知らなかった




豪炎寺は泣き止むまで、優しく背中を撫でてくれた。労るような視線が、嬉しくて切ない。

落ち着く様にと淹れてくれた紅茶を飲みながら、豪炎寺をずっと見て。
忘れたくない、と思った。

自分を好きだと言ってくれた事、優しく慰めてくれた事。好きな気持ちは無くなっても、記憶は残るだろう。

「鬼道」

「何だ?」

「その…そんなに見られると落ち着かない」

あまりに無遠慮に見ていたせいか、気付かれてしまった。

悪かったと視線を逸らし俯くと、焦った様子で豪炎寺が言い繕う。

「いや、怒っているとかじゃなくて……」

「いいんだ」

もう、いい。ちゃんと心に刻んだから。

「豪炎寺、ありがとう」

「……何がだ?」

「女になった俺に親身にしてくれて、嬉しかったし心強かった」

今いる自分の言葉でお礼が言いたかった。豪炎寺を好きな、自分で。

「鬼道…?」

「元に戻ったら、またこれまで通り頼む」


親友として。


そして豪炎寺には俺を忘れて、もっと可愛い女子を好きになって欲しい。元の自分は、きっと豪炎寺の気持ちに応えてあげられないだろうから。

「何をそんな改まって…」

女の自分では最後かもしれないから。

「そうだな、少し感傷的になってるのかもな」

「大丈夫か?」

先刻の事もあり、豪炎寺は心配そうにこちらを見ている。

「大丈夫だ。それより、もうそろそろ俺は寝ようと思うが」

「ああ、もうこんな時間か」

時計を見て頷いた後ティーカップをキッチンへ下げる豪炎寺に、声をかける。

「じゃあ……おやすみ、豪炎寺」

「ああ、おやすみ鬼道」

当然の様に返された声が、何だか寂しかった。



*



ベッドに潜り目を閉じても、なかなか睡魔は訪れなかった。

こわくて眠れない。

身体が戻るのは嬉しいはずなのに、豪炎寺への気持ちを失う事が怖くて、どんどん目が冴えた。

この気持ちが無くなったら、自分はどんなふうになるだろう。

昨日までの自分なら、豪炎寺の気持ちも恐らく受け入れられず断っておしまいだ。
もちろん親友でいたいけれど、豪炎寺に想いを寄せられていると知って普段通りに接する事は難しいだろう。

どうなるにせよ、豪炎寺を傷付ける事だけはしたくないな、と思った。

考える程に目は冴えて、仕方なく身体を起こして灯りを小さく付ける。

ベッドから出て軽く部屋を見渡せば、改めて豪炎寺らしいなと思う。シンプルで、でもあたたかい部屋。夕香ちゃんの写真が大切に飾ってあって、微笑ましい。

ぼんやりと棚や机に視線をやりながら歩き、豪炎寺は机の上も綺麗に片付いているんだなと感心して。

ふと、机の上に敷かれた透明なシートが目についた。正確にはシートに挟まれた紙切れが。時間割や予定表に混じって、小さな紙の切れ端が挟まっている。

『助かった、ありがとう』とたった一言書かれた切れ端は、別に何も特別なものじゃない。
けれど、書かれた文字は明らかに自分の筆跡で。


こんなもの、いつ書いた?


必死に記憶を手繰り寄せ、ようやく思い出す。

雷門に転校したてで教材が揃わなかった時、豪炎寺から1度だけ辞書を借りた事があった。
サッカー部員とすらまだ距離があった頃で、困っていた俺に豪炎寺は大変だなと快く貸してくれた。

その辞書を返すときに、ノートの切れ端にお礼を書いて挟んだのだ。随分前の事で忘れていたが。

机上に再度目をやれば、ただのノートの切れ端が、大切そうにシートに挟まれている。



あんな頃から?



そんな昔から想っていてくれたのか?以来ずっと、好きでいてくれた?



どうしよう。嬉しい、すごく嬉しい。



抑えていた気持ちが溢れて止まらない。豪炎寺は、こんなに想ってくれていた。

豪炎寺が好きだ。

いつのまにか、部屋から出て居間へ向っていた。
行ってどうするのか?起こしてしまったら何て言い訳をすればいいのか?と不安が頭をよぎったが、止まる事は出来なかった。

そっとドアを開けると、ソファーに横になった豪炎寺が見える。
静かに傍までいくと、規則正しい呼吸が聞こえてきた。

起こさない様に近づき、軽く髪に触れる。思ったより柔らかくてふわふわしている。

寝顔が随分と綺麗で、見惚れてしまう。
睫毛が長い。鼻筋も通っている。薄く開いた唇にドキドキして、触れたくて。

(豪炎寺……すまない)

相手の了解も得ずに触れるなんて、今度こそ本当に軽蔑されるかもしれない。
でも、もう抑えられない。触れたい。傍にいたい。

「……っ」

ほんの一瞬、息を止めたまま掠めるだけのキスをする。

「……は…、ぁ」

切ない。もっと、したい。豪炎寺に触りたい。

涙が滲む。込み上げてきた嗚咽をなんとか飲み込んで、呼吸が落ち着くまで離れようとした、その時。


グッと腕を掴まれた。


「どういう事だ」

「!?」


──起きて、いた?


あまりの驚きに、身体が震えて声が出ない。
嫌われる、軽蔑される。

「鬼道、説明を」

「あ……、こんな事してすまな…い」

「鬼道!」

少し強く呼ばれただけで、もう怖くて動けなかった。

「水…、飲みに、きて」

「嘘は好きじゃない」

「…っ、怒らないで…くれ」

声が震えて上手く返事すら出来ない。

「怒ってないから、ちゃんと説明しろ」

嘘だ、怒ってる。その証拠に掴まれた腕がこんなにも痛い。

「……っすき、で」

「?」

「豪炎寺が好きで……キスしたかったから、した」

キスまでして、いまさら隠しようもなかった。正直に気持ちを告白する。

「さっきも言ったが、嘘は聞きたくない」

「嘘じゃないっ!豪炎寺が好きで、……っだから」

「ああ、また混乱してるんだな」

信じてすら貰えない。

気持ちを聞いた上で断られるならまだ納得できる。けれど、嘘だと思われているなんて。

こんなに好きなのに。

「嘘だと思うなら……っ、抱いて…くれ」

「…なに…?」

自分でも、何故こんな事を言ってしまったのかは分からない。
ただ、そのくらい好きなのだと豪炎寺に信じて欲しかった。

「嘘じゃないって、証明するから…」

「やめろ、そんな事軽々しく言うな!」


"軽々しい"


豪炎寺に告白された時、他でもない自分がぶつけた言葉だ。言われたら、こんなに傷付くんだな。

「軽くなんかっ、軽々しくなんか言える筈ないだろう…!」

女の身体で、抱いてくれだなんて。

「鬼道、お前は今ちょっと不安定で、だから…」

「……っ」

もう聞きたくない。

豪炎寺の言葉を飲み込む様に唇を塞ぎ、ソファーの上に乗り上げてより深くなるように顔を傾ける。

こんな事をして、もう元の関係には戻れない。そうでなくても、すでに日中の一件で距離を置かれていたのに。

でも、唇が離せない。キス出来て嬉しい。

「……っ、…ん…」

けれど、何度角度を変えて口づけても、豪炎寺は何も応えてくれなかった。

「…豪…炎寺…?」

「……」

「……っ、キス……して…」

「………」

「……無視、しないで…くれ…」

「………」

「…ご…えんじ…っ」

キスを繰り返しても豪炎寺は無反応で、少なからず想ってくれているのなら気持ちに応えてくれるかも、という淡い期待は脆くも崩れさった。

罵られた方がまだましだ。豪炎寺にこんな風に扱われたら。


もう、だめだ。


涙が次々こぼれて、嗚咽でもう上手く話す事が出来ない。

恥ずかしい。嫌われただけじゃない、無視された。

泣きながらソファーからずるずると降りる。

「……悪…かった、すぐ出てく…から」

もう、ここには居られない。

よろよろと立ち上がり居間から出ようとすると、いきなりぐるんと視界が回り身体が浮いた。

「!?…っ、…?」

一瞬、何が起こったのかわからなかったが、すぐに豪炎寺に抱き上げられているのだと理解する。

「…っ豪炎寺!?お、おろ、せ…」

「黙ってろ」

「!」

低い声と無感情に見下ろす瞳。豪炎寺の迫力に、圧倒されてしまって。

もう、何も言う事が出来なかった。






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