早く戻りたい あの後、お互いにぎこちない空気のまま時間は過ぎていった。 豪炎寺の事が好きだと自覚した事が、より自然な振る舞いを難しくする。 しかも好きな気持ちは、きっと偽物なのだ。女だから、好きになった。男に戻ったら、なくなってしまうかもしれない。 なのに、豪炎寺の事を考えるだけでドキドキする。 女子があんなに騒ぎ立てるのも分かる。 自信に満ちた、独特なオーラ。動きにも無駄や迷いがない。綺麗で涼しげな顔に、適度に締まった身体。 見つめていて思う。こんな男が、何故自分を好きなのだろう。 ただ、近くにいたからじゃないか? チームメイトとして、1番近くにいたから。そうでなければ、好かれる意味がわからない。 「…ど…う、……鬼道!」 「…っ、な、何だ?」 ぼーっとしていて、呼ばれているのに気がつかなかった。動揺をなんとか隠しながら豪炎寺に返事をする。 「もうこんな時間だが、今日中に宿舎に帰るか?うちに泊まっていくなら、そう監督に連絡するが」 「……迷惑でなければ、泊めて貰えるだろうか?」 今から帰ったら完全に誰かと鉢合わせて、一気にばれる。それは絶対に避けたい。 それに明日もし元に戻るとしたら、この気持ちは今夜限りで消えてしまうのだ。それまででいいから、出来るだけ傍にいたい。 「わかった、なら連絡しておく」 「すまない」 話を聞けば、豪炎寺の父親は病院の夜勤、夕香ちゃんは家政婦のフクさんの家へ泊まりに行っているという。 一晩中2人きり。 豪炎寺は俺を好きで、俺も豪炎寺が好きで、なのにその気持ちは伝えられない。両思いなのに、切なくて胸が苦しい。好きだと言いたい。こんな気持ちになるなんて。 連絡を済まし部屋に戻ってきた豪炎寺に、泊めて貰うのだからと考えていた旨を伝える。 「豪炎寺、俺は床で寝るから…」 「そんな事はさせられない。鬼道はこの部屋のベッドを使っていい。俺は居間のソファーで寝るから」 「居間…」 「同じ部屋で寝る訳にはいかないだろう。仮にも中学生の男女だ」 「そうだな…」 豪炎寺は先刻の一件以来、一切目を合わせてくれなくなった。自業自得とはいえ、少し哀しい。 嫌われたのかもしれない。 豪炎寺に乗り上げてあんな事をしたのだ、はしたないと思われただろう。 人を好きになるというのは、こういう事なのか。 相手が欲しくなって、色々な部分が見たくて堪らなくて。あの時の自分は、豪炎寺のいつもと違う側面が見たかったのだ。そのせいで豪炎寺を酷く傷つけてしまった。 早く謝らなければと、素っ気なくされるほどに焦る。 ベッドのシーツや枕カバーを取り替えてくれている豪炎寺に、後ろから何とか話しかけて。少し声が震えてしまった。 「豪炎寺、さっきの事は…その…」 「もういい、その話はしたくない」 「!」 やはり怒っている。 こちらの様子を察したのか少し語調を緩め、小さく息を吐きながら視線を合わせず続ける。 「……悪いが、思い出したくないんだ」 そんなに怒ってるのか?気持ちを弄んだ、俺を。 「悪、かった」 「鬼道?」 「……やはり…帰る……、すまなかった」 「今更、何を言ってる」 「……本当に、悪かっ…た」 豪炎寺を怒らせて、嫌われたかもしれなくて。しかも、思い出したくないとまで言われては満足に謝る事も出来ない。 胸が潰れるように痛くて。もう謝る以外、どんな態度で豪炎寺に接したら良いかわからない。 本来なら、もう下手な事はせずに黙っているのが1番いい。頭では理解している、分かっている。 でも、苦しい。行動が感情に引きずられる。 一緒にいたい。一緒にいたら辛い。 傍にいたいのにこれ以上迷惑に思われるのが怖くて、帰ると口にしてしまっていた。 感情と言葉がぐちゃぐちゃで、自分が何をどうしたいのか全くわからなくて混乱する。こんな事は初めてで。 俯いたまま、顔を上げられなくなってしまった。いま顔を上げたら、泣きそうなのがばれてしまう。 言葉が続かなくなった俺を心配してか、豪炎寺が声をかけてくる。 「突然どうした?」 「すまない…」 理由を答えられないままただ謝っていると、小さく溜息が聞こえて、それにすらビクついてしまう。 「さっきの事はもう気にしてない」 「………」 「鬼道?……もしかしてどこか具合悪いか?」 違う。 「……どうしたらいいか…わからな、いっ…」 様子がおかしいと思ったのだろう。豪炎寺は、大丈夫か?と心配そうにこちらを気遣ってくれる。 「……っ、男に戻り…たいのにっ」 戻りたく、ない。 「心配するな、明日になっても戻らないなら、きちんと病院で検査をしよう。一緒に俺も行くから」 女になったせいで精神的に混乱しているのだと勘違いしている豪炎寺は、優しくて悲しくなった。 「豪炎寺、今日だけ…」 好きでいさせて。 「何だ?」 「今日だけ……頼らせてくれ」 「かまわない。今日だけなんて言うな」 今日だけで、いいから。 「……っ、…」 やり場の無い気持ちが涙となって溢れた。好き、が溢れる。 豪炎寺は慰めるように肩や背中をさすってくれる。けれど、もう朝のように抱き締めてはくれなかった。 「泣いてもいい、あまり我慢するな」 「……っ、ご…えんじっ」 「何だ」 好き。 「…ごう、えんじっ」 「ああ、大丈夫だ。傍にいる」 好きだ。 「……っ、……く」 伝えてはいけない想いを何度も心の中で繰り返す。 もう、早く男に戻りたい。 こんな切ない気持ちは消して。 豪炎寺を求めて痛む心を、なくして。 早く、ただの親友に戻して。 ←→ |