなのだろうか? 行為の最中に何度か聞いてみても返答はなく、そんな時はいつも誤魔化すように好い所ばかりを責められた。 もう最初の怒りや恐怖はどこにもなく、嫌悪感も消えていた。 両親を亡くして以来、こんな風に大切に慈しんでくれた人はいない。人肌に触れるのは気持ち良かったし、宝物みたいに扱われるのが特別だと言われている様で、胸がドキドキと高鳴った。 まるで恋をしたみたいに。 * 恋なのだろうか? 相手の事を何ひとつ知らないのに。ただ身体の関係に溺れているだけならまだしも、好きになるなんてあり得ない。 自分の感情がよく分からず困惑する。しばしば考え込んでしまう事が増え、とうとう練習中にぼんやりとしてしまった。 気付いた時にはもう遅く、豪炎寺と激しくぶつかりお互い反動で倒れる。 「……っ」 「大丈夫か、鬼道!?」 「すまない、今のは俺が悪かった」 すぐに立ち上がった豪炎寺を見て、大きな怪我はなさそうで良かったと安心して。 謝りながら手を差し出してくれる豪炎寺に掴まり立とうとするが、左足首に激痛が走って力が入らない。同時に頭が少しぐらぐらする。 「立てるか?」 「ちょっと…無理だ。目眩がする」 「なら、肩に掴まれ」 「すまない」 肩を借りてようやく何とか立ち上がる。タイミング悪くマネージャー達は、買い出しで出ているようだ。 見れば豪炎寺も膝を擦りむいたらしく、うっすらと血が滲んでいる。心配そうに駆け寄ってきた円堂に、豪炎寺は自分の治療を兼ねて俺を保健室へ連れていくと告げた。 豪炎寺に肩を借り、なんとかゆっくりと歩く。と、校舎に入った所で突然視界が反転した。声を上げる間もなく、身体が浮く。膝裏と背中を支えて持ち上げられたのだと気付いた時には、もう豪炎寺は歩き出していた。 これはお姫様抱っこ、とかいうやつじゃ…。 「豪炎寺、降ろせ!自分で歩けるっ」 「時間がかかりすぎる。もう、皆からは見えないし恥ずかしくないだろ?」 「恥ずかしいに決まっている!」 非難を込めて見れば、豪炎寺の口元が少し悪戯っぽく笑っている。いいから降ろせと身体を捩ると、更に力強く抱き抱えられた。 「豪炎寺っ」 「練習中に集中していない鬼道が悪い。自業自得だ」 「…っ…」 それを言われては、何一つ反論できない。確かにこれは俺の不注意が招いた事態だ。 けれど、せめて背負うとか、他にも方法があるだろう。 「それに鬼道が暴れると、俺の膝も痛い」 「あ……す、すまない」 そうだった、豪炎寺も膝を負傷していたのをすっかり失念していた。軽く擦りむいた様に見えたが、実は結構酷いのだろうか? 申し訳なさから息も詰めて身動きを止めた俺を見て、豪炎寺はクスリと笑った。 「嘘だ、そんな情けない声を出すな」 「嘘って、お前…」 「ほら、保健室もう着くぞ」 下らない言い合いをしている内に、いつの間にか保健室に着いてしまった。ノックをしても返事は無く、先生は不在の様だ。 保健室のベッドにふわりと降ろされ、すぐに左足のソックスを脱がされる。 「いや、手当てくらいは自分で…」 「湿布も取りにいけないのにか?」 「……すまん」 豪炎寺は濡れタオルを直ぐに2つ用意して、1つは手渡してくる。 「目眩がするんだろう、ちょっと額や目に当てておけ」 「悪いな」 「足に触る。痛かったら言ってくれ」 「ああ」 タオルで目元を押さえれば視界が暗くなり、冷たさで少しだけ目眩が和らいだ。そのまま豪炎寺に痛いか?と確かめる様に足を触られ、感じたままに告げればヒヤリとした湿布を貼られる。 「軽く捻っただけみたいだ。応急処置が終わったからもう横になっていいぞ」 「何から何まで、すまない」 「気にするな。けれど念のためちゃんと病院へ行って診てもらえよ?とにかく大事じゃなくて良かった」 言葉に甘えてベッドに横になる。タオルで視界も見えないまま、ぐらつく頭で何とか礼を言うと、そっと頭を撫でられた。 いいこいいこ、と子供にする様に。 「ご、豪炎寺っ!?」 思わず目に当てていたタオルを取り落とす。 この癖、この感触は── 「ん?ああ、すまない。いつも夕香にしていた癖で」 「夕香ちゃんに…?」 「入院してる時に毎日していたから、今でもつい寝そべっている相手には手が出てしまう。別に鬼道を子供扱いした訳じゃないぞ」 「あ、ああ……」 触り方が、まるで一緒だった。夜中のあの時と。優しく、労るような手。 まさか、豪炎寺なのか? こちらの処置が終わったので、豪炎寺は自分の膝を消毒している。 そんな、夜中に訪れるあの人が、豪炎寺の筈は無い。けれど、肌が憶えている。頭を撫でたあの感触は。 「豪炎寺…」 「ん?どうした、痛むか?」 「あ、頭が痛い」 もう1度確かめたい。 「大丈夫か?やはりきちんと検査してもらった方がいいな。今から病院に…」 「そこまでじゃない、が」 痛いと言ったので、豪炎寺は心配そうに頭に触れてきた。 生え際やこめかみ辺りを撫でる手が気持ちよくて、目を瞑る。やっぱりそうだ、この感触、この触り方。 夜中訪れていたのは、豪炎寺なのだと確信した。 病院へ連絡を取ろうと携帯を取り出した豪炎寺をやんわりと止める。 「しかし」 「本当に大丈夫だ」 「我慢して酷くなっては元も子もないぞ。今、鬼道に抜けられたら皆困る」 「皆?」 お前は困らないのか? 「ああ、皆困るだろう。俺との接触が原因で鬼道が次の帝国との練習試合に出られないなんて事になったら、俺は佐久間や不動に何を言われるかわからない」 「豪炎寺は、困らないのか?」 俺は何を聞いているのだろう。馬鹿な質問だ。 豪炎寺に、お前が必要だと言われたい。 「ん?ああ、もちろん困る。鬼道の指示がないと、パスを出すタイミングが少し遅れて攻めのスピードが下がる」 「指示、な」 「鬼道?」 「なんでもない」 豪炎寺から視線を逸らすと、背中を向けてベッドの中へ潜り込む。 夜はあんなに大切にしてくれるのに、普段の俺は司令塔としてしか必要とされていない。指示さえ出していればいいのか。 「突然どうした。具合でも悪いか?」 「別に」 何だか釈然としなくて、言葉が素っ気なくなってしまう。 「俺1人では円堂の面倒は見切れない。あいつに練習を任せたら、オーバーワークになる。だから早く治せ」 「………」 そんな事が聞きたいんじゃない。 子供の様に不貞腐れて毛布の中にさらに潜り込むと、暫くの沈黙の後重ねて声がかけられた。 「それに……鬼道がいないと寂しい。だから、早く戻って来てくれ」 豪炎寺が、寂しい? 言葉通りで他意はないと分かっていても、じんわりと心が温かくなった。 「……わかった」 毛布の上からポンポンと軽く触れた後、自分の傷の手当てを終えた豪炎寺は保健室から出て行った。 夜に訪れていたのが豪炎寺だとしたら、俺は豪炎寺と寝ていた事になる。 こうして考えて見れば、確かに外部の人間よりも内部の人間だと考えた方が自然だ。 けれど、最初の段階でチーム内にそんな人間はいないと自分で決めてかかっていたため、思いもよらなかった。 俺を無理矢理犯したのも、優しく触れるのも、恋をしたのも。 豪炎寺だった。 どうしたらいいのだろう。あの、夜に訪れる人が好きで、それが豪炎寺だとしたら、俺は豪炎寺が好きなのだろうか?でも、豪炎寺は親友で、チームメイトで。 ただでさえ目眩でぐらぐらの頭が、更に混乱する。これ以上考えても埒が明かないと、ぎゅっと目を閉じて真っ暗な闇の中へと思考を沈めた。 (2015/08/06up) ←→ |